9.励まさないでそこにいる(AJICO「美しいこと」について)

僕には見える 美しいことが
どんなに弱くても 美しくなれる
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 人を励ますための歌というのが苦手で、それは前を向きたくて生きているわけでもないし、希望を欲してるわけでもないと思うから。苦しさや痛みが消えてほしいと思うことはあるけどそれらを埋めていくための光のような言葉自体がどうしても「ほしいものではない」と思ってしまう。自分が欲しいのはそもそもそうしたものを必要としなくていい凪のような時間であり、どうして光を求めたり正しさを求めたり自分を鼓舞する言葉を求めたりしなくちゃいけないんだろう。おいしいものを食べておいしいと思うだけでいい世界が欲しいし、それだけの穏やかな時間が「何かを癒す時間」になること自体が本当は嫌いだ。
 なんて、求めても仕方のないものばかり求めています。つい先日仕事で愛についてのプレイリストを作ってほしいと言われた時、私はこの曲がどうしてもはずせなかった。AJICOの「美しいこと」は愛していると歌う曲ではないけれど、でもこんなにも、この歌がこの世にあることそのものに意味がある曲って、そんなないのではないか、と思ったり、私はこの歌詞に何をもらっているのだろう? あんなにも励まされるのが嫌だったのに? と考えたりしてしまった。

ステキな色をした壁にもたれた
アイスクリームが空を飛んでるよ
無邪気に倒れよう 草原の中へと
きれいなボタンを眺めるのもいいさ
僕には見える 美しいことが
どんなに弱くても 美しくなれる
※1

 感性が豊かだと子供の頃に褒められたりとか、感受性がどうとか言われたりとか、そういうのを繰り返していくうちに美しいものを見つけるのも簡単ではないような気がしてくるというか、「きれいなボタンを眺めるのもいいさ」と言ってくれる人はどれくらい、子供の頃の私の近くにいただろう、と思う。豊かな発想、自由なアイデアは、子供の頃の私に確かにあったのかもしれない、子供らしくそういうものがキラキラしてたかもしれないけど、もっと当たり前に、きみは、自然に、美しいものを最初から見つけていると言ってもらえることも大きな意味を持っていたはず。褒めてもらうたびに美しいものを見つけるには自分も特別にならなくてはならない気がして、それは、美しいものを見つけられる間は「だから自分は特別なんだ」と信じる理由になっていたけれど、そうやって自分を信じ抜くきっかけは確かにもらえたけど、でもそうではなく、美しいものを見つけることがとてつもなく簡単なことであるようにしてあげられる言葉も愛なのかなって思う。この歌詞の美しいところは、「きれいなボタンを眺めるのもいいさ」。「いいさ」がすてきだ。自分がそれを選んでいたならもう語りかける側はそれを審査することもきっとしない。「そういうのもいいね」ってたぶん、眺めるのがボタンじゃなくても言ってくれる。

 だから、「どんなに弱くても 美しくなれる」が嘘じゃなくなるんだろう。どんなものを美しいと思うかを全て委ねてもらって、どんなに弱くても、美しくなれる、と言ってもらえること。励ましではないのかもしれないな。見失ってしまった一番最初にあった「当たり前のこと」を、溶けてしまった氷を、もう一度凍らせて固めて、形にしたような、そんなものなのかもしれない。だから私はこの言葉が怖くないんだ、傷がひとつもついてないまっさらだったころの「私」に出会える。


※1 AJICO「美しいこと」