はじめに ネトフリで知るアメリカのリアル

netflix.jpgⒸPiyocchi

ネトフリの誕生

自分の好きなタイミングで映画やドラマが視聴できるオンライン動画配信は、いまや私たちの生活に欠かすことのできないサービスだ。なかでも「ネトフリ」ことネットフリックスは、世界的シェアを奪い合うストリーミング戦争の覇者として、今世紀の映像文化の進化を加速させ続けている。

振り返ってみれば、いつどこでどんな映像を楽しむかという決定権が、大手メディアから(部分的にではあれ)私たち視聴者の手に委ねられるようになったのは、1980年代にレンタルビデオが一般化してからのことだった。ひとつの劇場で見ず知らずの人たちと時間を共有するのではなく、それぞれがてんでばらばらのコンテンツを消費するようになることで、大衆娯楽はいっそう民主化されたのである。

娯楽の民主化は、確かに私たちの暮らしを豊かにした。けれどもその一方で、皆が良いというものを皆と同じ時間に享受するといった大衆娯楽ならではの安心感が、世界のレンタルビデオ化によって失われていったことも事実だ。試みに、当時一世を風靡したマーク・コスタビの画集『ビデオ・レンタル・ストアが閉まっていて、悲しい』(1988)をめくってみれば、顔のない真っ白な人物たちの姿に、大量消費・大量レンタル時代を生きる大衆の、新たな不安を見てとることができるだろう。

その後、ビデオテープはDVDに取って代わられ、映像作品の物理的なサイズは格段に小さくなった。ビデオレンタル業の最大のネックは大量の在庫を各店舗に揃えることだから、DVDの登場は、既存のレンタルチェーン店にとってありがたい話であっただろう。しかし、このときすでに先見の明のある事業家たちの脳裏には、紙ほどに薄いディスクならば安い郵送費でのレンタルができるのではないかというアイデア──つまり、私たちはもはや「ビデオ・レンタル・ストアが閉まっていて、悲しい」という思いも、ストアに行きそびれたら多額の延滞料金を支払わなければならないという不安も、いずれも感じずにすむような時代が来るだろうというビジョンが浮かんでいた。

1960年にアメリカで生まれたリード・ヘイスティングスも、そうした事業家の一人だった。1997年、マーク・ランドルフとともに「ネットフリックス」なる会社をカリフォルニアに興した彼は、インターネットで注文をとり、DVDに収録された「フリックス=映画」を郵送で貸し出すというアイデアを、世界でも最初期に実現させることに成功する。

2000年代も後半に入ると、オンラインでの動画配信が(違法なものも含めて)主流となった。新時代の「チューブ=テレビ」を自負したユーチューブが、初めての動画をネット上に公開したのが2005年のこと。時代の変化を敏感に察知したヘイスティングスらは、2007年、DVDレンタル業からネットフリックスを切り離すかたちで、本格的にストリーミングサービス事業に乗り出した。

DVDからオンラインへといった主戦場の変更は、決して簡単なことではなかった。だが、独占配信権を獲得した外部スタジオ制作ドラマが立て続けにヒットしたことで、「ネトフリ」のブランド名は世界に轟くようになる。とりわけ、ブーム火付け役となったのは、BBCドラマのリメイク作品『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(2013-18)と、想定外の罪で監獄に入れられてしまった白人女性のベストセラー回想録を映像化した『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック 塀の中の彼女たち』(2013-19)の2作品だった。そして両ドラマの成功は、「イッキ見」なる現象を世界中に巻き起こした。

興味深いことに、当時のネットフリックス社は、社会問題と化したこのイッキ見現象について、独自のリサーチを行っている。その調査結果によると、多くの視聴者にとってイッキ見(英語で「ビンジ・ウォッチング」と呼ぶ)の定義とは、「2つから6つのエピソードをいちどに視聴すること」であり、そうしたイッキ見行為に対し「ストリーミングサービスの利用者の73%」は、なんら罪悪感を覚えていなかったという。これらのことから、同社はこの現象を一過性のものではなく、ネット時代の「ニューノーマル」であると結論づけた。(※1)  

