1972年『ラストタンゴ・イン・パリ』編

斬新な音楽の挿れかた

──内容的には納得できなくても、当時から何回も見ているわけですよね。

押井 とにかくあの映像と音楽のモンタージュにイカれた。この映画のなにがスゴいかというと、音楽の使いかた。映画音楽はいつも意識して見ているんだけど、「あっ、こういう使いかたがあるんだ」とショックを憶えた。当時いちばん斬新だった。

──ガトー・バルビエリのサックスですね。

押井 そう。突然来るんだよ。マリア・シュナイダーが道を歩いていると、突然入る。要するに劇の盛り上がりとまるっきりシンクロしていない。しかも肝心なところは音楽がなかったりする。スゴい使いかただと感動した。映画青年的に言うと、そこにいちばんマイッた。「やっぱ、ハリウッド映画とぜんぜん違うよな」って。そこには明らかに監督の意図がある。だから音楽が入るタイミングに関しては、いまだにゾクゾクする。なんとかしてこの演出を真似したいと思ったし、川井(憲次)くんや音響監督の若(若林和弘)に相談して試そうとしたことすらある。出合い頭にいきなりテンションの上がった音楽を、1フレーズ、4小節でいいから挿れてみるとかね。でも、「アニメでやっても効果ないと思うよ」という結論になってしまう。それは『ニルスのふしぎな旅』や『うる星やつら』のときにも、名音響監督の斯波(重治)さんに「実写の挿れかたとは根本的に違いますから」と諭された。アニメーションの音楽は「補完的」にしか使いようがないんだって。本当かなと思って、何度も試したんだけど、たしかにあまりうまくいかない。やっぱ心理線に沿って挿れるのがいちばん効果がある。でもベルトルッチの映画は、特にこの映画なんだけど、出合い頭なんだよね。いきなり、一発かまされた。しかも何回見ても、同じところでやられちゃう。

──それはベルトルッチだけのテクニックなのでしょうか?

押井 最近のゴダールがこれに近いかな。映像と音楽に関して、今いちばん上手い監督って実はゴダールだと思う。特に音楽の編集の仕方がめちゃくちゃ上手い。音声もそうなんだけど。音楽と音声と映像、この3つの要素をどういうふうに、切り刻んで、流してみせるかって、いちばん高級な演出だよ。これが上手い人って滅多にいない。スピルバーグなんてウソみたいに単純で、映像と音が完全にシンクロしちゃっているからテーマ曲しか記憶に残らない。

──『ジョーズ』(75)や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)ですね。

押井 『インディ・ジョーンズ』のタタ、タタ〜ってやつね。あのテーマ以外なんにも憶えてない。要するに効果音と一緒だから。ベルトルッチって、そういう意味でいうと、音楽の印象がスゴく強い。もちろん名だたる作曲家やアレンジャーと組んだから、音楽自体も当然いいんだけど。『ラストエンペラー』(87)だって様式美だけだからぜんぜんつまらない映画だけど、坂本龍一の音楽だけは素晴らしい。

──『ラストエンペラー』は様式美が素晴らしいじゃないですか?

押井 だけど様式美や映像美は「監督」を語る糸口にはならない。実写映画の映像美はキャメラマンの世界だから。もちろんいい撮影監督と組むのは大切だし、自分もスタッフィングでは真っ先に考えるけど、ベルトルッチを映像美で語るのは違わないか? ってこと。ついつい映像美で語ってしまうことがまさにそうなんだけど、本質的なテーマが見えにくいということが、ベルトルッチを語りづらい監督の1人にしてしまっている。

押井守の映画50年50本