1992年『レザボア・ドッグス』編

欧米のレンタルビデオ屋は「サロン」として機能していた

──タランティーノがレンタルビデオ屋で働きながら執筆した『レザボア・ドッグス』と『トゥルー・ロマンス』(93)の脚本を、業界に精通した店員仲間がトニー・スコットに渡したところ、「2本とも監督したい」という連絡が届いたそうです。

押井 『レザボア・ドッグス』をハーヴェイ・カイテルがプロデュースしたという話は、当時からそれなりに評判になっていたんだけど。

──タランティーノは『トゥルー・ロマンス』の脚本をトニー・スコットに5万ドルで売って、その金で『レザボア・ドッグス』を店員仲間と自主制作して監督デビューしようとしたんです。すると、今度はまた別の店員仲間が演劇学校に通っていて、そこの先生の奥さんがハーヴェイ・カイテルの同級生だった。

押井 なるほどね。やっぱり、いろんな人の手を借りて、世に出るもんなんだよね。しかも、「脚本」は大きな武器。『バイオハザード:ヴェンデッタ』(17)の辻本貴則に聞かせてやりたいよ。あいつは『リーサル・ウェポン』(87)大好き男だけど、実はタランティーノを目指している。「印税が2倍になるから」とか言って自分で脚本を書きたがるんだけど、『ヴェンデッタ』のように脚本をほかの人に任せて、自分は演出に徹するべきなんだよ。そのほうが絶対に面白くなる。タランティーノ映画を印象で見ているから、それこそ「俺でも書けそう」と思っちゃうんだけど、簡単に真似できる才能ではないからね。辻本には「いつでも書いてやる」と伝えてあるんだよ、「ただし、お金をもらうからね」と。そうしたら「ええ〜」とか言い出してさ。「ええじゃねえだろ」って。「なんだったら匿名で書いてあげてもいいんだよ」と言ったら、「匿名で書いてもらったのではなんの値打ちもないです」だってさ(笑)。日本の自主映画出身の監督って、人の手を借りようとしない不思議な性質があるんだよ。そして自主映画の最大のネックは、だいたい音響なんだ。音響が変わるだけでガラッと印象は変わるのに、そこをケチって自分でどうにかしようとするから、途端に貧乏くさい映画になってしまう。音響はプロの手を借りるべきだよ。数十万円かかるとしてもさ。

──レンタルビデオ屋のバイト仲間が協力し合って「映画を作ろう」という話自体が、日本では聞かないですよね。

押井 いまとなっては、レンタルビデオ屋自体が絶滅寸前だけどさ。日本と海外のレンタルビデオ屋の雰囲気が、そもそも異なるんだよね。日本の昔の貸本屋は、子どもたちのサロンになっていたんだけど、向こうのレンタルビデオ屋にはサロンの雰囲気があるよね。

──タランティーノは監督デビューする前から、地元では有名な店員だったそうですよ。

押井 日本では客同士が声をかけ合うなんてないし、店員から声をかけられることもない。声をかけられてもビクッとしちゃうけどね。本当に昔だけど、1晩1本2,000円だった時代に、レンタルビデオ屋の会員になろうとして、身分証明のために運転免許証を出したら、「押井......どっかで聞いたことあるなあ」とか言い出して(笑)、「もしかして押井監督じゃないですか!?」ってさ。「ここでは迂闊にビデオは借りられないぞ」と思ったこともあった。

──笑。

押井 『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)を作っているときは毎日3本ビデオを借りて帰ることを日課にしていたからね。週5日で15本。けっこう思い入れもあるんだよ。だから、レンタルビデオ屋で始まる映画の脚本を書いてみたこともある。タランティーノのようなあんちゃんではなく、女性店員が主人公なんだけど。レンタルビデオ屋で働いているうちに、いまがいつの時代か分からなくなっちゃうっていう。それもやっぱり日本では成立しにくいなと思って、ポーランドで撮るつもりで書いた。

──『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)のルッソ兄弟も、『GODZILLA ゴジラ』(14)のギャレス・エドワーズも、レンタルビデオ屋出身の映画監督です。

押井 映画好きだからレンタルビデオ屋で働いているんだろうけど、みんなアクティブだよね。トロントだったかな、イベントに招待されて、行ってみたら、主催者がレンタルビデオ屋のオーナーだったこともある。地元で上映会を主催して、大活躍の人物だった。

押井守の映画50年50本