6-1.国立編 多和田葉子『犬婿入り』〜谷保天神のニワトリ

 国立駅で降りて南に向かうと、整然とした町並みが続く。桜並木のある広い大学通りの両側が一橋大学のキャンパスで、その周りにはかなり高級な住宅街が広がっている。もちろん学生もたくさん住んでいるから、書店も多い。僕が好きなのは増田書店で、特に地下には、田舎の本屋とは思えないほど専門書が並んでいる。

 他にもお洒落な洋書店、北欧雑貨の店、カフェなんかが点在している。国分寺と立川という、良くも悪くも地元感の強い2つの街に挟まれているのに、国立だけはとってもハイソで人工的な感じだ。一駅違うだけで、収入も地価もだいぶ上がる、というか。

 僕が好きなイタリアン・レストランの『文流』もここにある。文流というのは文化交流の略で、もとはイタリア語の書籍を売る会社だったらしい。もっとも、僕はイタリア語は読めないから、お世話になるのは食事のほうだけだけど。

 ここのシェフは翻訳家のくぼたのぞみさんの息子さんだ。だから、たまにくぼたさんや他の人も交えて食事会をする。本場仕込みの料理はどれもとても美味しい。時々は厨房からシェフが出てきて、くぼたさんと親子の会話をする。

「またオリーブオイルちょうだい」なんて言っている姿は完全にお母さんで、それに対してお洒落レストランのシェフが「はい」なんて神妙に答える。その周囲との違和感がいい。ああ、どんな人にも家族があるんだなあ、と思うと、少し心が温まる。

 以前食事会のメンバーにイタリア文学の和田忠彦先生が加わったことがあった。「ここの会長が若いころ、イタリア語の本を背負って京都まで売りに来てね。よくお世話になったもんだ」なんて、わりと恐めな昔話をしてくれる。

 すると店の奥から年輩の紳士がすっと近づいてきた。なんと文流の会長本人だと言う。店に和田先生が訪れると聞いて、わざわざ挨拶に来たんだとか。『文藝春秋』の旧友交歓みたい。すごいシーンを見せてもらった。

『文流』のメニューは全部イタリア語で書いてあり、なおかつ、タリアテッレみたいな謎の用語が並んでいるので、ふだんは注文に苦労する。フロアの人に、これはどんな料理? 何が入っているの? どんな味? なんていちいち訊かなくてはならない。

 でも和田先生は違った。全部の項目を理解した上で、フロアの人に細かく質問している。気づけば「てにをは」以外、ほとんどイタリア語で会話していた。しかも、メニューにないものまで注文したらしい。一体どうやって? で選んでもらった料理は、当然ながら絶品だった。

北と南にわかれた街

 さて、こんな素敵な国立の街だが、南にずっと下って行くと、途中で様子が変わってくる。富士見台第二団地というUR住宅があるあたりから、縦横の整然とした町並みは斜めに傾き、南部線の谷保駅から南は、甲州街道以外、畦道のような細い通りばかりになる。

 雰囲気だって違う。北側がぱりっと明るい近代的な雰囲気だとしたら、南側はもやっと暗い、なにやら農村っぽい。懐かしい昭和の感じというか。そのただ中に、僕の大好きな谷保天満宮がある。

 福岡編でも書いたとおり、僕は好き過ぎて太宰府天満宮に何度も通っている。でその愛が高じて、全国の天満宮への気持ちが盛り上がってきた。だから湯島天神なんかも好きだ。そして学生時代の僕が、こっそり深く愛していたのが、この谷保天満宮である。

 何しろ森に囲まれているのがいい。しかもあまり人がいないのもいい。ガランとした境内では、大量のニワトリが歩き回っている。放し飼いだから、全員が好き勝手にしている。僕はここで、ニワトリは飛ぶんだ、ということを知った。

 そこそこ大きな羽根をバサバサバサと揺らして、気づけば意外に高くまで飛び上がっている。そして木の上からこっちを見る。人がいないから、ここでのお参りはそのまま、ニワトリとの勝負となる。どうしたら勝ち負けが決まるのかはわからないけど。

 この神社で、人生の方向がさっぱり見えない当時の僕は、学問や恋について多くをお願いした。もちろんそれらの多くは、自分の努力なしにはかなわないものだけど、それでも祈ると気持ちが落ち着いた。そして、心が静かになれる場所は、人間にとって貴重だと思う。

ニワトリと暮らす南側

 さて、国立の北側と南側の違いは多和田葉子の『犬婿入り』でも扱われている。北側を象徴する団地はこんなふうだ。「なにしろこの団地では団地文化が始まって三十年の間に、自分の家の中は毎日きちんと片付けても外の通りに捨てられていた気味の悪い物には触らない伝統が定着し、道の真ん中に車にひかれた鳩がつぶれていても、酔っぱらいのウンチが落ちていても、それを片付けるのは市役所の仕事と決めつけていて」(80ページ)。

 自分の領域はきれいにしても、外には一切干渉しない。そして汚い薄気味悪いものは、別の誰かに任せてしまって、自分たちからは切り離してしまう。いったんこうした文化が定着すれば、やがて自分たちの規範にそぐわない人々を排除するようになるのは目に見えている。

