4-1.吉祥寺編 太宰治「ヴィヨンの妻」〜公園とアルコール

 吉祥寺の街を歩いていると、けっこうな確率である人物に出会う。たとえば、東急百貨店のエスカレーターを上がっていると、反対側のエスカレーターを下がってくる男がいる。赤と白の横縞の派手な長袖シャツにもじゃもじゃ頭。あっ、と思うが、振り返ってももうそこにはいない。そしてしばらく経ち、忘れた頃にまた細い路地で行き違う。前と同じ服装だ。まったく予想外のタイミングで出会うから、たまに見かけるとすごく幸運に感じる。そして現実の中で『ウォーリーを探せ』をやっているような気になる。

 もうおわかりでしょう。横縞シャツの人物とは楳図かずお先生のことだ。怪作『まことちゃん』を読んで育った世代としては、親しみ深いような、神々しいような、複雑な気持ちを抱かせてくれる偉人である。彼がどうして吉祥寺に住んでいるのかはわからない。だけど知り合いに連れられて、井の頭公園の近くにある楳図先生の自宅の前にも行ってみた。高級住宅街の真ん中に、テレビのバラエティ番組で見たまんまの、パンチのある家が現われる。こうしたちょっと変った天才をふわっと受け入れている吉祥寺という街が大好きだ。

 井の頭公園やその周辺は、他にもユルめのスポットが多い。僕が好きだったのは焼き鳥の伊勢屋だ。公園横の伊勢屋はスターバックスの隣で、環境のことなど全然気にせず、焼き鳥の煙を大量に撒き散らしていた。なのでスターバックスのテラス席に坐ったが最後、鶏肉の煙と臭いに包まれることになる。でもみんな、伊勢屋の方が昔からあることを知っているから、別にしょうがないんじゃないの、という感じで見まもっていた。驚愕の大きさのジャンボギョウザも良かったな。結局きれいで煙の少ない店に建て替えられてしまったけど。

 公園に入ると、特に土日なんかはミュージシャンが勝手に歌っていたり、家族連れがいたり、カップルがデートしていたり、全体的にのんびりした感じだ。中央線沿線特有の、60年代から続く、フォークとかロックとかサブカルチャーっぽいものを日常的に楽しむ文化と言おうか。カフェも書店もそういう感じがするよね。よみた屋や百年といった力のある古本屋に入ると、何時間でもいられる。今でもたまに吉祥寺に行くとそういう店で、誰も読まなそうな絶版の岩波文庫を買い込んでニヤニヤするのが僕の趣味だ。

 さて、駅の北側にはそうしたサブカル指向が極まったハモニカ横町という一角がある。もともとは戦後の闇市だったらしいけど、70年の歴史の中で独自すぎる発展をとげた。まず通路が細すぎて見通しが利かない。急に魚屋があり、ジーンズ屋があり、手作りっぽさも残るお洒落なレストランで美味しいものも食べられる。外国製の雑貨や家電を売っているところまである。古い店も新しい店も、あらゆる種類の場所が極度に狭い場所に混在していて、お客さんも年代も性別もさまざまだ。こここそが吉祥寺の魂だと僕は感じる。下北沢では再開発で闇市だった一角は無くなってしまったけど、吉祥寺のここはなくならないでほしい。

木々で覆われる前の井の頭公園

 太宰治「ヴィヨンの妻」にも、井の頭公園からハモニカ横町のあたりが出てくる。主人公は20代半ばの女性で、幼い坊やを育てている。夫は有名作家の大谷で、彼女と籍も入れず、家に金も入れず、帰って来たと思ったらすぐにどこかに消えてしまい、そのまま何日も帰らない。だがある日、大谷が血相を変えて帰ってくる。そしてあとから、見馴れぬ夫婦もやってくる。聞けば夫は夫婦の店から勝手に金を持ち出し、そのまま逃げてきたらしい。大谷はナイフを振り回したあと、どこかへ行ってしまう。

 夫婦の語る情況はこうだ。夫婦は現在、闇酒を仕入れて酒場をやっている。大谷は戦時中から2人の店に通ってきているが、この3年間、飲み代を払ったことがない。だが複数の女性が時折、店を訪ねてきてはお金を置いていく。それでもとうとう借金がかさんでしまった。妻はその話を聞き、夫婦の店で働き始める。自分の給料でなんとか金を返そうと思ったのだ。店では人気も出て生活も充実してくるが、大谷のファンだという男に騙されてしまう。

 吉祥寺が出てくるのは、どうしていいかわからぬまま、坊やを連れた妻が電車の切符を買い、何気なく吉祥寺で降りるシーンだ。

吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変っていました。(126ページ)

あの樹木に覆われた公園が、かつて平地に池があるだけの状態だったというなんて知らなかった。しかも池の中には何もいない。ただきれいな水があるだけだ。妻は言う。「坊や。綺麗な小池でしょ? 昔はね、このお池に鯉トトや金トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまんないねえ」(126ページ)。かつて栄えたが今は何もない井の頭公園の風景が、頼る者もなく、どうしていいかわからない彼女の心の中をそのまま映している。そしてそのあと、彼女は駅周辺の露店街に行く。これはハモニカ横町のことだろう。

