1998年『ベイブ/都会へ行く』編

動物映画の難しさ

──ストーリー内容については、いかがでしょう?

押井 1本目の『ベイブ』で、牧羊犬のボーダーコリーに「あなたの仕事は食べて太ること」と諭される場面がある。要するに「ブタはいつかは食べられちゃうんだからね。あなたはハムにされるために生きているんだからね」と言われて、主人公のベイブは「えっ、そうなの!?」と驚く。実は、人間と動物が付き合うことの本質から出発している物語なんだよ。だから、本筋に関しては、僕は異論がある。賢い動物は尊重するけど、そうじゃない動物はシメられていいのか? お利口なブタであることを証明するために、うまく羊をまとめてみせなさないってさ。人間目線の物語になっている。

──言われてみれば、そうですね。

押井 でも、それを感じさせない映画になっている。じいさんも満足するし、ばあさんは泣いて喜ぶし、まわりの家畜たちもやれやれよかったと、みんながハッピーになって終わる。人間目線の違和感をいだかせずに、最後まで押し切って、感動を呼ぶ。うまいよね。じいさんとばあさんを演じた役者が、うまいんだよ。

──ジェームズ・クロムウェルと、マグダ・ズバンスキーですね。

押井 欲を感じさせない老夫婦だから成立している。これで、欲をかいているギラギラした飼い主だったら、賢いもヘチマもあるかで、速攻でハムになって終わりだよ(笑)。だから、キャスティングで成功している映画であるのも間違いない。こういう『ベイブ』みたいな映画が、日本で成立するんだろうか? ということもよく考える。「いまだったら、吉田鋼太郎さんかな」とかね。吉田鋼太郎さんがもうちょっと歳をとれば演じることができるかもしれない。いずれにせよ、重鎮を連れてこないと成立しない映画だけど、日本映画でヘヴィ級の役者を連れてくることができるだろうか? 動物相手に芝居をするだけでも大変だし、「どんな俳優も子どもと動物には勝てない」という言葉があるけど、観客は子ブタを見るに決まっているんだから、動物映画に出演することを俳優は普通はみんな嫌がるよ。そして動物映画自体の難しさもある。人間と動物をどう共演させ、どう共存させていくか。日本国内で大ヒットした『南極物語』(83)もそうだし、動物写真家の岩合光昭さんが監督した劇映画の『ねことじいちゃん』(19)も同じだよ。猫の映像を撮らせたら抜群の岩合さんも、ドラマの部分で苦戦していた。動物映画にはキモがあるんだよ。そこをはずすと、かすりもしない。「これだったら人間は要らないんじゃない? ドラマは要らないんじゃない?」ということになってしまう。『ベイブ』は、奇跡的に成功しているよ。ジェームズ・クロムウェルが演じたじいさんを要らないと思う観客はいないからね。映画化するにふさわしい原作を見つけてきたジョージ・ミラーの嗅覚には感服する。

押井守の映画50年50本