1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編

富野さんが本音を隠す理由

押井 僕も宮さんも富野さんのことが大好きだけど、富野さんは自分を卑下しがちだよね。つくづく屈折している人だよ。

──といいますと?

押井 根性が曲がっているという表現は正しくないけど、富野さんは「アニメ屋ごときが」とか「自分は作家になれなかった人間ですから」とよく言うでしょ。「所詮はおもちゃ屋の宣伝映像を作っているだけですから」とかね。むかしはアニメーションという業界自体が社会の吹き溜まりではあったんだよ。挫折した人間が寄り集まって傷口を舐め合っている感じだった。そういう意識が横行していた時代だったし、富野さんはその意識をいまだに引きずっている人。僕がアニメ業界入りした頃もそうだったんだけど、僕はその自嘲的な意識がイヤでイヤで耐えられなかった。「なんでそんなコンプレックスを持たなきゃいけないんだろう?」と僕は思っていたし、いまもそう思っている。自分の仕事にもっと自信を持っていいはずだよ。う〜ん。だから、富野さんのことは好きだけど、「会いたいか?」と言われると、微妙だね(笑)。会って、ケンカになったこともある。うちの姉ちゃん(最上和子)が2007年に上野の大ロボット博で舞踏をやったときに、富野さんが見に来てたんだよね。そのとき、ちょっと揉めてケンカになった。

──ええ!?

押井 本当にケンカになった。わめき合いに近かった。「うるさい!」とか言って。それでね、もう会うこともないかなと思っていたんだけど、しばらくしたら富野さんが後ろから近づいてきてね、「押井ちゃ〜ん、さっきはゴメンねぇ」って抱きついてきた。

──爆笑。

押井 猫なで声で(笑)。しょうがないので「もう分かったから。離してよ」って言って仲直りした。

──いい話ですね。

押井 いや、別にいい話じゃないんだけどさ。だから、富野さんはそういうふうに屈折していて、本音を隠しながらアニメを作ってきた人なんだよ。その富野さんの本音が『逆襲のシャア』で炸裂した。自嘲的な意識をかかえつつも、アニメーション映画の王道の世界で、自分の表現を実現した。端っこでやるのではなくて、メジャーでやる。僕が目指しているのもそうだから。『逆襲のシャア』というか富野さんのそこに共感したし、感心した。

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