第3章 物語の書き方、あるいは、夢は叶わないこともある、という話 その2

 前回のこの連載で、物語の書き方を教えることはできない、ということを書きました。それはつまり、物語を綴る能力というのは、生まれついての才能のようなもので、作家になるひとは子どもの頃から、誰にも何も教わらずに、物語の書き方を知っていて、自然とひとりで書いているものだとわたしは思っているからです。
 なので、初対面の作家志望のひとと会ったとき、そのひとから、物語を書いたことがない、書き方を教えて欲しい、と聞いた場合ーー冷たいようですが、第一印象は、ああ、このひとは才能はないかもなあ、になることもあります。
 例外はあって、そのひとが物語を書いたことがなくても、詩が書けるとか、短歌はうまいとか、話が面白いとか、何かそういう言葉に関することで光るものがあれば、小説を書いてみても面白いものが書けるひとかも知れないとわたしは期待します。
 例外はもうひとつあって、それは同じ台詞を子どもから聞いた場合。
 子どもは環境によって、その時点でできることに違いがでることもあり、才能があっても、物語を書いたことがまだない、ということはありえます。

 で、物語を書いたことがない、という状態にもいろいろありまして。
 お話を思いつく才能も、美しい、あるいは的確な文章を綴る能力もあるのに、作品としてまとめる構成力や、最後まで飽きずに書き上げる精神力がなくて、物語を書けない、というひとたちがいます。
 もっというと、いろんなエピソードや面白いキャラクターを思いつきすぎてしまって、どの作品を書き始めてもほかの作品が書きたくなる、いま書いている作品が色あせてくる、というひとたちもいます。
 子どもや若いひとには、けっこうこのタイプが多いんですよね。実はわたし自身、若い頃、こういう傾向がありました。
 でも、たくさん思い付くタイプのひとは、きちんと書くと才能がある可能性大、なのですから希望を持っていて欲しいです。
 お話やお話のかけらを思い付かなかったり、ごく少ない数の作品しか思い付かず、書けずに、それに執着するタイプの方が、不幸につながりやすい印象です。

 それでは、あれこれ思い付くけれど、作品を完成させることができないひとは、どうやったら1作書き上げることができるかといいますとーー。
 わたし自身はアマチュア時代、エピソードや設定、キャラクターなどをひとつひとつ小さな紙にメモして、その紙を内容に応じて分類し、また物語の流れに沿って並べてゆくことで、構成のこつを学んだように思います。
 これは実は、遠い昔に大学の卒業論文を書いたときに、KJ法の存在を知り、本を見ながら、こんなふうに使うのかな、と見よう見まねで試行錯誤しながらなんとか論文を書き上げた、その経験がベースになっています。
 この言葉を初めて知った方で、興味のある方は、ちゃんと正規の方法を調べて学んでみると有益かと思います。

 自分が思いついたエピソードやキャラクター、設定などを1枚ずつの小さな紙にメモして(裏表の両面ではなく、表だけに書く方があとでまとめやすいです)みましょう。その内容を読み直し、いろんな分類でグループにまとめてみたり、出来事を時系列で並べてみたり。
 そうすることで見えてくることもあります。
 たとえば、ばらばらに思いついたいくつもの物語の断片。全部ひとつの物語のつもりで考えていたけれど、これは2つの違う話にまとめた方がすっきりするんじゃないだろうか、と気づいたり。似たようなエピソードが多いから、いくつか省いた方がいいかなとか。この事件は入れようと思っていたところより、もっとあとに起きた方が盛り上がるかも、とか。
 あるいは、序盤(物語の最初の方)のエピソードはたくさんあるけれど、終わりの方やクライマックスのあたりは何も思いついていないから、その辺を何か思いつくといいなあとか、根性で考えなきゃとか。
 広げたメモを見ていると、物語の全体を通して見ることがしやすくなると思います。
 この作業は、物理的な紙ではなく、パソコンやタブレット、スマートフォンを使ってすることもできます。けれど、書き込んだり書き加えていく作業は紙の方が向いているかな、と個人的には思っています。

