Ch.1 働けどなお、わがくらしミドルにならざり ブルシット化で変質するアメリカの格差社会(中編)

netflix.jpgⒸPiyocchi

物質的な格差と精神的な格差

かくして、自分たちが社会の幸福な中間層に位置しているといった気分は、現実のミドルクラスからも薄れていった。もちろん、2010年代に入っても、都市部にはオフィスワーカーが溢れかえっていたのだが、文化人類学者デヴィッド・グレーバーが世界的ベストセラー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(原著2019、邦訳2020)で喝破してみせたように、その仕事の多くは、働き手を惨めな気分にさせるような無意味なものに溢れていた。

つまるところ、わたしたちが語っているのは、実質的にはなにもせずに金の──たいていは高額の──支払われる人びとのことなのだ。なにもせずに金が支払われるのだから、およそ自分を幸運だと考えそうなものである。実質的に放置されているような環境にあるばあいにはなおさらだ。けれども、特筆すべきは、そんな仕事にありつけてラッキーという者はほとんどいなかったことである。〔中略〕ガレー船の奴隷は、少なくとも自身が抑圧されていることを知っている。ところが、一日7時間半、パソコン画面に向かってタイプするふりをしながら座りつづけるよう余儀なくされた時給一八ドルのオフィスワーカーや、毎週毎週クリエイティビティやイノベーションにかんする代わり映えのしないセミナーを開催するよう余儀なくされたコンサルタント・チームの新人メンバーは、ただ混乱するばかりなのだ。(※1)

ここでグレーバーが例示しているのは、中間層の家庭で育ち、2000年代に社会人となったミレニアル世代が直面することとなった「ブルシット・ジョブ」の世界である。「ブルシット」という英語は、そもそもが日本語に置き換えづらいスラングなのだが、同書の訳者・酒井隆史も解説するように、そこには単なる「でたらめ」を超えた、「みせかけ」と「取り繕い」と「欺瞞」のニュアンスが含まれるという。(※2)

そのニュアンスをもう少し詳しく知るために、ネットフリックスの配信するクイズ番組『ダマすが勝ち! ブルシット』(2022)を参照してみよう。この番組の回答者は、四択問題の答えを選ぶのみならず、その根拠もまた他の出演者に向かって説明することができる。もちろん、選んだ答えそのものが間違っていたならば、それに付随する説明もまた「でたらめ」だったということになるだろう。しかし、たとえそれが嘘の説明であったとしても、別の出演者たちがその説明を「ブルシット」ではないと判断したならば、回答者は次のステージに進めるのである。

通常のクイズ番組であれば、視聴者は回答者の知識の深さに感心するものだが、同番組の見どころは、回答者の流暢なトークに、いかにして他の出演者が「みせかけ」と「取り繕い」と「欺瞞」の匂いを嗅ぎ取るか(あるいは、嗅ぎ取れないか)という点にある。具体的なシーンを見ておこう。

司会 以下に挙げる有名なスピーチからの一言のなかで、原稿には書かれておらず、話者が即興で口にしたものはどれ? 
(A)87年前に
(B)私には夢がある
(C)私の唇を読みなさい、増税はしない
(D)この壁を壊しなさい(※3)

 こうした問題に対して、回答者はみずからの答えと、その説明をする。

回答者 ブッシュ大統領が「私の唇を読め、新たな増税はない」という言葉を口にしたとき、彼はぶっつけ本番で話すことに慣れていた。そして彼には、話すべきことや触れておかなければならないことが山ほどあった。というわけで、この言葉が原稿に書かれていたということは絶対にない。

物おじせずに回答者の男性はこう答えるが、このクイズの正解は(B)である。司会者からそのことが告げられると、出演者たちの口からは「ワオ」という感嘆の声がもれた。お気づきのとおり、「私には夢がある」というのは、人権運動に命を捧げたキング牧師のスピーチであり、この有名な一言が即興であるというのは、たいていの人には感動的な逸話に響くはずなのだ。

ところが、回答者は(C)を選んだ。確かに、これは1988年の大統領選にて共和党候補のジョージ・H・W・ブッシュが口にした言葉であるから、回答者のいう「ブッシュ」は事実であった。けれども、その「ファクト」は別の出演者によって都合よく誤解され、回答者を窮地から救う。

ブルシットを見抜く役の出演者 回答者は自分でも分かっていないことを口にしているな、と思ったんだ。でも、彼の説明を聞いていると、ああ、あの愚かなジョージ・ブッシュならやりそうだ、と思ってしまって......。

