芸術作品を通すことで、世界のありようが分かる 飯田高誉インタビュー

----そういったことも含めて、人間というものを考えていかないといけない。

飯田 それを解き明かす1つの方法として、芸術作品を題材にして論議するというのが、一番良いのではないかと考えております。そのような経緯で今回この本を著すこととなったわけです。戦争に関しては、政治的な、あるいは経済的な視点での論議はいろいろされていますが、芸術作品に関しては十分ではないのですね(特に日本では)。ですからきちんと論議を尽くす必要があるし、公共の場で論議ができるようにしていかなくてはいけないのではないか、と考えているのです。

----太平洋戦争、第二次世界大戦中の戦争画は、かなり微妙な立ち位置にあるそうですね。

飯田 戦争画はいったん連合国軍(主に米国)によって接収されて、1970年に返還されたわけですけれど、これはいまだに「永久貸与」という形で、つまりは借りている状態です。それともう1つ、戦争画に対する論議が十分なされてない。ですから、そのまま、終戦から70年以上が経ってしまったわけです。このように戦後の総括がないままでは、いつまでも戦後は終わりません。ですから過去の戦争画についてきちんと検証して、さらに現代の作家たち、戦争の記憶の無い作家たちをも交えて、現代のグローバル化した時代状況の中で行われている戦争というものに接続していかなければならないと考えております。国と国との戦争から局所的な紛争やテロ、時代状況の推移とともに戦争の在り方がドラスティックに変容してきております。これも、この本で訴えたかったことですね。

「戦争と芸術」展を再起動、国内外での開催を準備

----本書は、京都造形大学で飯田さんがキュレーションした展覧会が元になっているとのことですが。

飯田 2007年から2009年にかけて、「戦争と芸術」展を4回にわたって企画しました。この展覧会のインスピレーションの1つとなったのは、ロンドンにあるロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された「アポカリプス」という展覧会です。黙示録的復讐と野蛮に満ちた権力構造に憑かれた集団的自我を歴史的な視点によって浮かび上がらせ、また現代社会の闇をも顕在化させたものです。参加作家はジェイク&ディノス・チャップマンや森万里子、ダレン・アーモンド、ジェフ・クーンズらです。黙示録的ビジョンに纏わる超歴史的な終末感や至福千年の意味を、ハイパーリアルな資本主義社会と重ね合わせました。日本と宗教を基軸にした西洋的コンテキストの違いを改めて考えさせられ、また、現代の社会的な状況においても、形を変えた戦争というものが起きているということを実感したわけです。それからもう1つは、義父と一緒に見に行った、かつて海軍兵学校だった場所ですが、今は海上自衛隊幹部候補生を育成する江田島にある第1術科学校所属の教育参考館で、そこで藤田嗣治や中村研一、そして横山大観などの戦争画を見たのです。これは、「戦争と芸術」展を起動させた大きな契機となりました。他にも、ロンドンにあるインペリアル・ウォー・ミュージアム(イギリス帝国戦争博物館と呼ばれているところです)のキュレーターと会い、そこで、アフガニスタン戦争、アウシュビッツ、そして国連の欺瞞的でダブルスタンダードな存在を訴求する映像作品、つまり近現代の戦争をテーマにしている美術館と出会ったのです。そういったことすべてつながって展覧会「戦争と芸術」展を京都で立ち上げたのです。

----さまざまなことが融合して、戦時中・戦後・現代の作家の作品を幅広く展示するというアイデアに結実したわけですね。

飯田 それから三島由紀夫ですね。彼は大正15年/昭和元年に生まれて、昭和45年に自死しています。戦争とのかかわりが深く、激動の昭和を駆け抜けた芸術家でした。実は戦時に彼は徴兵検査で引っかかって、結局戦地へ送り込まれなかったのです。それが大きなトラウマになり、三島由起夫という作家を形成し、表現を行う上でこのことが大きなドライビングフォースにもなったのでした。時代状況に翻弄された運命を自ら体現した作家だったのです。そして、三島由紀夫が自衛隊の東部方面総監室で自決したのが、昭和45年は1970年、大阪万博の年ですね。いわゆる高度経済成長のピークで、イケイケドンドンだった時代です。一方で、70年安保の年でもあります。だから三島由起夫という一人の作家を追っていくと、昭和の歴史が連続したコンテキストとして明確に浮かび上がってくるのです。戦争の記憶を携えた三島が表現してきた小説やエッセイ、演劇、映画「憂国」などは、古びるどころか現代日本に迫ってきております。実は、この本のライトモチーフ(示導動機)は三島由紀夫なのです。

----では最後に、今後の活動の予定を教えてください。

飯田 この本は私にとって今後たいへん大きな存在になるはずです。これをひ1つのきっかけにして、新たな「戦争と芸術」展を再起動させて、第5弾を国内外の美術館で開催する準備を始めました。本書の最後の章で取り上げたゲルハルト・リヒターにもうすこし深く関わり、彼の作品を核にして展開していきたいと考えています。

 その一方で、僕は映画も大好きで、特に映画監督デヴィッド・リンチの絵画をフィーチャーした展覧会を3回ほど企画しておりまして、1回目(2001年)にはリンチを呼んで関連イベントとしてトークセッションを行いました。今回の本ではリンチを取り上げておりませんが、彼は戦争、そして暴力を対象化した映画や絵画作品を生み出しています。「人間の心理的な状況を描写すると、それが時として戦争状態に陥っていることがある」という意味のことを語っています。いろんな抑圧的なこと、トラウマ、欲望の構造みたいなもの、これらを作品化している人ですから。ですから今度は、デヴィッド・リンチの展覧会を、「戦争と芸術」という視点でも企画していきたいと考えております。「戦争と芸術」は、私にとってライフワークになりました。(了)

飯田高誉(いいだ・たかよ)
1956年東京生まれ。1980年にフジテレビギャラリーに入社し、草間彌生など現代美術家の展覧会を企画し、1990年に独立、インディペンデント・キュレーターとなる。東京大学総合研究博物館小石川分館アート&サイエンス協議会企画顧問として現代美術シリーズを立ち上げ、「マーク・ダイオン-驚異の部屋」、「森万里子--トランスサークル」、「杉本博司-大ガラスが与えられたとせよ」など連続企画(2003〜2005年)。カルティエ現代美術財団(パリ)にて杉本博司(2004年)と横尾忠則(2006年)の展覧会キュレーション。「スクリーン・メモリーズ:隠蔽記憶」(水戸芸術館、2002年)ではゲスト・キュレーションを委嘱される。第一回「六本木クロッシング」展(森美術館)のキュレーションや第二回「堂島リバービエンナーレ:エコソフィア」展のアーティスティック・ディレクターを務める。また、COMME des GARÇONSの川久保玲の依頼によってアートスペース「Six」のアートディレクターに着任し、森山大道、デヴィッド・リンチ、草間彌生、横尾忠則、宮島達男、中平卓馬などの展覧会を企画。その他に映画作家のデレク・ジャーマン、ピーター・グリーナウェイなどアートワークによる展覧会を企画。京都造形芸術大学国際藝術研究センター所長、慶應義塾大学グローバルセキュリティ講座「政治とアート」の講師などを務め、青森県立美術館美術統括監を経て、現在、インディペンデント・キュレーター 森美術館理事
著者
飯田 高誉
定価
2,700円(本体2,500円+税)
仕様
A5判/288ページ
発売日
ISBN
9784845627752