2013年の段階でネトフリが提唱した「ニューノーマル」。それはもちろん、ポスト・コロナ時代の「ニューノーマル=新しい生活様式」とは関係がない。だが、イッキ見というネット時代の新しい視聴スタイルは、コロナ禍にあってステイホームを強いられた私たちの生活様式にみごとに合致し、2020年代後半に突入した今となっては、文字通りのノーマルな行為となっている。

アメリカ文化の教科書

かつて、アメリカ文化を学ぶためには、ハリウッド映画が一番の教科書と思われていた。しかし、インターネット時代のアメリカ文化を学ぶためには、このようなコンテンツ配信競争を勝ち抜いてきたネットフリックスの仕事を無視するわけにはいかない。

というのも、万人受けを至上命題としたハリウッド映画が、結果的にアメリカに都合の良い勧善懲悪の物語を量産してしまったのに対して、細分化された利用者の好みを満足させることでしのぎを削るストリーミング・サービスの世界では、アメリカの体現する価値観それ自体を相対化することなしには、グローバルな利用者からの高評価を期待することはできないからだ。そうした新たな物語作りの世界にあって、ネットフリックスのコンテンツの多くは、多文化社会における「インクルージョン(包摂)」の達成(あるいはその挫折)を主題としている。

前述したネトフリ共同創業者のヘイスティングスは、共著『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』(2020)において、「インクルージョン」の思想がいかにして同社の基本的な理念になったかを、以下のように回想している。

〔2016年から19年〕のあいだに、ネットフリックスの社員数も2倍に増えた。その大半はまだアメリカ国内で働いていたが、次第に多様なバックグラウンドを持つ社員が増えていった。ネットフリックス・カルチャーには、「インクルージョン(個々の違いを尊重し、受け入れる姿勢)」という新たな項目が追加された。それはネットフリックスが成功できるかは、ネットフリックスの社員がどれだけサービスを届けようとする顧客層を反映しているか、そしてネットフリックスの提供するストーリーが自分たちの人生や情熱を反映していると顧客が感じてくれるかにかかっているからだ。(※2)

2016年以降のネットフリックスは、たとえば1970年代のメキシコを舞台とした墨米共同制作の映画『ROMA /ローマ』(2018)のような、アメリカ合衆国の外へと目を向けた作品の配給に力を入れていった。近年でも、韓国の貧困層の苦しみを戯画化したデスゲームもののドラマ『イカゲーム』(2021)が、アメリカ本国に逆輸入されるかたちで一大ブームとなり、ゴールデングローブ賞(助演男優部門)受賞という快挙を成し遂げたことは記憶に新しい。

ライバル企業に先んじるかたちで「異文化」を商品化することに挑戦したネットフリックスは、世界をアメリカ流に物語ってしまうハリウッド作品を流通させることよりも、ネトフリ的なインクルージョンの思想をベースにした、世界各国の違いを尊重するようなコンテンツを積極的に配信することで大きな成功を掴んだ。そればかりか、こうしたネトフリ流の物語の広まりは、世界に伝播する「アメリカ」のイメージ形成にも影響を与え始めている。

インクルージョンの行く末に

周知のとおり、2025年に再始動したトランプ政権は、前年までバイデン政権が推進してきた「多様性、公正性、インクルージョン(DEI)」プログラムの廃止を宣言した。同年1月にBBCも報じているように、こうした政策の転換にあわせて、アマゾンのような大手IT企業は「社内の多様性プログラムを廃止する方針」を表明し、新政権の標榜するアメリカ第一主義と足並みを揃える意志を示した。フェイスブックとインスタグラムを運営するメタに至っては、「「多様性」を維持する取引先との連携を終え、〔...〕「公平性と包摂性」のトレーニング提供も中止し、「背景に関係なく、すべての人のバイアスを軽減する」プログラムを提供する計画」を打ち出しているという。 (※3) 

