5-0.福岡編 プロローグ〜祖父の思い出

 好きな街はいろいろあるけど、愛しているのは福岡だけかもしれない。幼い頃から、数年に一度の里帰りをものすごく楽しみにしていた。東京、秋田、金沢と様々な場所を転々としてきた僕にとって、祖父母の住む福岡は、変わることのない唯一の故郷だった。

 とはいえ実は僕は福岡には住んだことがない。天神の病院で生まれて数週間、母の実家で過ごし、すぐに当時住んでいた千葉の家に移動してしまった。だからプロフィールには「福岡出身」と書いてはいても、半分しか本当ではない。それでも福岡には強い想いがある。

 福岡に行くのは決まって夏休みだ。新幹線での長旅を終えて香椎の駅に着くと、決まって祖父が出迎えてくれた。九州の黄色っぽい光のなか、さっさとタクシーのトランクに僕たちの大荷物を詰め込む。居間で一休みすると、親戚のおじさん、おばさんやその子供たちが集まってくる。

 宴席を賑やかに取り仕切るのはいつも祖父の役目だった。大いに飲み、食い、しゃべり、笑う。そういうときの祖父の姿はかっこよかった。聞けば、飲みの席を盛り上げる技術は、国鉄マン時代に磨いたものだという。僕が物心ついたときにはもう退職してしまっていたけれど、祖父の現役時代を一度見てみたかった。

 祖父が昔通った中州の寿司屋に連れて行ってもらったこともある。「きょろきょろするな、怖い人にからまれるぞ」なんて祖父に脅されながら、中州の繁華街を突っ切っていく。カウンターしかない小さい店で、僕と妹以外は大人しかいなかった。

「好きなものを言ってみろ」と言われて、うまく考えられず「ウニ」と答えたらウニばっかりたくさん出された。そこまでは好きじゃないけど。でも僕の反応に大将は無頓着で、「ヤクザがみかじめ料を取りに来たけど追い出してやった」なんて、教育に悪い話ばっかりする。

 そのうち他のお客さんが、「小学生の娘が妙に色気づいてきて困る」なんて言い出した。僕も小学生で、わかるようなわからないような話の内容にものすごく恐縮してしまう。それでも祖父は気にせず喜んで聞いている。「ここの大将は、高校を出て努力してここまで店を育て上げた。偉いもんだ」なんて言っている。

 ふだんの僕は、同年代の子供と遊ぶか、外国の児童文学を読むか、といった静かな生活を送っていたので、祖父と過ごす時間はやたら刺激が強かった。今思うと、祖父は子供との接し方がよく分かっていなかったのだと思う。だから、国鉄時代の部下みたいに僕を扱ってくれた。それがよかった。

 志賀島に一緒に行ったときのことも憶えている。もう僕は中学生になっていたかな。夏休みの宿題で金印のことを調べていた。二人でバスを乗り継ぎ、砂嘴である海の中道を通っていく。金印公園を見て、志賀海神社に参る。いつもは騒がしい祖父も、森の中にある神社では神妙に手を合せていた。帰りは船着き場から船に乗り、博多港まで戻った。湾内の海は静かで、キラキラしていた。

 天神で祖父と食事となると、決まって平和楼に行った。餃子を頼み、ラーメンを頼む。とはいえ、いわゆる博多ラーメンの豚骨スープではなく、もっとさっぱりとした白湯スープだった。時代がかった内装の広い店内では、たくさんのお客さんが集まり、くつろいでお茶やご飯を楽しんでいる。年輩の人が多いのは、ずっと昔から愛されてきたからだろうか。

 西鉄福岡の駅から電車に乗って、太宰府天満宮にもよく行った。楠の大木に触れ、お参りをし、おみくじをひく。梅ヶ枝餅を行きつけの店で買う、と祖父が言うので付いていくが、全然見つけられず、たぶんここだろう、という店で買ったのも憶えている。なにしろ店が多すぎるのだから仕方がない。

 大人になって、書店イベントや講演会で毎年のように福岡に呼ばれるようになった。福岡出身と言い張っているせいで、そうした機会が増えたのかもしれない。福岡のお客さんはものすごくよく話を聞いてくれるし、終わった後も、ずっと僕に話しかけてくれる。それが嬉しくて、延々と話し込んでしまう。

 そして暇を見つけては、平和楼で食事をする。太宰府に行き、わざわざ焼きたての餅をその場で食べる。時間があれば船に乗って博多湾を巡る。不便なのに、わざわざ海の中道にあるホテルにも泊まった。

 そうしていると、今の時間を過ごしながら、同時に祖父といた過去に戻れる。もうとっくに亡くなってしまった祖父が側に現われて、また僕と一緒に福岡の街を巡っているんだと思う。そして僕は、目に見えない形で今の自分を受け止めてもらい、これからのアドバイスももらっている。そうした実感がある。

 おそらく、街への想いとは、そこにいる人たちへの想いなんだろう。そうしたものは、たとえ彼らがいなくなっても変わらない。だから僕は福岡を愛し続けている。


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