Ch.1 働けどなお、わがくらしミドルにならざり ブルシット化で変質するアメリカの格差社会(前編)

netflix.jpgⒸPiyocchi

テレビのなかのミドルクラス

ネットフリックスが独占配信する『ワーキング〜社会を創る、"働く"の景色〜』(2023)は、バラク・オバマ夫妻が設立した映像制作会社〈ハイヤー・グラウンド・プロダクションズ〉の手がけるミニ・ドキュメンタリー・シリーズだ。

舞台となるのは、公的医療制度の支出削減により経営が厳しくなった在宅ケアサービス、インドの巨大企業に買収されたニューヨークの老舗ホテル、そして、起業するや瞬く間にナスダックに上場した自動運転技術のスタートアップ企業など。新人ヘルパーや古参のハウスキーパーに始まり、支配人やCEOにいたるまで、さまざまな立場の人々をオバマ元大統領みずからが訪ね歩く本作は、現代アメリカの複雑な「クラス=階層」のあり方を教えてくれる。

私が子どもだった頃、ミドルクラスは自明の存在だった。テレビをつければミドルクラスの人々はそこにいたし、仕事にはげむ労働者たちは文化の一部だった。貧しいわけでもなければ、裕福というわけでもない家族たち。彼らは中間層の人々だった。一方で、当時のポピュラーカルチャーは金持ちを奇妙な存在として描いた。彼らはいつもちょっとした変人として登場したのである。(※1)

1961年生まれのオバマにとって、1970年代のコメディ番組が描き出した「貧しいわけでもなければ、裕福というわけでもない家族たち」は、現実社会の鏡であった。上に引用したオバマのナレーションは、往年のコメディ番組『オール・イン・ザ・ファミリー』(1971〜79)の映像をイメージ素材として採用しているのだが、そこに登場する「ミドルクラス」の人々は、たとえば次のような会話劇を繰り広げている。

夫 500ドルが必要だなんて、おまえ何かやらかしたのか?
妻 えっと、家のことでちょっと必要なの。
夫 なに、プールでも作ろうってのか!?
 スタジオの観客が爆笑する声。妻のあきれ顔が大写しになる。(※2)

1970年代といえば、日本でもやはり「中流」の人々がお茶の間を賑わしていた頃である。たとえばそれは、久世光彦が演出したドラマシリーズ『時間ですよ!』(1970〜75)であり、ザ・ドリフータズのバラエティ番組『8時だョ!全員集合』(1969〜85)であった。

そして、同じ久世演出のホームドラマ『寺内貫太郎一家』(1974)では、当時の「中流家庭」にとって懐かしい、昭和10年代(1935〜44)の「中流家庭」の理想像が現代風に再現されていた。同作の脚本を担当した向田邦子との思い出を綴る久世は、自分たちのことを「昭和のはじめ生まれ、あのころの中流家庭育ち」と呼び、向田が実の母から聞いてドラマの朝食シーンに登場させた「ゆうべのカレーの残り」こそは、視聴者の琴線にふれる「小さな人生の真実」であったと語る。(※3)高度経済成長がひと段落した1970年代に流行した「一億総中流」という言葉からも分かるように、アメリカに劣らず日本でも、当時の中間層は文化の主人公的存在であったのだ。

だが、そんな時代はすでに遠くノスタルジアの彼方にかすんでしまった。アメリカ政治外交史の研究者・古矢旬が解説するように、21世紀アメリカでは「国民社会の柱と目されてきた中産階級は確実にその厚みを失い」、彼らの資産から債務を差し引いた「富」は「2001年から2013年の間に28%も減少した」のである。(※4) 

いったい、かつてテレビドラマの主人公であったミドルクラスは、どこに消えてしまったのか。日本でもアメリカでも、中間層は本当に消滅してしまい、世界はついに、主役としての「持てる者」と、脇役としての「持たざる者」の二つに分かれてしまったのだろうか?

中間層がいなくなる

オバマのアドバイザーでもあった公共政策の専門家ロバート・B・ライシュは、1947年から1975年までの期間を、アメリカの「大繁栄時代」であったと総括する。社会保障制度の充実、低金利の住宅ローン、高等教育への支援、軍産複合体が生み出したテクノロジーの民間利用といった自国の政策に加え、日本などに対する援助と貿易が米国企業に巨大なビジネスチャンスをもたらし、結果として、この時期のアメリカ経済を比類なきものに押し上げたからである。

その著書『余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる』(原書2010、邦訳2011)のなかで、ライシュはこんなふうに「大繁栄時代」をまとめている。

第二次世界大戦後、四半世紀にわたり続いた大繁栄時代は、一九三〇年代の大恐慌をもたらした時とは全く異なる経済をつくり出した。〔中略〕その結果、総所得のうち中間層の取り分が増える一方、高所得層への分配は減少した。しかし、興味深いことに、経済自体が順調に拡大したため、高所得層も含めてほぼすべての国民が恩恵を受けることとなったのだ。(※5)

たとえ多くの税金を負担しても、ミドルクラスが相応の報酬を得ることのできた時代。もちろん、当時も高所得層は存在していたけれど、彼らもまた「所得の50パーセントを大きく上回る比率で連邦税を負担」しており、不平等感は21世紀の今ほどではなかった。(※6)

しかし、1980年代に入り時代は変わった。中間層の所得は伸び悩み、代わりに、富は一部の人間に集中しはじめる。「大恐慌」から「大繁栄」へと振れた振り子が、ふたたび「大恐慌」に戻り出したのである。