この発言で興味深いのは、「キング牧師」であれば感心される「即興」も、話者が「ブッシュ」であったならば嘲りの対象とされる、といって点であろう。さらにここでの「ブルシット」を複雑にしているのは、回答者の言う「ブッシュ大統領」(父)と、見抜く役の出演者が想像した「ブッシュ大統領」(息子)が、同一人物ではないいうことだ。つまり、「答えはこれだ」と断言してみせる回答者による「フェイク」と、「これが根拠だ」と会場の全員に示される「ファクト」と、そして最後に「ブッシュといえば息子のブッシュだろう」という聞き手の勘違いが、この「ブルシット」に賞金2万5000ドルという価値を生み出してしまったのである。

もちろん、こうしたことがただのクイズ番組であるうちは良いが、「ブルシット」の恐ろしいところは、それがまったくの無意味で無価値な行為であるにもかかわらず、一定の経済的利益が生み出されてしまうところにある。グレーバーは言う。

ブルシット・ジョブとは被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。(※4)

無駄な会議を減らすための会議や、適正な仕事量であることを報告するための不適正な量のペーパーワークなど、無意味であるばかりか有害でもある有償の仕事を、グレーバーは「ブルシット・ジョブ」と呼ぶ。そして、こうした労働のブルシット化は、じつはオフィスワークのみならず、肉体労働者の一部であるケア労働の現場にまで及んでいるとグレーバーは指摘する。

どれほど情け容赦ないものであっても、ブルシット化のプロセスは、きわめて不均衡に生じている。それが労働者階級の被雇用者よりも中産階級(ミドルクラス)の被雇用者に対していっそう影響を及ぼしてきたからであり、また労働者階級の内部では、伝統的に女性職とされたケア労働がブルシット化の主要なターゲットでありつづけたからである。たとえば、多くの看護師たちが、いまでは勤務時間の80%をペーパーワークやミーティングなどに取られているとわたしに不満の声をあげているが、その一方で、トラック運転手やレンガ工は、いまだその影響を免れている。(※5)

つまるところ、現代の「格差社会」の実態は、必ずしも「持てる者」と「持たざる者」の二極化ということばかりではないのだろう。そこには、賃金や財産といった物質的な格差はもちろんのこと、有意義であるべき人生を無意味な仕事に「すり減らされる者」と「すり減らされずに済む者」といった、精神的な格差が存在しているのである。

21世紀版「清貧の思想」

そうした新たな尺度で「わがくらし」のあり方を見直そうとする試みは、たとえば2023年に公開されロングラン上映となったヴィム・ヴェンダース監督作品『PERFECT DAYS』にも見ることができる。

中流以上と思しき家庭で育ったらしい役所広司演じる主人公の男は、その知性的な佇まいとは裏腹に、公衆トイレの清掃員として日銭を稼ぐ。裕福な暮らしぶりの妹からは「ほんとにトイレ掃除してんの?」と心配されるも、背筋を伸ばして笑顔でうなずく彼の態度からは、たとえ物質的な格差では「下」に見られようと、精神的な格差ではこの主人公の方が「上」であるとする、制作者側のメッセージが伝わってくる。

とはいえ、こうした21世紀版の「清貧の思想」は、グレーバーの言う「道徳羨望(モラル・エンヴィー)」の裏返しなのかもしれないから注意が必要だ。ブルシット・ジョブに明け暮れるミドルクラスは、自分たちよりも道徳的に優れていると思しきワーキングクラスを妬み、さらには、公益性の高さにもかかわらず報酬が低く待遇も過酷な仕事(グレーバーはこれを「シット・ジョブ」と呼ぶ)に従事する人々にさえ、ほとんど同じ理由で羨望を覚える。

こうした一見不可解な中間層の感情は、通常であれば「羨望」から「反感」に変質していくものだとグレーバーは指摘するのだが、『PERFECT DAYS』がヒットしたのは、そうした「反感」を本作に感じる観客が少なかったからだろう。

「ほんとにトイレ掃除して」る主人公に向けられた、ミドルクラスからの羨望。扱いづらいそうした感情を「反感」に変えることなく、清く正しい人生に対する羨望を羨望のままに映像化することに成功した『PERFECT DAYS』は、つまりは物質的な格差社会を、精神面の優劣により転倒させた傑作であったのだ。