延々とただ酒を飲む男

 妻や居酒屋夫婦の口から語られる大谷はすさまじい。驚くほど酒が強く、しかもまったく金を払わない。それだけだったら普通、追い出されて終わりなのだが、なぜか彼には、相手に言うことを聞かせてしまう奇妙な魅力がある。だから突然訪れた大谷を夫婦は拒めない。それをいいことに大谷は勝手に酒を取りだしぐいぐい飲む。それが3年間も続くのだ。

 しかもその魅力は夫婦にだけ作用するわけではない。大谷男爵の息子で日本一の詩人だ、と女たちはのぼせ上がり、彼と次々関係をする。居酒屋に借金があると大谷に言われれば、彼女たちはどうにか払おうとする。どうやら大谷の上品さと弱さが、彼女たちを虜にしてしまうらしい。それを言ったら主人公である妻も同様だ。子どもはできたが、妻としては全く扱ってもらえない。むしろ大谷が作った借金を自分で必死に返そうとする。しかも決して彼を責めようとはしない。

 もちろん、大谷は確実にアルコール中毒だろう。ときおり禁断症状が出ているし、酒量は限りなく増え続けている。人を騙し、暴言を吐き、時に居酒屋の他の客と暴力沙汰も起こす。こうなっては本人もどうにもできないし、他人にも救えない。的確な治療が必要だとしか思えないが、終戦直後の当時に、そうした施設があったとも思えない。

 印象的なのはこのシーンだ。大谷の悪行をすべて聞き終えた妻は突然笑い出す。

思わず、私は、噴き出しました。理由のわからない可笑しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。あわてて口をおさえて、おかみさんのほうを見ると、おかみさんも妙に笑ってうつむきました。それから、ご亭主も、仕方無さそうに苦笑いして(116ページ)

どうして彼らは笑うのか。大谷の狂気に振り回され疲れ果てたあと、ふっと自分たちを俯瞰で見てしまい、この情況をまるでコントのように感じてしまったのではないか。もちろんそれは精神的な逃避とも呼べるかもしれない。それでも、戦争や破壊や死を経由し、常に続く絶望の中でまだ生き続けるには、こうした笑いの感覚が重要な気がする。どんなに悲劇的な情況でも、そうだからこそ人は冗談を言い、笑い続ける。こうしたところに、太宰作品のリアルさがある。

迷惑をかけ続けてくれる人

 そしてなぜ妻や居酒屋夫婦が大谷の言うことを聞くのか、という問いを立ててもいい。もちろんこうした記述が出てくるのは、大谷のモデルとなっているだろう太宰がナルシストだからだ、と突き放すのもありだ。だがそれでは、この作品の怖さは理解できないだろう。実はこうした人の心の動きは、太宰の実体験に基づいているのではないか。

 心の中に暗さや寂しさ、無力感があるとき、迷惑をかけ続けてくれる人はありがたい存在だ。不快ではあれ、常に自分と関わってくれる。つまりは自分を必要としてくれている。しかもここで酒を飲ませてくれなかったら死ぬ、と言われて飲ませば、そのたびに相手の命を助けられる。そして自分の存在価値を感じさせてくれるのだ。彼と関わっている間は、苦痛ではあるが孤独ではない。暴力的な関係は、恐怖と苦しみのせいで強烈な感覚を与えてくれる。しかも間違っているのは常に相手である以上、自分は清く正しく美しい存在でいられる。

 大谷は、そうした人間の心の動きを熟知している。いや、その知識がなければ、中毒患者である彼はそもそも生き続けられないだろう。けれどもこの関係には問題がある。酒量と暴力がエスカレートしなければ、関係は維持できないのだ。周囲の人々も大谷自身も、彼が中毒であることから精神的な利益を得ている以上、彼は酒を止められない。そんなことをすれば周囲の人々に不快な行動をしたり暴言を吐いたりできなくなる。しかも人は刺激にはすぐに慣れてしまうから、大谷は常に不快さを強めなければならない。

 だが人間の体には限界がある。ある程度以上の薬物を摂取すれば、必ず心身が破壊されて死ぬ。したがって大谷は自分の命を犠牲にすることで周囲の人々の孤独を癒やし、なおかつ正しい人間である、という彼らの感覚を維持している、ということになる。周知の通り、太宰はこの作品を書いたあと自殺した。だがもし彼が大谷のような生き方をしていたとしたら、そうでなくても遠からず死んでいただろう。

 同時期の「父」という短編には、「父はどこかで、義のために遊んでいる」(72ページ)という言葉がある。これはただの戯言ではない。ダメ人間として振る舞うことで、彼は自分なりに人々を助けているのだ。もちろんこうしたやり方が破滅に行きつくことは明らかだが。

参考文献

太宰治『ヴィヨンの妻』新潮文庫、1950年。


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