政治的圧力が日々強まる中で、はたしてネットフリックスはいかなる立場をとるのか。2024年の大統領選挙の頃より反トランプ色を鮮明にしてきたネットフリックスにとって、2025年はまさに、ネトフリがネトフリらしさを失わずにいるための正念場の年となるだろう。(※4) というわけで、本連載では、第二次トランプ政権前夜までのネットフリックスの歩みを、それぞれの映像コンテンツにおける「インクルージョン」の達成/挫折という観点から振り返っていく。

ストリーミング・サービスを開始してから20年にも満たないその歩みの中で、ネトフリが独自のセレクションにより語ってきた「アメリカのリアル」。その最新バージョンは、2024年の年末に公開された『イカゲーム』シーズン2でも確認できるだろう。とりわけ、あまりに過酷なデスゲームを継続するか否か、参加者一人ひとりが青い丸ボタンと赤いバツボタンを一回ずつ押していくことで決めていく投票シーンは、アメリカ地図を青と赤とに塗り分けた大統領選挙のあからさまなカリカチュアとなっているのだが、これはもちろん偶然ではない。というのも、監督のファン・ドンヒョクは、シーズン2の公開が、アメリカの選挙イヤーに重なることを見越して同作を撮影したからだ。(※5)

ドラマと現実の関係について、ファン監督は次のように語っている。

ゲームの参加者たちの小さな世界は、今の社会の縮図ではないかと問いかけたいのです......まるでひと事のように描くことでね。ご覧になる方が、"今の暮らしや自分自身が本当に彼らとは違うのか"と、改めて振り返る機会になることを願ってやみません。(※6)

たとえそれが「だるまさんがころんだ」のような無邪気な子どものゲームであったとしても、「ルール」を破ればたちまち射殺される『イカゲーム』の参加者たち。彼らがなすべきは、ルールを破るのではなく、ルールの本質を見抜いた上で、「無理ゲー」と思しき戦いを勝ち上がっていくことなのである。このように考えてみるとき、熾烈なストリーミング戦争を勝ち進んできたネットフリックスとは、まさしく現実版『イカゲーム』の勝者なのだろう。

ただし、同作の主人公ソン・ギフンが回を追うごとに理解していくように、すべての人間に対し平等に「一人勝ち」という夢を見させるアメリカ型ゲームは、「インクルージョン」(包摂)と「エクスクルージョン」(排除)という矛盾した思想を、どこまでも分離不可能なものとしてプレイヤーに突きつけてくる。ブラック・ライヴズ・マターやミートゥー運動など、アメリカはいつでも高度な人権意識を持つ国とされるが、一方でそれは、第二次トランプ政権が体現するあまりに極端なエクスクルージョンの思想が根強いことの裏返しでもあるのだろう。

インクルージョンを推進していたつもりが、気づけばエクスクルージョンを推進する側に加担していた──。そんな残念な事態を回避するための物語は、いったいどのようなかたちをとるべきなのか。ネットフリックスが配信してきた数々のコンテンツを見直しながら、そうした来るべき未来の映像文化についても、想いを馳せていただければ幸いである。

Ch.1 に続く>>>

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(※1)https://www.prnewswire.com/news-releases/netflix-declares-binge-watching-is-the-new-normal-235713431.html
(※2)リード・ヘイスティングス他『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』日本経済新聞出版、2020.
(※3)https://www.bbc.com/japanese/articles/c0lz82n6nk7o
(※4)https://news.bloomberglaw.com/esg/netflix-mccormick-uphold-dei-to-investors-after-trump-edict
(※5)https://www.hollywoodreporter.com/tv/tv-features/squid-game-season-two-creator-lee-jung-jae-interview-1236058780/
(※6)ドキュメンタリー『イカゲーム シーズン2の舞台裏』ネットフリックス、2024.