ライシュはそうした揺り戻しの原因を、「世代間の記憶の相違」に求めた。つまり、1930年代に成人した世代は、子どもたちに「大恐慌」の記憶を直接伝え得たが、孫の世代ともなると、「彼らが知っていたのは政府の失敗と市場の成功」だけとなり、「自由市場主義者たちが発する刺激的な主張に特に感化されやすく」なってしまったと言うのである。(※7)

かくして、戦前を忘れ、市場の成功のみを記憶する新しい世代は、ドラマに登場するミドルクラスをみずからの鏡とは見なさなくなった。ミニ・ドキュメンタリーシリーズ『ワーキング』でオバマも語るように、テレビの視聴者はもはや「貧しいわけでもなければ、裕福というわけでもない家族たち」を温かい目で見守ることはなく、かわりに「一部のリッチな人間」に対する羨望をむき出しにするようになってしまったのだ。アメリカの成功者たちを紹介する1980年代的なテレビ番組『ライフスタイルズ・オブ・ザ・リッチ・アンド・フェイマス』(1984-95)の映像にかぶせて、オバマは次のように語っている。

1980年代に入り、なにもかもが変化し始めた。カネがすべてという新しい感覚が、突如として広まり、一部のリッチな人間が羨望の対象となった。それはちょうど、映画『ウォール街』(1987)に描き出された好景気の時期と一致する。まっとうな暮らしを営むだけでは十分とは言えず、人は外で働き、他人を蹴落としてでも百万ドルを稼がねばならないとされた。そうした機運が浸透し始めると同時に、ミドルクラスは私たちの目の前から姿を消していった。(※8)

1980年代のセレブたちの姿をもてはやしてみせたテレビ番組『ライフスタイルズ・オブ・ザ・リッチ・アンド・フェイマス』は、かのドナルド・トランプにもスポットを当て、かつて以上に縁遠くなったはずの富裕層を、(ブラウン管越しではあれ)かつて以上に身近な存在へと変えていった。だが、皮肉にもその結果、以前は「まっとうな暮らしを営むだけ」でよしとしてきた人々も、自分たちの暮らしぶりを「ミドル」であるとは、なかなか思えなくなってしまったのだ。

圧倒的な金持ちと、彼らに憧れる「ミドル」以下の人々。そんな新たな二分化に拍車をかけたのが、トランプみずからがホスト役を務めたリアリティ番組『アプレンティス』(2004-2017)の成功であろう。トランプにあこがれる「見習い=アプレンティス」たちを互いに競わせ、各回の脱落者に対しトランプが「お前はクビだ」と告げるといったその企画は、トランプがいまだアメリカを代表する「リッチ・アンド・フェイマス」であるといった幻想を視聴者に与えた(ちなみに、ネットフリックスで配信されているのは、シンガポール版『アプレンティス』。また、2025年に日本公開された映画『アプレンティス ドナルド・トランプの作り方』は、トランプ自身の「見習い」時代を描いた伝記映画である)。

ネットフリックスのオリジナル・ドキュメンタリー『トランプ アメリカン・ドリーム』(2018)のなかで、トランプ本の著者ティモシー・L・オブライエンは、『アプレンティス』が放映されていた2000年代半ばの様子を次のように語っている。

リアリティショー『アプレンティス』への参加を希望する人々は、トランプタワーの周りに列をなしていました。彼らは日がな一日そこで待っていたのです。ドナルド・トランプは、まさにお金のない人が想像する金持ちそのもので、彼の住処は、金箔と大理石とキラキラした何かで飾り立てられた、さながらラリったルイ14世がデザインしたみたいなビルでした。私が自著で描きたかったのは、『アプレンティス』というリアリティショーが、いかにして何千万というアメリカ人の持つトランプ像を書き換えてしまったのかということです。(※9)

これはよく知られている話だが、当時のトランプは、決して「成功者」とは呼ぶことのできない状況にあった。番組の企画段階からすでに、現実のトランプは経営破綻を繰り返しており、「お前はクビだ」と言い放つ重役会議室もまた、スタジオに作ったセットに過ぎなかったのである。(※10) 

だが、オブライエンも指摘するように、「新世代の野心的な事業家たちは、1980年代から90年代初頭にかけての記憶を持ち続けることがなかった」。つまり、ここまでもまた、先のライシュが言っていた「世代間の記憶の相違」なるものが、金持ちの側に有利に働いたのである。

【中編】に続く>>>

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(※1)ドキュメンタリー『ワーキング〜社会を創る、"働く"の景色〜』エピソード2、ネットフリックス、2023.
(※2)『ワーキング』に挿入されたコメディ番組『オール・イン・ザ・ファミリー』からの引用.
(※3)久世光彦『触れもせで 向田邦子との二十年』講談社文庫、2019.
(※4)古矢旬『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』岩波新書、2020.
(※5)ロバート. B. ライシュ『余震 そして中間層がいなくなる』東洋経済新報社、2011. 58.
(※6)ライシュ 57.
(※7)ライシュ 70.
(※8)『ワーキング』エピソード2
(※9)ドキュメンタリー『トランプ アメリカン・ドリーム』エピソード4、ネットフリックス、2018.
(※10)https://www.usnews.com/opinion/articles/2024-10-16/we-created-a-tv-illusion-for-the-apprentice-but-the-real-trump-threatens-america