7.大森靖子さんの歌詞について。/最強の言葉はきみを踏み潰さない。

「今」を切り取ると簡単にいっても、でも切り取られた「今」などもう、今ではない。続いていく、変わっていく、忘れられていく、過ぎ去っていく、一瞬の後ろ姿みたいな時間を、残そうとするならそれは、「今」を時間から切り離して、殺してしまうことだろう。それは標本でしかない、それは「今」の歌ではない。
 今流行っているものや、今言われていること、テーマ、話題、悩み事、それが描かれているから大森さんの歌は「今」だと感じるのかというと、それは違っていて、そういう今の中を生きる人の頭の中、ぐちゃぐちゃして現在進行形でフル回転している、その波、渦を言葉で描ききっているから、だから「今」だと感じられる。テレビや雑誌で「今若者にはこれが人気」なんて切り取られた、もう死んじゃった「今」ではなくて、私の頭の中、あの子の頭の中にスピーカーをつけて、鳴らしているようなそういう言葉。だから、肌がざわざわする。音楽って、過去に誰かが作ったもの、 CDって結局昔に奏でた音を残しているだけじゃん? そうおもっていたのに、今のわたしに追いついた、言葉が、歌が、やってくる。

次々現る天才子役も入れ替わる
詰め替えのファブリーズ
匂いを消してよ嫌われたくない
あいつを消してもすっきりしない
テレビを消したらちょいマシかも
CRY
あの時期に買った懐中電灯
照らせ今 照らせ未来
ぐるぐる回る孤独を照らせ
魔法が使えないなら死にたい
魔法が使えないなら死にたい
つまらん夜はもうやめた
(※1)

 テーマや問題提起があって、それをまっすぐただ考える、なんて人間には無理じゃない? かなしみが襲ってきても、頭の中の全てをそれで染めることなんて無理じゃない? たとえば急にカレーの匂いが窓から入ってくることもあるし、つけっぱなしにしていたテレビの音声が思考回路の邪魔をする。部屋にはたくさんの文字が溢れている、本の背表紙、スマホ、カバンについたブランドのロゴ、壁にかけてあるファブリーズのパッケージ。それは全部真っ白になる?  ならない、どんなに悩んでも消えてくれない生活があって、どこまでも雑音に心を晒して生きていくしかない人間の頭の中は、何かを考えようとしても、何かに苦しんでいても、それとは別の思考がどんどん飛び出て邪魔をする、邪魔をするし影響しあって、全部混ぜ合わせなきゃ、頭の奥にまで染み込むような答えにたどり着けないんだ。生きること、生活することまるごとでしか、悩むことも考えることも愛することもきっとできない。

あと一手で詰んでる終盤戦 一歩が飛びこめない中央線
こんなに長いエスカレーター こんなに長い永遠の隙に
パチパチと頭の中 何かが燃えて消えてゆく
ゆるめのゆめは容赦なく あんなに大事なイタズラだって
溺れる夕日に燃え尽きる命を重ねてセンチメンタルできるほど
やり尽くしたことなんてひとつもないのに泣いている
(※2)

 パワーワードというのはたしかにあって、強すぎる断言、鮮烈な視点、それらによって人の胸を打つ言葉。そういう一文があれば「強い」と人は感じるのかもしれないけれど、でもそれって少し、無敵状態というか、ゲームでいうとピカピカ点滅しているマリオみたいな状態で、生活がない、「生きる」がない。それだけだと人は、ただ圧倒されるだけだろう、言葉に押しつぶされていくだけだろう、洗脳されてしまうだけなんだ。私はそうした圧倒的な強さの奥に、一見未完成のような、一見迷いがあるような、一見未熟な、弱さのような、そういう「生きる」ことそのものの匂いがある言葉こそ、本当に「強い」と思っている。白と黒をつけては、人のグレーを潰すのではなく、グレーが吐き出すしかなかった白や黒、そうしてグレーの言葉が、生きる体で言葉を受け取る人間には、強く響くはずなんだ。血がめぐる言葉でなければ、たとえ誰かを突き刺すことができても、その誰かの心の一部となって、その後共に生きていくようなことはできない。パワー? パワーワードってなんだろうね、パワーだけで生きているわけではない人間にとって、パワーだけで言葉が、最強になるとは思えない。生きているとか、血が巡っているとか、はっきり言えない部分があるとか、矛盾しているとか、そういう弱さにしか見えないところに、人間の強い匂いが宿るはずだよ。
 大森さんの歌詞は、パワーワードと言われることもある。でも、私にとっては、それは少し違っていて、その強い言葉が切り抜かれて、「圧倒的フレーズ」としてもはや誰の言葉かは関係ないほどに拡散され、強さだけの存在になるような、そんなすり減らされかたは決してされない、どこまでもだれかが書いたんだということを、人間が書いたんだということを、忘れさせない、そういう、本当の強さがある歌詞だと思う。それは、決して彼女が彼女の心情をさらけ出しているからではない。彼女は、自分と同じぐらい他人もまた曖昧で、矛盾しながら決めきれないまま、次の一歩をなんとか見つけ出していることを、知っているから、だから、彼女は誰かのための言葉ですら、その誰かの人生に溶け込むように、書くことができる。

死んだように生きてこそ 生きられるこの星が弱った時に
反旗を翻せ 世界を殺める 僕は死神さ

川は海へとひろがる 人は死へと溢れる
やり尽くしたかって西陽が責めてくる
かなしみを金にして 怒りで花を咲かせて
その全てが愛に基づいて蠢いている
(※3)


 人間はみんな長い時間をそれぞれ生きて、わかり合うなんてもちろん無理だし、理解ができない、予想ができない、それでいてとても近くにいて関わりあわなきゃいけない場所が多すぎる。傷つけ合うことが最初から決まっているみたいに、他人は他人で、いつも違いを認められない、受け入れられない。それでも自分もまた誰かにとってそういう気持ち悪さを抱かせているということを思い出す。だれにもむかつかれないように、迷惑をかけないように、できるだけ人格を漂白して、わかりやすい存在にならなくちゃって焦った途端に、死ぬものがたくさん自分の中にあるってことを、どうしようもなく知っている。私は言葉を愛している、だからこの世から人間なんてきえて、言葉だけになればどれだけおもしろいだろうと思うこともあるけれど。でも、言葉の強さも弱さも美しさも気持ち悪さも生々しさも暴力的な様も、そのすべては人間に紐付いている。「人間というもの」という概念ではなくて、生きているひとりひとりの人間に確実に紐付いていて、だからこそ、言葉が、人間で傷ついた心を救ったり、人間を愛したいという心を撃ち抜いたりする。大森さんの歌詞を見ると、そのことを何度も思い出すんだ。


※1 大森靖子「魔法が使えないなら」
※2 大森靖子「hayatochiri」
※3 大森靖子「死神」