4.宇多田ヒカルさんの歌詞について/きみではなく、きみの人生へ。

 まず、この歌詞を見てほしい。

どんな時だって
たった一人で
運命忘れて
生きてきたのに
突然の光の中、目が覚める
真夜中に
(※1)

「運命を忘れて生きる」、それは特異なことではなく、むしろ普遍であるだろう。運命をいつまでも信じていれば、むしろ「現実を見ろ」と諭されてしまう。でもだから、次の「突然の光の中、目が覚める」が映えるのだ。普通に生きて、当たり前に暮らしていた彼女は、「突然の光」によって目を覚まし、そこで知る。自分が、「普通」と信じていた場所が、実は真っ暗な、光一つない場所であったということを。

 宇多田ヒカルの歌詞は、歌われることで何倍にも力を増していく。運命を忘れて生きてきた、という前半部が、「突然の光の中」というそれこそ突然の言葉で、強い光を浴びたように、真っ暗な影を生む。これが歌の言葉でなく、紙に印刷された言葉だったら、この「突然さ」は和らいでしまうだろう。紙には全文が最初から印刷され、「突然の光」もまた、視界の中にありつづけてしまう。歌詞は、声だからこそ、「突然の」登場が可能となる。どんな言葉が次に現れるのか、歌われる瞬間までわからない。そうした歌における言葉のあり方が、最大限活かされるよう宇多田ヒカルの歌詞は紡がれている。それは、「目が覚める」という言葉が登場するまで、身体を意識させる言葉が一切登場しないことや、「真夜中に」が最後に置かれていることにも現れている。抽象的な「運命」という言葉から、具体的な「肉体」へと、聞き手の意識が動くその流れに合わせて、光によって闇に気づくという、変容を描く。だからこそそこには、実感が生じているのだと思う。

 ひとは、時間を意識しつづける存在だ。いつか死にゆく運命、忘れられていく運命。時間の経過によって感情は生まれ、そうして消えていく。時間は人生とは切り離せない存在であり、だからこそ、時間に大きな影響を受ける歌の言葉は、より生々しく人々に届くのかもしれない。自分とともに老いていってくれるのではと、ふと期待するような、そんなきらめきがあるのだろう。

 ところで、ポップでメジャーな表現を求めると、メッセージの色数を減らしていくのが一般的な流れのように思う。愛はすばらしいものだね、とか、友達って最高だね、とか。ほんとうはそんな単純なわけもなく、すばらしくても良くないこと怖いことがたくさん付随しているはずだ。でもそれを極端に取り払って、メッセージの純度を上げていく。けれど、彼女は物事の陰影に対して、そうした安易な省略を強く拒んでいるように見える。

 前述した「光」は、運命のような出会いをした主人公の歌であり、「光」とはその相手のことを指す。とても幸福な愛の歌だ。しかし一方で、光がなければ、彼女は自分のこれまでの日々を、いつまでも「普通のことだ」と思っていられただろう。その日々が、暗闇であったなんて気づかずにいられたはず。幸福になるということは、過去をより不幸に捉えてしまうことでもある。ひとの人生は、ただ一瞬のためにあるわけでもなく、その人の積み重ねてきた悲しみや喜びは、たとえ、素晴らしい幸福を前にしても、「なかったこと」にはできない。そのことを、宇多田ヒカルの歌詞は誤魔化さずにいる。ハッピーをハッピーと歌うことは、嘘になるのかもしれない。すべての幸福には、それを手にした「ひと」がいて、そのひとには、長い長い「人生」がある。そのすべてへと、染み渡る言葉を紡ぎつづける。彼女はいつだって「人」へと、歌いつづけている。

 メッセージを抽象化し、多くの人に届く歌詞にしながらも、現実にないような幸不幸のメリハリや、喜び悲しみの濃淡をつけることはない。だから宇多田さんの歌は、たとえ恋に浮かされていなくても、悲しみに飲まれていなくても、寄り添ってくれているように感じられる。喜びや不幸が心を染めて、世界が一瞬とてつもなく明るかったり暗かったりするときだけでなく、ただ電車に乗って会社に行くときでも、彼女の歌は「リアル」でいてくれる。そうして、いつも新しくもあった。

ウソもホントウも口を閉じれば同じ
(※2)

 多くの人がずっと考えていたようなことを、彼女はぱっと別方向から捉えて、言葉にする。嘘や本当のこと、私も考えてきたはずなのに、「口を閉じれば同じ」って、思ったことはなかった。彼女の言葉の鮮烈さは、何より、この視点のさりげない新しさにあるように思う。「こっちから見れば、こういう風に見えるんだよ」とさらりと教えられたときの驚きは、きっと、具体的な悩みやシチュエーションの描写に共感したときより、いつまでも自分に響きつづける。時間が経てば、「嘘」も「本当」も姿を変える、だから宇多田さんの視点を借りて、見える風景も変わるのだ。生きた分だけ、驚きさえ更新され、私は、自分一人では見られなかった方角から、自分の人生を眺めていける。退屈になどなりやしない、慣れることもきっとない、それでも、置き去りにされることもすることもなく、いつまでもすぐそばで新鮮な言葉を聴いていられた。彼女の歌は、一緒に歳をとってくれていたのだ、本当に。そんな歌に出会えること、そう思える瞬間が、人生にあるということは、それこそ、突然の光。目を覚ますようなできごとだろうと、私は思う。


※1 宇多田ヒカル「光」
※2 宇多田ヒカル「In My Room」