もちろん、「シット・ジョブ」の現場を題材としながらも、その暮らしを一切の皮肉もなしに「パーフェクトな日々」と呼んでしまうことにためらいを覚えた観客もいたに違いない。そして、本作が制作された背景に、巨大企業の取締役が手掛けてきた「THE TOKYO TOILET」のプロモーションがあることを知った彼らは、そのためらいの原因を、制作者側の「欺瞞」に求めたくなったかもしれない。(※6)

「未来へのチケット」を夢見て

同じシット・ジェブを描いた作品でも、ネットフリックスのオリジナルドラマ『メイドの手帖』(2021)には、そうした「欺瞞」の入り込む余地が少ないように感じる。

夫のDVが本格化する前に幼い娘と家を出た主人公のアレックスは、最低賃金の清掃業に身も心もボロボロにされながら、文章で身をたてるという夢に向かって突き進む。ドラマの最終回でアレックスは、「清貧の思想」も「道徳羨望」もなにひとつ視聴者に求めない口ぶりで、奨学金を得て大学進学を選んだシングルマザーの選択の、その背後にある現実を端的に語る。

たいていの人は、シングルマザーが大学に進学することに反対すると思う。でも、ここに辿りつくまでの道のりを誰も知らない。トイレ清掃を338件、政府からの生活支援を7件、引越を7回、フェリー乗り場で1泊、そして娘が2歳から3歳になるまでのまるまる1年間。(※7)

2019年にアメリカで出版されたステファニー・ランドの回想録『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(邦訳2020)をドラマ化した本作は、先ほどから私たちが参照しているドキュメンタリーシリーズ『ワーキング』とも価値観を同じくしている。そもそも、原作であるランドの回想録は、他ならぬオバマ大統領によっても公に推薦されているのだ。

2019年夏にオバマが公開した推薦図書リストの詳細を伝えたタイム誌は、ランドの『メイドの手帖』の読みどころを次のように説明している。

ランドは回想録のなかで、幼い娘を養育するためにアッパーミドル・クラスのアメリカ人のメイドとして働いた経験を綴っている。これは本国の経済的格差を分析する書であり、特権的な立場にある人間が、家計をやりくりするためだけに働いている人々をどのように扱っているのかを明らかにしてくれる。(※8)

経済的な格差に加えて、顧客からの蔑みにもさらされるランドの仕事は、シット・ジョブの典型である。ただし、シングルマザーの彼女が選んだのは、文字どおりに「シット」にまみれながら毎日を生き抜くだけの人生ではない。ランドは、「大卒」という「自分のトイレ以外を磨かなくていい未来へのチケット」(※9)を手にするために、ミドルクラスにも劣らぬほどの量のブルシット・ジョブを行なってきたのである。

〔DV被害者〕のための奨学金には、多くの書類と、数々の資格が必要だった。最初に私が奨学金の申請を検討したときには、ある大きな理由でそれを断念せざるを得なかった──申請者は、少なくとも一年、虐待的な関係から抜け出していることが必要だったのだ。しかし同時に、私にはスポンサーが必要で、できればドメスティック・バイオレンスのプログラムを通じて、お金を管理してくれる人を求めていた。〔中略〕奨学金の用途をはっきりさせるための方法だったとは思うけれど、このプロセスは億劫だった。(※10)

自立するための奨学金を得るためには、すでにDVの加害者から自立していることを証明しなければならず、その一方で、自立をめざす人のための奨学金は自立のためにのみ使用されなければならないので、いまだ自立していない彼女たちには「お金を管理してくれる人」が必要だ......という堂々巡りのうちにある申請システム。

それはまさしくブルシット・ジョブの温床だ。実際、この奨学金に再チャレンジしたランドが取り組むべき申請書は「五十ページもの厚さ」になったという。そう、グレーバーが憂いた世界の労働のブルシット化は、すでにあらゆる階層の隅々にまで浸透しているのである。

【後編】に続く>>>

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(※1)デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』酒井隆史他訳、岩波書店、2020、99-100.
(※2)酒井「訳者あとがき」『ブルシット・ジョブ』 408
(※3)クイズ番組『ダマすが勝ち! ブルシット』エピソード6−7、ネットフリックス、2022.
(※4)グレーバー 27-28.
(※5)グレーバー 45.
(※6)https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/casestudy/00012/01360/
(※7)『メイドの手帖』エピソード10、ネットフリックス、2021.
(※8)https://time.com/5652277/barack-obama-2019-summer-reading-list/
(※9)ステファニー・ランド『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』村井理子訳、‎ 双葉社、2020、358-59.
(※10)ランド 375.