 メモの山ができあがり、いい感じにつながり、グループ分けできて、なんとなく書けそうな予感がしてきたら、物語を最初から書き出してみてください。とりあえず、今回は最後まで書き上げるつもりで。そして、書きながら何か思いついたら、メモを書き、メモの山を作り続け、並べ直してゆくのです。原稿を書きすすめているうちに、思いつかなかった空白の部分を思いついたりするものです。
 もし、ほかのもっと面白そうな作品を思いついて、そちらに浮気したくなったときはどうするか?
 その作品のメモを作るのです。そうしていまはそちらの原稿には手を着けずに、ただ内容をまとめておくのです。いま書いている作品の次に、そのお話を書き上げましょう。次の作品が待っているというのは楽しいものです。
 面白いもので、ひとつの作品を書いているときに、ほかの作品のエピソードがどんどん思いついたりするものなのです。あれはなんなんでしょうね。脳が刺激されて、活性化したりするのでしょうか?

 そして、作品を書き上げたら。
 その時点でもう一度最初から読み直して、じっくり手を入れてゆき、完成度を上げるのもいいですし、しばらくその作品から離れ、休んだり遊んだり、勉強したり(学生さんなら)働いたりするのも(社会人なら)良いと思います。メモを作っていた、次の作品に着手するのもいいですね。そして、時間をおいたところで読み返すと、自分が書いた作品の思わぬ魅力や、その逆に、うっかりした記述に気がつくかも知れません。
 ひとつ大事なのは、書き上がったばかりの作品は(自分では能力の限界で、完璧に書けたと思えたとしても)客観的に見れば、おそらくは完成した作品とはいえないということです。
 読み返せばきっとあらはありますし、内容に矛盾や間違いもあるはずです。何故いいきれるかというと、わたし自身の作品も、そしてたぶん、多くの作家の作品も、出来立ての作品は完璧とはいえないからです。
 プロの作家は、書き上げた原稿をまずは担当編集者に読んでもらいます。だからこそ、彼らを世界で最初の読者、などというわけですが、その時点で、より読みやすくするため、より面白くするための直しの提案が編集者から入ったりします。自分でも手直ししたい部分が思い浮かんだりしますので、ここでいったんできる限り完成させます(注)。
 ほぼ完成したその原稿を、本の形の字組にして印刷した、ゲラという物(つまりは綴じていない本のようなものですね)を通常、初校と再校の2回出してもらい、編集者、そして校正と校閲(漢字や言葉の使い方、内容や記述の矛盾などについてのチェック)の専門の方とのやりとりがあります。
 本来はゲラになる前の段階で、自分なりに原稿を完成させるべきなのですが、やりとりするうちに、あとから気づいたあれこれをやはり直してみたりします。著者がたくさん直すと、編集者が転記するときに間違いがあってはいけないということで、3校もしくは念校といって、もう1回ゲラのやりとりが増えたりします。
 そういうわけで、プロの作家の作品は本になるまでの間に、複数の人の目で何回も読み直された上で、本になります(担当編集者が若いひとの場合、そのひとの上司や編集長も原稿に目を通したりしますので、さらにたくさんのひとが読み返すことになります)。
 作家志望のあなたは、特にこれがやっと書き上げた第1作なら、せめて自分の目だけでも、何回も読み返してあげてください。きちんと完成度を上げた上で、新人賞に投稿するなり、家族や友達に見せるなり、オンラインの場にお披露目するなりした方が、作品のためにも自分のためにもいいような気がします。
 誰か他人がその作品を読んだとき、もしミスの指摘をされたり、何かしらいたらない部分を見つけられてしまったときに、いちいち言い訳するのも面倒ですし、それがもっともな事柄ならば、恥ずかしくもあります。
 それならば、できる限りの仕上げはして、その時点での最高に美しい状態で、みんなの目に触れさせてあげるのも作品への愛かと思います。

 さて、今回は「エピソードなどは思いつくけれど、作品を書き上げたことがない」タイプのひとのために参考になりそうなことを書いてみました。これだけ読んでも何かしらの参考になって、書けるようになるひとは意外といるんじゃないかな、と思っています。

 次回は、「何も思いつかない。だけど小説を書いてみたい」と憧れるひとのために、もしかしたらヒントになるかも知れないことを書きます。これはいま子どもで、作家志望のみなさんには特に、参考になることかも知れません。



(注)直しをしてからゲラにするのは、時間があるときのことで、原稿の完成度が高く、スケジュールに追われていて、ある程度慣れた作家や編集者になってくると、「ゲラにしてから直しましょう」ということで入稿してしまいます。著者歴が長いとたいていこうなるかも。

【続く】





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