1992年『レザボア・ドッグス』編

タランティーノの才能

今夏出版予定の書籍『押井守の映画50年50本』にて、押井監督が1992年の1本として選んだ映画はクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』。タランティーノ映画の魅力と才能の秘密に迫ります!!

──『レザボア・ドッグス』は、クエンティン・タランティーノの監督デビュー作です。

押井 タランティーノの映画って、あいつの脚本がいいんだよね。「俺でも書けそう」な気がしちゃう。『レザボア・ドッグス』を見た人は、みんなそう思ったはず。でも、あれをゼロから書くって大変な才能だよ。逆に言うと、監督としてのタランティーノは、僕はそんなに評価していない。はっきり言ってしまえば、まったく評価していない。だけど脚本は、どれも素晴らしい。そのタランティーノらしさが全開なのが『パルプ・フィクション』(94)。なんにもない映画なんだよ。ストーリーもなければ、テーマもない。構成力だけで作った映画。だからこそ、「構成力だけでこれだけ面白く作れるんだ」ということに驚いた。そして早くもその輝きが見えているのが、この『レザボア・ドッグス』。

──宝石強盗の顛末を描いた映画です。

押井 でも、強盗シーンそのものは描いていない。なにもしてない、なにも描いていない映画なんだよ。当時の評判を憶えているけど、「金をかけてないのに、なんでこんなに面白いんだ?」と誰もが首をかしげた。『レザボア・ドッグス』みたいな映画は、昔から山のようにあったんだよ。タランティーノは別に新しいことをやっているわけじゃない。だけど面白い。

──レンタルビデオの店員をしながら書き上げた脚本ですね。

押井 映画の知識で勝負するだけなら、いっぱい憶えている人間はいくらでもいる。それらの知識のストックを綺麗に整理して、任意に引き出して、トランプのようにシャッフルして、別の形にしてしまう才能が稀有なんだよ。映画ファンが、映画のコピーをやってみたり、評論家あがりの監督が映画を撮ってみるのとは、ちがうんだよね。しかもタランティーノは嬉々としてやっている。本人が出てきちゃうのはご愛嬌みたいなもんだけど、たのしそうじゃん? 役者たちがスラングだらけのくだらない会話を延々とやっている、そこがタランティーノの真骨頂なんだよね。あれがないと、なんとなくつまらない。『パルプ・フィクション』がまさにそうなんだけど、基本はダイアローグ劇なんだよ。アクションをいっぱいやっているように見えて、いまとなっては毎度おなじみの役者たちがワァワァくっちゃべっているだけ。タランティーノを評価しない人間もいるだろうけど、僕は評価している。素晴らしい才能だよ。

押井守の映画50年50本