1972年『ラストタンゴ・イン・パリ』編

階級社会としてのフランス

来年発売予定の書籍『押井守の映画50年50本』から1972年の1本をピックアップ! 大学生だった当時の押井青年のこころを捉え、いまも魅了してやまないその1本とは? 好評だった前回のコラム『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』に続いて今回はどんな話が飛び出すか?


──押井監督には1972年の1本としてベルナルド・ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』を選んでいただきました。

押井 この映画は、たぶん封切りで見たはず。だから大学3年生のときだね。映研の先輩が「すげえ陰惨な映画だ」と言ったのを憶えている。マーロン・ブランド演じる中年男の陰惨な内面を描いた映画。死にたくてしょうがないオッサンが、最期にセックスにしがみついている。

──ベルトルッチがその前に撮った『暗殺の森』(70)とは方向性が異なります。

押井 日本でベルトルッチが最初に注目されたのが『暗殺の森』で、僕も『暗殺の森』でベルトルッチの名前を憶えた。基本的にテロリストの系譜の監督なのかなという印象があったので、たしかに『ラストタンゴ・イン・パリ』はちょっと意外だった。政治的な要素も実はあるんだけど、一見すると政治的な映画ではない。テロとかじゃなく、中年男と奔放な若い娘の、愛欲のドロドロを描いている。だから「なにを見に来たんだろう?」という意外性があった。マリア・シュナイダーが脱ぎまくって、マーロン・ブランドと延々ベッドシーンをやっているという情報は伝え聞こえていたので、日本ではそれで盛り上がっていたのだけど。でも肝心のヌードもボケボケだった(笑)。

──公開当時のボカシ処理ですね。

押井 のちにマリア・シュナイダーのヘアヌード無修正版がDVDで出たから見直したんだけど、モザイクのあるなしを別にすれば、最初に見たときの印象とぜんぜん変わらなかったね。

──そのマリア・シュナイダーが演じているのはブルジョアジーの娘です。

押井 奔放だけど実はブルジョアな女という設定。その階級の壁が、マーロン・ブランドの前に立ち塞がってけっきょく撃ち殺されてしまう。フランスって、ものすごく階級社会だから。「フランスこそヨーロッパだ」っていう意識がむき出しじゃない? だから核も自前だし、戦闘機も自前だし、戦車も自前だし、国の身幅に合ってないことを延々とやっている。まあそれはいいんだけど(笑)。マーロン・ブランドが最後の最後にブルジョアの住宅街に紛れ込んで、野良犬みたいに撃ち殺される。そこでようやく「もしかしてそういう映画なの、これ?」って話になる。前半どころか、終盤までのあの愛欲のドロドロっていったいなんだったの? そもそもタンゴ自体が、マリア・シュナイダーを追いかけていって、最後のシーンでやっと出てくるだけ。それまで延々となんにもないアパートの、空き部屋みたいなところにマットレスを敷いて、コネコネやっているだけだから。

押井守の映画50年50本