5-1.福岡編 絲山秋子『逃亡くそたわけ』〜故郷としての言葉

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 小学校低学年のころだろうか。僕は悩んでいた。他の子のお母さんは丁寧な言葉遣いなのに、どうして僕のお母さんはそうではないのか。たとえば、他の子の家に行くと、お母さんが出てきて言う。「あら、こうちゃんっていうの。よろしくね。よしおちゃんと仲良くしてね。お菓子よ。これ、おいしいわよ」でも家は違う。「お菓子あるよ。食べな」ぐらいで、なんというか、いわゆる「お母さん」感がない。

 あるいはお父さんだ。他のお父さんは自分のことを僕とか私とか言っているのに、僕のお父さんは絶対に「わし」である。「わしも食べる~」とか、「わしにもくれ~」とかいつも言っている。自分のことを「わし」という人は、他にはマンガ日本昔話に出てくる人、それから本にでてくる、年寄りの偉い人だけだった。ということは男性は僕、私を経て、年を取ると「わし」に至るのではないのか。なのになぜ、まだ30代の父が「わし」というのか。

 他にも謎があった。家の中だけで通じる言葉がたくさんあったのだ。僕や妹が騒いでいると「しゃーしい!」と言われて怒られたし、いろいろと大変な状態は「きたわるー」だった。どういう意味なんだ? どうしても、というときは「しゃっちが」とか言っていたし、怒るときは「はらかく」だ。一つ一つの表記が謎で、正確な意味も謎だった。親が使うのを聞いて、なんとなくニュアンスは掴んでいたが、自分では絶対に使わない。ましてや学校では言ったこともない。なんとなく、家の外では言ってはいけない言葉、というふうに思っていた。

 今になれば、これがどういうことかわかる。父と母の出会いは福岡で、だから二人にとっての共通語は福岡弁で、そろって東京に出てきてからもその状態を変えていなかっただけだ。けれども当時僕にはまったく説明がなかった。というか、今もない。たぶん両親は、福岡弁をしゃべっているという意識もなかったのではないか。福岡弁ネイティヴの人が考える標準語を話していた、というか。それでも語彙やイントネーションは微妙に周囲と違っていて、その違いに当時の僕は過剰に反応していたのだろう。

上京と移民

 だから、今になってアメリカの移民文学を読んでいると、登場人物の気持ちがよくわかる。たとえばジュノ・ディアス作品の登場人物は、家の中ではスペイン語で話して、外では英語で話す。両親のしゃべるスペイン語が恥ずかしいんだけど、でも同時に、心の奥底まで入っているから、懐かしく、大切なものにも感じる。温又柔さんの書く、台湾から来たお母さんの言葉もそうだよね。台湾語、中国語、日本語が混ざって、地球上で他の誰もしゃべっていない言葉が生まれる。主人公の女の子は最初、お母さん、ちゃんとしゃべってよ、なんていっているのに、気づいたらそのお母さん語が、彼女にとっての故郷にもなっているのだ。

 僕がそうした両親の言葉の魅力に気づいたのは、割と長めに福岡に里帰りしたときだ。もう大学生だったかな。いとこたちもだいぶ大きくなっていて、何日も続けて、あれこれ一緒にしゃべり続けた。祖父母や両親の世代はそれでも、標準語をほとんど完全にマスターしていて、僕とそんなに変わらない言葉を使ってくれるのだが、中高生は容赦がない。部活やゲーム、博多山笠なんかの話を、ものすごく濃ゆい福岡弁でまくし立てる。

 彼らの話す言葉が面白くて、何時間もしっかりと聞きながら答えているうちに、奇妙な現象が起こった。なんと、習ったことのない福岡弁を、僕も一緒にしゃべりだしていたのだ。もちろんド下手なことは確かだが、それでも音や流れはきちんと掴んでいたと思う。なんだか、自分が自分じゃなくなったみたいだった。気分が良いのでどんどんしゃべった。

 たぶんだけど、両親の語る福岡弁っぽい標準語を聞き続けて育ったために、福岡弁の感覚が僕の中に、知らず知らずのうちに蓄積していったのだろう。それは、九州系移民2世の自分にとって、こっそり誇らしいことだった。今でも自分にとっては、一度も住んだことのない福岡こそ「帰る」場所だ。それだけではない。福岡弁の響きもまた、自分にとっては故郷のような気がする。

福岡の精神病院から南へ

 絲山秋子の『逃亡くそたわけ』の主人公である花ちゃんの福岡弁も濃ゆい。怒ると「ぶりばりむかつくったい!」(70)と叫び、阿蘇山でいきなり団子を食べると、「ばりうま! 高級じゃなかばってん、懐かしい味のするっちゃんね」(81)と感激する。正直、東京出身の絲山がどうしてここまで生々しい福岡弁を書けるのかまったくわからない。でも花ちゃんの元気な言葉を聞いていると、それだけで彼女が大好きになる。

 さて、どうして福岡に住む花ちゃんが阿蘇山にいるかというと、旅行中だからだ。それもただの旅行ではない。躁鬱が悪化して、なおかつ幻聴も強い彼女は実家で暴れたあげく、福岡の西新にある精神病院に閉じこめられていた。テトロピンという強力な薬を処方され、朦朧とした状態に陥った彼女は、このままでは廃人になる、と焦る。「どうしようどうしよう夏が終わってしまう。二十一の夏は一度しか来ないのにどうしよう」(9)。そしてこのプリズンから逃亡する決意をするのだ。

