1968年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』編

『2001年宇宙の旅』を選ばない!?

SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』が公開されてから半世紀が過ぎ、世界も映画も大きく変わった。あのときの押井青年が何を感じ、いまの押井監督が何を思うのか? フィクションと現実。映画と歴史。令和を迎え、押井監督が語る映画50年50本史。来年発売予定の書籍『押井守の映画50年50本』からその一部をご紹介。今後も数回にわたってこのコラムで取り上げていきます。 乞うご期待!


──本企画では『押井守が選ぶ映画50年50本』と題し、計50年50本、押井監督にその年を代表する映画を1本ずつ選んで語っていただきます。映画史かつ個人史、さらに押井監督の演出テクニックまで学べる一石三鳥の欲張りな試みです。なお洋画に関しては、日本公開年ではなく本国公開年を基準に選定しています。では1968年から、よろしくお願いします。

押井 各年から1本ずつ選んで50年50本リストを作る。かねてから時代と映画を絡めて語ることには興味があった。だから今回の話に乗ったのだけど、いざ映画リストを見始めたら「意外に難しいぞ、これ」と頭をかかえた。「こんなの3分で出来るじゃん」と思っていたのだけど、とんでもない。

──と言いますと?

押井 初っ端の1968年がけっこう困った。いきなり悩んだ。普通だったら『2001年宇宙の旅』がダントツに決まっている。自分が作っている映画の傾向からして。たしかに『2001年宇宙の旅』という映画は自分にとってとても重要な映画だったんだよ。もしかしたらその後の一生を、当時は決めたと思っていたわけ。「こんなすげえ映画見たことない」と思ったもん。でも「当時の自分」と「いまの自分」はちがうわけだ。もちろん映画史的にはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が最重要だけど、いまの自分を基準にして1968年の映画を選ぶのなら、セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』をセレクトしたい。公開当時は『ウエスタン』という邦題だったのだけど。

──押井監督が『2001年宇宙の旅』を選ばないとは、意外ですね。

押井 意外でもなんでもないよ。キューブリックとレオーネ。いま繰り返し見たい映画はどっちだ? となったら、そりゃあレオーネに決まっているんだよ。

──おお。それはなぜですか?

押井 映画の本質が分かってきたから。別の言い方をするならば「映画としての語り口の面白さ」かな。けっきょく映画ってそれしかないんだなって最近つくづく思うようになったんだよ。

──語り口の面白さというのは、ストーリーとは別の物ですか?

押井 ストーリーとは別物。映画としての豊かさ。僕の言葉で言うと「艶っぽさ」かな。当然レオーネのほうが艶っぽさがある。スケール感で言えば、両方ともスケール感を撮った映画ではあるんだよ。レオーネのテーマは常に「歴史」だったから必ずスケール感をともなっている。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』という題名がまさにそれを示しているし、晩年に撮った『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)もそうだよね。

──レオーネには「歴史」というテーマがあったと。

押井 もっと具体的に言うと「歴史を語りたい」という欲求だよね。歴史のパースペクティブというものが、映画には不可欠なんだと思っていたはずだよ。『アラビアのロレンス』(62)のデヴィッド・リーンに近い資質だと言える。ただデヴィット・リーンの場合は文芸だけど、レオーネの場合はアクションになってしまう。

──西部劇。マカロニウェスタンですもんね。

押井 要するにドンパチ。元々コピーから出発しているからね。マカロニウェスタンという、まがい物の世界から頭角を現したんだから。だから多分その自己意識があったんだと思うよ。「まがい物でも構わない。でも自分は歴史を語るんだ」という意識が。

──キューブリックのほうはいかがでしょう?

押井 『2001年』は、コスチュームを見れば分かるように、要するに「隙間をぜんぶ埋めていった」んだよ。破綻しないように慎重に映画を作り込んでいった。だから、妙に普遍的な設定しか出てこない。みんな同じような背広を着ているし、流行が出ちゃうからネクタイはしないとかね。言ってみれば中肉中背の世界というのかな。裃(かみしも)を着ているような映画だよね。

──裃、ですか?

押井 要するに「フォーマルな映画」ということ。これとリドリー・スコットの『エイリアン』(79)を比べてみれば一目瞭然だよ。『エイリアン』はカジュアルに作ったわけだ。みんなあのツナギの作業服とバスケットシューズにシビレたんだけどさ。宇宙船のなかだってツナギとバスケットシューズがいちばん動きやすいに決まっている。みんなでワーワー言ってメシを食って。『2001年』は1人で、ポソポソと孤食。しかも色付きの粘土を食っている。まあ歴然としているよね。どちらがSF映画としてこなれていると思う?

──『エイリアン』のほうが映画としては上質?

押井 もちろん、制作した後先はあるんだよ。だけど『2001年』がなかったら、たぶん『エイリアン』もない。『2001年』がエポックメイキングであることはたしかだよ。だけど1968年の1本としては『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』を選びたい。

押井守の映画50年50本