過去の出会いや当時の夢と距離をおいてしまった後も、
ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便はまだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
なのに永遠の嘘を聞きたくて
今日もまだこの街で酔っている
(※1)
中島みゆきさんの「永遠の嘘をついてくれ」。
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ
(※1)
過去は本当はすべてが今と繋がっていて、
その答えが出たとき、人はこの光を覚えていられるだろうか。
中島みゆきさんの「永遠の嘘をついてくれ」は、
傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
(※1)
「永遠の嘘」という言葉が、この歌では何度も登場するのです。私はこの言葉は、過去を今更語り直さないことを願ってのものだと思っていた。あのころにあった感情、見ていた景色、結ばれていた信頼だけで、いつまでもそれだけで記憶に残したいという願いだと思っていた。今の私が、終わってしまったこととして「過去」を捉えようとした途端に、見失うものがある。無意識に都合よく、今の自分のために過去の自分の記憶を変えてしまうかもしれない。あの頃生きていたのも確かに私だったけど、今の私に、あの頃の「本当」がわかるはずもない。何もかも忘れてしまっていると気づくこともできないまま、「今」の言葉で過去を汚してしまう予感がしている。
だからあの頃を永遠のままにしてくれと、まるで今とは関係がない別の出来事のようにいつまでもあのころのままで止めておいてくれと、そんな嘘をついてくれと願い続ける。今更の言葉で語らないでくれ、今の「本当」と照らし合わさないで。そんな願いがあると思っていた。
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
(※1)
けれどこの歌の後半を聞いた時、願ってももう現実は追いついてきていて、過去はとっくに当時の姿を失っているかもしれない、と思った。「出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」はこれまでの歌詞の全ての中にある本音のようだった。ずっと、この言葉を叫びたくて、でもそれは言えなくて、気づいていないふりをしたくて、私は「永遠の嘘をついて」と願っていたんじゃないか。あのころのままにしておきたいという願いも本当だけど、そんなことは無理だと誰よりも私がわかっていたのではないか。
中島さんの歌詞にはいつも見覚えのある感覚や知っている感情が描かれていて、でもあるとき、突然、知らない方角からその感情を照らすような言葉が現れる。知っているはずの感情が全く違う見え方をして、私はそれだけで、撃ち抜かれたように黙ってしまう。そして少し安堵もする。誰もが言えず、自分自身も本能的に避けてきた言葉だとしても、私はそれが聞けてほっとしていた。単なる明るい励ます言葉よりも、ずっとそれらは明るいと感じる。同じ地平にいて、そこで生きている人の言葉。暗闇についた街灯のようだ。この歌詞に行き着いた一人の人が確かにどこかにいるんだと思える、この世界に確かに自分以外の人が生きていると思える。それだけで、私はほっとしていた。
過去が間違っていたのでは、と思うことはいくらでもある。出会わなければよかったと思うことも本当はたくさんある。どんなにあの頃のことはそっとしておきたいと思っても。そして、今も誰かに、私も、「出会わなければ」と思われているんだと知っている。人は、過去を守りきれない。今という時間を生き続ける限り、いつもつきまとう後悔や今更の過去への採点に、追いつかれてはもがいている。何も気づかないふりをして「あのころ」をあのころのまま守りたいと思っていても、とっさに「嘘」という言葉を選んでしまうのだ。本当はもう、あの頃を美しかったと言い切ることさえどこか嘘になりつつあった。
だから、この歌が言い切ってくれることに救われる。自分が隠し続けている後悔を照らしてくれたことで救われる。いつか「今」も過去になる、そのときに未来の私が今の私の選択をまた何度も後悔すると知っているんだ。そこから、逃れようとする未来の私を、今の私は愛しているから。だから、今のこの時を「そのまま」にできなくなってしまっても、それはいいよと許す代わりに一つの歌を愛している。「あのころ」にいつかなる今日を、守ろうとするあなたを、嘘つきだなんて私は言わない。
※1 中島みゆき「永遠の嘘をついてくれ」