この連載、今回が最終回になります。
でもしっぽの先まであんこの詰まった鯛焼きのように、最後まで、伝えたいことを書き残しておこうと思います。
新人賞、挑戦してみるにあたって、大切なのはやはり、自分の書いた原稿の、1作1作に執着しすぎないことだと思います。
もちろん、書き上げたばかりの作品が可愛いのはわかります。特に完成させた作品の数が少ないうちは、こんなに苦労してやっと書き上げた大切なこの作品、という思い入れも強いと思います。もう二度と、これだけの作品は書けないかも、と。
まあ、わたしも通ってきた道なので、よくわかるのですが、それでも、書き上がったものは横に置いて、次へ次へと新しい作品を生み出していかなくてはいけないのです。
そうすることで、確実に腕は上がりますし、目の前のこの作品ではなく、次の作品こそがデビューに繋がる名作になるかも知れないからです。
また、将来夢が叶って作家になれたとき、新しく始まるその日々もまた、作品を次々に考えて生み出し、書き続けてゆく繰り返しだということも忘れてはいけません。
1作だけを抱えて立ち止まり、生きてゆくことはできないのです。
といっても、書き上げたひとつの作品に徹底的に時間をかけ、描き直し、磨き続けてゆく道もあります。そういった作品ですと、いったんラストまで書き上げたあと、練り直してゆく作業も時として必要になります。
特に長編や大長編の場合、完成までに長い年月がかかることもあるものです。調べ物が多く必要になる、歴史小説や、細かくオリジナルの設定を作り上げた、ファンタジーの大作など、そう簡単に書き上がるものではありませんよね。複雑な構成の物語の場合、よりわかりやすくするために文章や登場人物を削ったり、逆にエピソードや演出をたすことが必要になることもあります。
いまあなたが学生だったり、社会人だったりすると、勉強や仕事をしながらの作業になるので、さらに時間がかかるかも知れない。
そういった作品たちは、こつこつと書き上げ、丹念に磨き直したあとで、投稿までこぎ着けたいものです。
ただひとつ、これは恩師である大家の先生から以前うかがった言葉なのですが、
『卵は温めすぎていても腐ってしまう』
どこかのタイミングで作品を手放し、投稿しなくてはいけません。
大丈夫。
投稿して、運悪く落選したとしても、その作品とはお別れになりません。
落選してから、また描き直してほかの賞に再挑戦することもできますし、いったん手元に引いて、もっと技術が上がってから描き直し、再度の完成をめざすということもできるのですから。
あなたが生きているうちは、その作品も死にません。
投稿を繰り返すうちに、書き上げた作品の数が増えるうちに、少しずつ腕は上がってゆきます。
わたしの場合、投稿を初めた19歳の頃は、原稿用紙180枚を書き上げるのに、1年かかりました。
学生生活を送り、趣味の漫画を友人たちと同人誌で書いたりしながらのことです。
その長さを書いたのは、生まれて初めてのことでした。
原稿用紙の最後のページを書き終えたときの、なんともいえない、幸せな高揚感をいまも思い出せるような気がします。
あれはたしか、徹夜明けの朝でした。主人公と一緒に、長い旅を終えて故郷に帰ってきたような、そんな感慨がありました。
その原稿はある児童書専門の出版社の編集部につてもなく送りました。
いま思うと無謀なことで、本来はそんな風にあてもなく送っても、まず読んでもらえるものではありません。ただ当時は何も知らなかったのです。いまのようにインターネットがあるわけでもなく、まわりに子どもの本の作家をめざしている人も見当たりませんでした。
それでわたしは、作品を送ってしまいーーそして、編集者から、返された作品とともに、一通の手紙が送られてきたのでした。
それはいまから何十年も昔のことで、事情がいまとは違っていたのかも知れません。また、その作品やわたしに運があり、編集部に届いたその作品をたまたまその親切な編集者が手にして読んでくれたのかも知れません。
あるいはーーわたしはその頃その出版社が出していた、長編ファンタジーのシリーズがとても好きで、そのことを書いて添えた手紙が、そのシリーズの担当編集者であったという彼女の心に触れたのかも知れません。
とにかもかくにも、その180枚の(当時のわたしには大長編の)原稿は、多忙だったろう一流の編集者に読んで貰う機会を得て、わたしの元に、丁寧に書かれた手紙が届いたのでした。
その手紙はいまも、当時の日記に挟んであるはずです。
もちろん、わたしのその作品がそのまま本になることはなく、書き直せばなんとか、とか、そんなレベルにも達してはいませんでした。それでも優しい編集者は長い手紙をしたためてくれたのです。
それは胸がどきどきするような経験でした。日常の中に、非日常の世界への扉が開いたような、魔法は存在していたのだと気づいたような喜びがありました。
ーーしかし。
細かな感想とともに書いてあった、「このシリーズに入れる場合、1冊の本にするには、350から400枚の枚数が必要です」の一言が、当時のわたしを打ちのめしました。
180枚書くのに1年かかったその頃のわたしには、その枚数は大長編でした。超がつきそうな大長編です。
だけど、頑張るしかない、と当時のわたしは思ったのでした。その枚数を書けるようになるだけ、書き続けてみよう。まずはいろんな新人賞に投稿していけば、実力がつくのではないかしら。
