ⒸPiyocchi
教育コンサルタントでいいんじゃない?
加熱するアメリカの受験戦争は、日本と同様に試験対策業界を潤してきた。日本の共通テストにあたるSAT(大学進学適正テスト)が改定された際にも、業界は「お気づきかもしれませんが、これはあなたの両親が受験したSATではありません」といった警告を発し、アメリカの入試が絶えず変化していることと、そのためにはプロの対策が必要であることを執拗に喧伝した。 (※1)
『バーシティ・ブルース作戦』でインタビューを受けている教育コンサルタントのひとり、ペリー・カルムスは言う。「アメリカのエリート大学に入りたければ、36点満点のACT(アメリカン・カレッジ・テスト)で34から36点、1600点満点のSATで1500点以上取らなければ話になりません」と。もちろん、シンガーの「サイドドア」もこの点は抜かりなく、SAT対策として、なんと自分の仲間を試験監督として潜り込ませ、クライアントの答案をそっくり書き換えさせていたという(でも、いったいどうやったらそんなことが可能なの? と驚かれた方は、ぜひ本編をチェックしていただきたい)。
また、アメリカの大学入試では、APテストの結果も重視される。APというのは「アドバンス・プレイスメント」の略で、本来はカレッジでユニバーシティ相当の科目を履修し、テストに受かれば単位も取得できるといったことを目的として作られた科目群であったのだが、1960年代になると多くの高校がAPコースを作り、1980年代になると入学審査においてもAPは重要な役割を果たすようになった。(※2)『バーシティ・ブルース作戦』に登場するもうひとりの教育コンサルタントであるバーバラ・カルムスは、APこそはトップ校をめざす受験生のプレッシャーのもとなのだと指摘する。
要するに、アドバンス・クラスをどれだけ履修できるかということにかかっているんです。オーケストラの授業は落とそう、だってそれを取らなければ代わりに科学の授業が取れる。そういった感じで、受験生たちはものすごいプレッシャーにさらされています。たとえば、高校が15のAPを提供していたとしても、そのうちの1クラスしか履修することができなかった生徒は、それだけで全米上位50位までの大学を諦めなくてはならないんですよ。(※3)
ちなみに、このバーバラは前述のペリーとともに〈AKALA〉(ヒンドゥー教の「教育の神」にかけた名称)という教育コンサルティング会社を経営しているのだが、たとえば同社のウェブサイトに掲げられた「第7学年(日本の中学1年生)の段階から、コース選択、課外活動、奉仕活動、夏休みの体験についてのアドバイスを行います」といった文言を読むにつけ、受験に近道なしというのは、アメリカも日本も同じなのだなと思えてくる。(※4)
だからこそ余計に、筆記試験をクリアするための努力もしなければ、大学が望むような学生生活も送ってこなかったセレブの子どもたちにとって、シンガーの「サイドドア」はさながらドラえもんがのび太にこともなげに与えた「どこでもドア」のごときものだったのだろう。
女優ロリ・ロックリンの娘にして、高校生の頃からインフルエンサーとして世間の注目を集めていたオリヴィアは、事件発覚後、BBCのインタビューで次のように答えている。
最初、この事件が明るみに出たとき、みんななんでそんなに怒ってるのかしら、って思ったのを覚えているわ。バカみたいに聞こえるかもだけど、私が育った「バブル(非現実なくらい恵まれた環境)」では、親たちはたいてい子どものために大学に寄付をしていたのよ。(※5)
オリヴィアはさらに「自分がこの事件の犠牲者だとは考えたくない」として、「こんなことがまかり通る世の中を変えていくために努力したい」とまで語っている。だが、果たしてそれが彼女の本心であるのかは不明だ。というのも、2025年の時点で彼女のインスタグラムのフォロワー数は70万人を超え、その私生活は絶えず週刊誌の記事を賑わせているけれど、そこに映し出される彼女たちの「バブル」には、何かが変わった気配など微塵もないからだ。
ハーバード大学 vs. 第2次トランプ政権
大学とカネの問題は、第2次トランプ政権で新たな展開をみせることなった。スーパーリッチの象徴のようなドナルド・トランプが、ハーバード大学を筆頭とするアメリカの名門大学に対して露骨な攻撃を始めたのである。
『ニューヨーク・タイムズ』の記事がまとめるように、2025年5月の段階で、政権はハーバード大学への22億ドルの研究助成金をカットし、6千万ドルの契約を反故にした。この他にも、あらゆる助成金や契約の見直しが通達されており、すべてが完了する頃にはさらに6億ドル規模の予算カットが想定されるという。 (※6)
巨額の寄付金がダメなら巨額の助成金カットだ、と言わんばかりのトランプ政権の暴挙。それはまるで「北風と太陽」のイソップ寓話を後向きに読み聞かされているかのようでもあり、とりわけ『バーシティ・ブルース作戦』からアメリカの大学の「歪み」を知ってしまった私たちにしてみれば、トランプ政権の「北風」を耐え抜くことが、たとえ名門校であっても本当にできるのだろうかと首を傾げたくなってしまう。
また、トランプの執拗なハーバード大学攻撃をめぐっては、「トランプの息子がハーバードを落ちたことの意趣返し」といった内容の噂がネットを中心に拡散し、ファーストレディのメラニア・トランプが公式に声明をだしてこれを否定するという事態になった。(※7)ことの真相は明らかになりそうもないけれど、セレブや権力者と大学の結びつきがかくもあからさまに語られる背景には、「バックドア」の存在に加えて、「レガシー」の優遇という、アメリカならではの慣習があることを思い出しておきたい。
ウィスコンシン大学ミルウォーキー校で教鞭を執るアキ・ロバーツは、研究者の父・竹内洋との共著『アメリカの大学の裏側』(2017)で次のように「レガシー」を説明している。
