叙事詩としてのウェスタン
──繰り返し見たい、繰り返し見ているから『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』なんですね?
押井 そう。あえて『2001年』と比較して語ったけど、結論としては『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』を選ぶ。これはレオーネの一連のマカロニウェスタンのなかでもちょっと別格というか、あきらかに「叙事詩」としてやっているからね。もちろん、チャールズ・ブロンソン演じるガンマンの個人的な復讐物語という縦軸があるにはあるのだけど、どう考えてもブロンソンの物語には見えない。
──たしかに叙事詩です。個人の物語を超えている。
押井 「西部開拓」という叙事詩だよ。そのなかの、ある男のエピソードをメインにして語りましたというだけでさ。叙事詩じゃないと、鉄道の敷設現場の、あれだけのセットを造ったエネルギーを理解できないよ。しかも、そうそうたる出演陣。たぶんそういう意図があったんだと思う。「叙事詩をやろうぜ」と。デヴィッド・リーンにとっての『アラビアのロレンス』がそうであるように。
──でもレオーネはイタリア人ですよね?
押井 自分の出自は関係ないんだよ。レオーネは「人間の営為」としての「歴史」に興味があったんだと思う。だからそれは西部開拓だろうが、アメリカのギャングだろうが、ぜんぶ一緒。それこそ「ありき」なんだよな。「そういう時代があった」ということを描く。人間の営為を叙事詩として歌い上げたいという映画監督としての欲求。これは、とても一貫している。三つ巴の決闘で有名な『続・夕陽のガンマン』(67)の頃からそういう意識があったんだと思う。
──『続・夕陽のガンマン』は南北戦争が舞台でした。
押井 明確に意図して作っているよ。南北戦争の戦場にあれだけのエネルギーを割いたんだから。大変な撮影をしているよ。ロケセットというはおろか、もはや土木工事だよ。あれだけの塹壕を作って、橋をかけて、爆薬も使って、あれだけのエキストラを動員して。『ウエスタン』の鉄道敷設と同じ種類の情熱だよね。『続・夕陽のガンマン』にしたって、メインキャラの3人に(レオーネが)興味があるなんて全然思えないからね。あそこに人間的なテーマなんてあるわけがない。
──だけど面白い?
押井 面白い。あれをいま見てもなぜ面白いのか、なぜスゴいのかって言ったら、やっぱりあの決闘シーンでしょう。あんな決闘シーン、いままで誰も見たことがなかった。しかも最後に「ドーン、ドーン」と2発撃っておしまい。あれだけ引っぱっておいてだよ。あのシーンを見るたびに恍惚となるわけだよね。そういう名前の曲が流れるんだけどね。"Ecstasy Of Gold"(『ゴールドの恍惚感』)というさ。
──詳しいですね!
押井 曲名まで憶えちゃったからね。それぐらい繰り返し聴いたから。実を言えばね、僕が初めて買ったサントラが『2001年』で、のちにサントラを買い漁った、買い揃えるきっかけになったのがモリコーネだったんだ。だから、僕はモリコーネをほとんど持っていた。最初はサントラマニアのナベさん(元バンダイビジュアル渡辺繁)から貰ったのだけど。ナベさんは、モリコーネ的な音楽を川井憲次に作らせようという企画で燃えていた時期すらあったんだよ。僕が企画書を書いたのだけど。
──川井さんにモリコーネ風に作ってもらうんですか?
押井 サントラだけ作る企画。本編があると想定して、架空のサントラを作る。面白そうでしょ? だから乗ったんだけど。日本でモリコーネをやれるのは川井憲次だけだ! ってさ。川井くんにとってはお手の物だよ。コピーの天才だからね。たぶんソックリに作るよ、ちがう曲で。残念ながら企画は流れたんだけどね。