 と言って、批判するのはたやすいが、実はこれは、現在の僕らの姿でもある。小ぎれいで理解しやすいものが好きで、逆に汚かったり分かりにくかったりするものが嫌いだ。全ての答えはスマホでググれば出てきて、好きな店は全部モールの中にあり、全国チェーンの味で満足してしまう。こう言ってみるとつまらなく聞こえるが、その中にいる僕らはけっこう快適に暮らしていたりする。

 だが、国立の南側は違う。「北区に人が住み始めたのはせいぜい公団住宅ができてからのこと、つまりほんの30年ばかり前のことで、それに比べて多摩川沿いには、古いことを言えば、竪穴式住居の跡もあり、つまりそのような想像も及ばない大昔から人が暮らしていたわけで、稲作の伝統も古く、カドミウム米の出た60年代までは堂々と米を作っていたし、また〈日本橋から八里〉と刻まれた道標の立っているあたりは、小さな宿場町として栄えたこともある」(89ページ)。

 古代から人が延々と人が住み、台地を耕し、生き延びてきた南側には歴史が積もっている。だからそこここで縄文時代や江戸時代の断片が顔を出す。それは現在の目では、時に汚く理解できない。たとえば、どうして道がそんなに狭く曲がりくねり途中で途切れるのか、そしてやたらとニワトリが歩いているのかわからない。道は真っ直ぐ太くして、動物は檻に入れて管理したほうがよっぽど便利で効率的ではないか。

 どうして道がそうなのかと言えば、そこに田畑があり、高低差があって、それらをきちんと反映していたからだ。人間が歩くことを基準に作られた道には、自動車を基準としたものとは違う合理性がある。そしてどうしてニワトリがいて、おまけにキツネまでいるのかと言えば、人間と動物は長く、家族や隣人として暮らしてきたからだ。

別のものが侵入してくる

 大人たちは北側の清潔さの論理の中で満足している。けれども子供たちは違う。だから大挙して南側に向かう。南側の元農家には、みつこ先生の塾があるのだ。「子供たちは塾へ行く日が来ると、まるで団地の群から逃れようとでもするように、せかせかと多摩川の方向へ向かい、広い自動車道路を渡って、神社の境内の隣を通って、梅園をこっそりくぐりぬけて近道し、北村みつこの家の垣根の壊れたところをくぐりぬけて、庭に跳び込んでいくわけだった」(90ページ)。

 どうしてみつこ先生の塾に行きたいのか。彼女は団地の論理の中では相当に変わっている。サングラスをかけ、桜の木の下でポーランド語の本を読んでいる。39歳なのに結婚しておらず子供もいない。子供たちには、一度使った鼻紙は濡れたままもう一度使え、三度目はお尻を拭けと教える。ニワトリの糞を煮て作った膏薬を肌に貼り、女の子たちの前で大きな乳房をボロリと出す。

 大人たちは彼女を受け入れられない。けれども子供たちは夢中だ。エッチで汚くて、しかもどの大人も知らない遠い世界のことを知っている。その上、彼女は寛容だ。髪の毛を洗わず靴下も履いていない、太った扶希子ちゃんが他の子供たちに鼻くそをつけられていると、全員に鼻くそを貼りつける手帳を配っていじめを解決する。

 子供たちの行動は、大人たちの丸映しだ。汚い理解できないものを見下し排除する。だがみつこ先生は違う。ただいじめを禁じるのではなく、ノートに鼻くそを集めるという別の楽しさを提示する。別の論理を導入して、きれい/汚いの二項対立を解消してしまう。子供たちは彼女のそうした力を直感的にわかっている。

 突然、みつこ先生のところに犬男の太郎がやってくる。太郎は突然みつこ先生の肛門を舐め、延々と臭いを嗅ぎ、彼女と交わったあと急にもやしを炒め始める。部屋を掃除しながら蜘蛛の巣をどんどん食べる。美しいみつこ先生の顔をろくに見ない。彼女は普通の男にない太郎の魅力に夢中になる。子供たちも、太郎の姿が見たくてたまらない。

 普通の会社員だった太郎は林道で犬の群れにおそわれ、そのときに何か悪いものに取り憑かれてしまったらしい。だがみつこ先生はそんなこと気にしない。太郎から、臭いで多くのことを知るやり方を学ぶ。そして自分の感情が変わると、自分の体臭も変わることに気づく。彼女はそうやって、自分の中に秘められていた動物的な感覚を目覚めさせるのだ。

 今や日本を代表する作家となった多和田葉子は、国立の北側と南側の境界に位置する富士見台第二団地の出身らしい。そしてこの作品に限らず、論理と合理性に支配された世界に、音や感情や臭いなどを通して、別のものが侵入してくる情況を好んで描いている。

 現代社会という国立に住んでいる僕らは、その外に出ていく方法を彼女の作品の登場人物や動物たちから学べる。そのとき大いに喜んでいるのは、僕らの中に元々住んでいた小さな子供たちだ。

参考文献
多和田葉子『犬婿入り』講談社文庫、1998年。


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