そしてわたしの、10年にわたる、投稿生活が始まったのでした。
と、こう振り返ってみて、いまになって思うと、「このシリーズに入れるにはこれだけの枚数が必要です」という具体的なひと言には、優しさや社交辞令だけではない、この子なら書けるかも、読んでみたい、という想いがあったのかも知れないなあと思います。
その方はもう亡くなってしまったので、いまとなっては、当時のことを訊ねることはできないのですが。
もしかしたら、何気なく書き添えたひと言だったかも知れない、あの言葉がわたしに頑張るための目標を与えてくれた、そのことへのお礼を、遠い日のわたしは、ちゃんと伝えられていたでしょうか。
その後、子どもの本の作家になったわたしは、出版された本を彼女に送りました。それらの本を彼女はとても喜んでくれ、「自分が開いている読書会の課題図書にしました」なんてお手紙をいただけたりもしました。
もうそれはずいぶん昔のことになってしまい、そのひとはいまのわたしのことをーー児童書のシリーズをいくつか完結させ、大人向けの本も書くようになったわたしのことを知らないのですが、いまのわたしが書くものを手にしたそのひとの感想の言葉を聞いてみたいような気がします。
その版元でその後、お仕事の機会はありましたが、わたしが書きたかったあの大長編のシリーズは、いまはもう途絶えているように思います。
350枚も400枚も、いまのわたしなら軽く書ける枚数です。他に重なる仕事さえなければ、数週間から1カ月もあれば完成するでしょう。その倍の枚数でも2カ月くらいで書けそうです。
あれから長い年月がたって、それだけ書けるようになったのは、背中を押してくれたひと言は、いまはもういない編集者からあの日届いた、一通の手紙だったのです。
さて、このように、投稿を繰り返すことは、夢の実現をめざすための道であり、同時にレベルアップのための道でもあるわけです。
ただほんとうに受賞までにどれだけの長い時間がかかるかわからず、また シビアな話、あなたにプロになれるだけの才能と運があるかどうか、誰にもわからないのでーー学業を続けながらや仕事をしながらなど、他に本業がある状態での投稿生活をお勧めします。
その方がたぶん、精神的に楽だとも思います。
わたし自身は、成り行きでバイト生活(今風にいうとフリーターになるのでしょうか)をしながらの投稿生活に入ってしまったのですが、過去の自分に会えるなら、できれば若いうちに仕事を探して、いったんどこかに就職した方がいいよ、と勧めるかも知れません。
子どもの本の作家になることを目指すとしても、まずは経済的に独り立ちした上で、夢を見た方がいいのではないかと思うのとーーどんな仕事でもいい、社会の一員として働き、お金を得ることが、作家として何よりの勉強になると思うからです。
子どものための物語を書くとき、子どもの世界だけを知っていれば書けるというものでもありません。社会の成り立ちや、日本や世界の経済のことや、「普通」の大人たちがふだん、どんな表情で何を考えて働いているかーーそんなことをわかっていた上で、子どもの世界を描いた方が、リアリティが出ると思います。それにはやはり、自分もひとりの大人として働くのが一番かな、と思うのです。
世に出て働くと、疲れることもすり減ることも、人間が嫌いになることもあるかも知れませんがーー得がたい出会いも、忘れられない経験も、リアルな人間の中で働くことで得られるように思います。
(ついでに書き添えておきますと、仕事があるときの方が、原稿を書きたくなったり、アイディアが浮かんでくるものです。よく聞く話なのですが、わたしもバイト生活をしていた頃の方が、溢れるように脳内に物語が生まれてきていたような気がします)。
そしてもう一つ。どんなジャンルのお仕事でもいいのですが、そこで働くことで、少なくともその業界(あるいはそれと近しい業界)を舞台にした物語や、そこで働く家族がいる子どもの物語は書けるようになるはずです。これはお金を出しても買うことはできない、大きな経験ですから。
何度も書いてきましたように、投稿を続けていれば、必ず作家になれるとは限りません。学生として学びながら、働きながらの投稿は時間に追われ、疲れも重なり、大変でしょう。
けれど、未来に続くかも知れない趣味として、新人賞への投稿というのは、素晴らしいものだとわたしは思います。
自分の過去を振り返ってみても、やはりあの10年間の、夢の実現を目指していた日々は、楽しかったと思うのです。
ひとはたぶん、何かしら未来への希望がなければ、生きていくことがとても辛いのでーー宝くじを買うような、そんな低い確率の行為でも、夢の実現を目指して進み続けるのは、自らの手で、心に灯りを灯すようなことなのかも知れない、と思うのです。
まずは灯りを、灯してみましょう。
これから続く、作家を目指す道は、おそらく平坦なものではなく、先の見えない、長い道のりになると思います。
でも、自分の灯した小さな灯りを消さないように、諦めず歩き続けていれば、いつかどこかに辿り着きます。
旅路の果てに立つその場所がどこでも、あなたが笑って自分を許せるように。歩いてきた道を、誇らしく思えるように。
それを願って、この連載を終えようと思います。
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