親や親戚が卒業生であるものは「レガシー」(Legacy)と呼ばれる。有名人の中にもレガシーは多い。ドナルド・トランプは、あまり教養の感じられない暴言からすると少し意外だが、アイビー・リーグのひとつのペンシルベニア大学出身である。彼は3回の結婚で子供が沢山がいるが、長女のイヴァンカ・トランプを含めて何人かは彼と同じ大学出身なのでレガシーである。(※8)
あらゆる差別の是正を目指すべき大学が、21世紀に入ってなお、なぜこのような古い価値観に縛られているのか。ロバーツは、「たっぷりもらえる寄付金が本当の目的」とする大方の意見を紹介しつつも、一方で、昔ながらの「階級の再生産」もまた重要視されているのだろうと指摘する。(※9)つまるところ、「レガシー」も「バックドア」も、「大学」という問題系にはとうてい収まらないほど深く、アメリカ社会の本質的な「歪み」に根差した悪習だったのである。
「隣人」としてのエリート
本連載のCh.1(働けどなお、わがくらしミドルにならざり ブルシット化で変質するアメリカの格差社会)でも論じたとおり、1980年代以降のテレビや映画は、「ミドルクラス」というものを主人公にしなくなった。2007年から2012年まで放送された人気ドラマ『ゴシップガール』でも、リッチな家庭の子どもたちは、なんだかんだでアイビー・リーグへの進学を決めていくから、私たちはいつしか、そういう「隣人」がこの世界にいることを当たり前のこととして受け止めるようになってしまったのかもしれない。
思えば、日本においても近年「東大生ブーム」が、主に地上波のテレビを中心に続いている。ネットフリックスでも視聴できるTBSドラマ『ドラゴン桜』(2021)の脚本監修を務めた西岡壱成は、Youtubeチャンネル「QuizKnock」(2017-)の人気や「現役東大生」のテレビ出演を例に挙げ、「このような流れの中で、東大生という存在は、どんどん「普通の」存在になっていった」と主張する。かねてより「東大生なんて、頭がいいだけで、社会に出てからは使えない」といったネガティブキャンペーンが存在したけれど、それに加えて、東大生のメディア露出は、彼らを「近くにある存在」にしていったと言うのである。(※10)
名門大卒という肩書きを「キャラ」のようなものとしてとらえ、学歴というものに固執する「隣人」として迎え入れようとする東大生ブーム。これに似た感覚をアメリカでドラマ化したのが、ネットフリックスのオリジナルドラマ『カレッジ・フレンズ』(2017-2019)だ。
物語の主人公たちは、いずれも40歳を目前に控えたハーバード大学の卒業生。1990年代後半に起きたクリントン大統領とモニカ・ルインスキーの不倫スキャンダルが共通の思い出でもある彼らにとって、2010年代の終わりは必ずしも理想の未来ではなかった。(※11)作家志望だったイーサンは、出版業界のYA(ヤングアダルト)ブームに挫折を味わい、彼との不倫を続けてきたアニーは、ハーバード大卒ではない夫から、なんとも歯切れの悪い苦情を聞かされるのだった。
夫 僕には、この食事会のコードってのが分からなくてね。
アニー コードなんてないわ。私はただ息子の恥ずかしい話をして欲しくなかっただけ。ああいう話をして場を盛り上げられるのが嫌なのよ、特に同級生との食事の席でね!
夫 ほらみろ、結局それなんだよ。残念ながら、僕は君といっしょにハーバード大学には通えなかった。彼らといるとき、君はいつだって僕に過剰に優しくしようとするけれど、そんなのブルシットだ。君は僕に、自分の家のディナーテーブルで黙ってろとでも言うのか? 君たちはみんな過去に生きてるけど、そんな過去は捨て去るべきなんだ。こんなにすてきな現在に生きているんだから。(※12)
夫の苦情がややこしいのは、基本的に彼が「ハーバード大卒」という妻の肩書きをなんとも思っていないからだ。それはすぐ近くにありながらも、自分とは関係のないステイタス。つまるところ、このドラマで問題とされているのは、夫婦間の格差などではなく、名門大学出身であることをちょっとウザい「キャラ」程度にみなす大衆の視線と、そうした視線をいまだ自分自身に向けることのできないハーバード大学卒業生たちの間に存在する、決定的な認識のズレの方だったのである。
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本稿に引用されているネットフリックスからの引用は、配信されている日本語・英語字幕を参考にして、引用者が翻訳したものである。
(※1)ダグラス、J・A『衡平な大学入試を求めて』九州大学出版会、2022、p.295.
(※2)ダグラス、pp. 264-65.
(※3)『バーシティ・ブルース作戦』、2021.
(※4)https://www.goakala.com/
(※5)https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-55243617
(※6)https://www.nytimes.com/2025/05/28/briefing/harvard-trump-funding.html
(※7)https://www.newsweek.com/melania-trump-denies-barron-applied-harvard-2077730
(※8)アキ・ロバーツ・竹内洋『アメリカの大学の裏側』朝日新書、2017、p.153.
(※9)ロバーツ・竹内、pp.157-58.
(※10)西岡壱成『学園ドラマは日本の教育をどう変えたか "熱血先生"から"官僚先生"へ』笠間書院、2025、Kindle.
(※11)ドラマ『カレッジ・フレンズ』シーズン1、エピソード8、ネットフリックス、2017.
(※12)『カレッジ・フレンズ』シーズン1、エピソード1.