 と言っても一人では心許ない。そこで道連れに選んだのが、NTT職員で鬱で入院中のなごやんだった。二人でこっそりと病院を抜け出し、親爺のお古である四角いルーチェで、二人は南を目指して旅に出る。この際、鹿児島まで行ったら行き止まりでは、なんて突っ込んではいけない。行き止まりまで来たらそのときで、また考えればいいのだ。

 なごやんには一つ謎がある。決して名古屋弁をしゃべらないのだ。というか、最初は東京から来た、と他の患者たちには言っていた。単に慶應大学を出ただけで、その前はずっと名古屋だとばれたのは、両親が見舞いに来たときだ。それでも名古屋弁をしゃべる両親の前で、なごやんは標準語を話し続ける。一体誰に対して隠しているのか。そんななごやんが名古屋で愛するものはただ一つ、シキシマ(パスコ)の銘菓「なごやん」だった。こうなればもはや、周囲にもなごやんと呼ばれるしかない。

 花ちゃんとなごやんは中津から国東半島に出て、別府経由で阿蘇山に入り、九州を縦に貫く山道を延々と南下して、ようやく宮崎市に出る。その間も、花ちゃんは隣に止めてあったポルシェに何度も突っ込んでバキバキに壊す。途中でルーチェの中のパイプに穴が空き、あわや走行不能になりかける。マツダのディーラーで修理して、二人はやっと鹿児島まで辿り着く。そして鹿児島半島の南端である指宿に至って、何か大事なものに気づくのだ。

対照的な故郷との向き合い方

 花ちゃんとなごやんの郷土愛は対照的だ。花ちゃんは九州より食べ物がまずいところはみんな下だと思っている。そして福岡の食べ物がこんなに美味しい以上、東京だって下だと感じる。どうして食べ物がすべての基準なのかはよく分からないけど、体感としては腑に落ちる気がする。要するに、住んでいて気持ちが良いかどうか、ということだ。

 それに対して、なごやんは名古屋を恥じている。どうしてかと訊かれても、名古屋に生まれたら分かる、と繰り返すだけで教えてはくれない。代わりになごやんが愛しているのは東京だ。だから阿蘇山を見ても、東京の下宿から見えた富士山の方が偉い、と譲らない。そんななごやんに対して花ちゃんは思う。「なごやんはどこまでも東京オタクだ。東京人になりたくて、富士山を信仰しているのだ。英文科にはよくペラペラ喋れて原語で何でも読めてアメリカ人になったつもりのバカがいるけれど」(75) 。実際に英文科で先生をしている僕にとっても、花ちゃんのこの言葉はキツい。

 当然ながら、本音でありのままでいることを重んずる花ちゃんは旅の間中、なごやんの本心を聞きだそうと努力する。なごやんを虐めるようなことを言って挑発し、顔の上半分と下半分の表情が違うと見抜く。本当の気持ちは上にでるが、下半分は人にこう見られたいという表情をしている。花ちゃんの観察眼の鋭さには驚く。車に乗りながらたくさんの話をし、二人で多くの困難を乗り越えていく間に、恋愛とは違う、不思議な信頼関係ができあがっていく。

 だから、こんなに一緒にいるんだから一回ぐらいセックスしてもいいよ、と言った花ちゃんになごやんはこう答える。「いかんがあ」「恋人じゃない人としたらいかんて。俺じゃなくても、誰とでもそうだからね」(117)。あまりのことに焦ったなごやんは、ついに名古屋弁で話し始めるのだ。

 思うに、自分のルーツを否定し、自分の感情を否定し続けてきたなごやんは、だからこそ病気になったのではないか。天真爛漫な花ちゃんは、自分でも知らず知らずのうちになごやんと向き合うことで、なごやんを癒やしていたのかもしれない。自分自身でも良いんだ。その、はっきりとは言葉にならない教えがなごやんに染み込んだからこそ、自分が本当に望んでいるわけではないことを花ちゃんがしようとしたときに、なごやんのこの言葉が出たのだろう。

 そしてなごやんの存在もまた、花ちゃんにとっては癒やしになっていたのではないだろうか。実はなごやんの鬱は比較的軽くて、病院から逃げたときにはもう、そろそろ退院できそうな状態になっていた。それでもなごやんは文句一つ言わずに、花ちゃんの逃亡に付き合ってあげた。おそらく、無鉄砲な花ちゃんをなごやんは放っておけなかったのだろう。

 花ちゃんは発病後、大学の友だちも教師にも助けてはもらえなかった。暴れる花ちゃんを両親は恥じて、とにかく家に閉じこめておこうとする。そして最後は閉鎖病棟送りだ。薬の激しい副作用、排便しにくい和式のトイレ、そしてなにより、あまりにも不味い食事。気持ちが良いことが大好きで、とにかく人生を楽しみたい花ちゃんにとって、精神病院は辛い場所だった。

 けれどもなごやんはそこから連れ出してくれた。そして、長時間一緒にいてくれた。こんなにも側にいてくれる人がいる。だから自分も、無価値な人間ではないんだ。なごやんの一見、受け身の態度が、花ちゃんの怒れる心をだんだんに溶かしていく。そして指宿に着く頃には、幻聴の声が消える。もちろんまだ薬も飲んでいるけれど。逃亡の旅で二人は決定的に変わる。そして読んでいる読者も一緒に変わる。

参考文献
絲山秋子『逃亡くそたわけ』講談社文庫、2007年。

5-2.福岡編 東山彰良『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』〜太宰府の大きな楠 に続く


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