第3章 物語の書き方、あるいは、夢は叶わないこともある、という話 その1

 ここでひとつ、身も蓋もない話をしようかと思います。夢のない話、といいますか。
 世の中には、努力することによって叶う夢と、どんなにがんばっても、資質や運がないと、手が届かない夢とがあります。
 その叶わない夢のひとつが、作家になるという夢なのだと思います。

 魅力的な物語を描くということは、それだけ難しく、本を刊行できるようになるまで書き続けるということには才能にプラスして、運も必要になります。環境も体力も、あるいは続けることを苦にしない性格も、運に左右されるものなのかも知れない。
 けれど、才能も運も、たとえば運動能力や歌唱能力を競う職業のそれとは違って、アマチュア時代は特に、なかなかそのあるなしがわかりづらいと思います。
 そして、ここがシビアなのですが、文才のあるひとでないと、そもそもは、自他の才能のあるなしや、レベルの差がわかりづらい。
 とても残酷な話なのですが、才能のないひとには、自分には作家を目指す才能がない、ということがわからないのです。

 と、こういうことを書いていると、すごく意地悪なことを書いているのがわかるので、ごめんなさいと、詫びながら綴っています。
 誰かの大切な夢や、希望を踏み潰すようなこと、書いてますよね。ごめんなさい。
 だけど、「作家は夢見たら誰でもなれる職業です」と、書けば嘘になると思うので、早いうちにきっちり書いておきます。
 わたしにはーーそしてたぶん他の誰にも、助言することによって、誰かの執筆能力を多少はあげることはできるかも知れなくても、作家になりたいという夢をすべてのひとにおいて叶えて上げる、そんな力はありません。
 それをいうと、繰り返しになりますが、きっと嘘になります。
 わたしは、アマチュアのひとたちを指導する場にいるときは、こういういい方をしています。
「わたしはあなたの実力を、あなたの持っている枠の中で、その上限に近づけるために助言し、力を貸すことはできます。でもそれ以上のことまではできません」
 そのひとの限界を超えて、才能を発揮させるような、そんな魔法の杖は持っていないのです。そんな魔法はこの世に存在しません。
 
「だけど、世の中には、『誰でも作家になれます』と書いてある入門書もあるし、そううたっている、作家になるための学校や塾も、たくさんあるじゃないですか?」
 と、思うひともいますよね?
 ほんとうのことはわかりませんが、それはたぶん、『誰でもなれる』と書いた方が、「生徒」の数が増えるからじゃないかな、と思います。
 もし、その夢を叶えるのは狭き門だとわかっていたら、最初からその夢の実現を目指すひとは少なくなるのではないでしょうか。
ーー『願えば』『誰でも』叶う夢、『努力すれば』、『勉強すれば』、『あなたも』作家に!
 そう書いてあれば、やってみよう、と思うひとは多そうです。本を買ってくれたりとか、塾や学校に通ってくれたりとか。
 それとーー学ぶひとたちに夢を見させることそのものに価値があると思っているひとたちも、あるいはいるのかも知れませんね。人生の中で、学ぶ機会を作ることそのものに、価値があるのだと思っているひとたちも。
 
 ところで、「物語を書くための方法」を、どこかで誰かに教えてもらえるのじゃないかと思っているひとたちは意外と多いんですよね。いろんな場所で、数限りなく質問されてきたので、知っています。
 何かそういうロジックみたいなものが存在していて、知れば誰でもーーそれこそ、お話を書いたことのないひとでも、急に物語が書けるようになるのではないか、と。
 いや、そんなものは存在しません(注)。
 物語を書けるひとは、最初から書いています。誰にも何も教わらずに、子どもの頃から、ノートに鉛筆でお話を書いています。
 わたし自身もそうでしたし、どうやって思いつくのですか、と訊かれても、自然と降ってくるのです、としか答えられません。
 物語を創造し、語る才能というのは、なかば生まれつきのものだろうとわたしは思っています。感受性も、文章を綴る才能も。

 ずっと昔、わたしが個人サイトの掲示板で読者のひとたちとやりとりしていた頃、投稿してくるひとびとの中にーー文章が達者なひとが多かったのですが、その中でもとりわけ、うまい投稿をする常連さんがいました。
 当時、高校生だったと思いますが、一言一言に輝きがありました。その後、自費出版で出したという、宝物のような綺麗な本を送ってもらって読んで、びっくりしました。なんだこの才能は、と思いました。
 子どもの頃から本が大好きだったその子は、のちにちゃんと子どもの本の作家になっています。それもかなりの売れっ子です。
 文才のあるなしは、わずかな文章でもわかります。欠片のような一言からでも。
 新人賞の応募作だと、書き出しの数行で、選者には実力がわかってしまうものです。
 プロの作家を目指して書いていくということは、そういうレベルで作品を評価されて行く戦いを生き延びていくということです。

 そう。作家を目指すということは、そういう、元から才能があり、「自然と作品を書いてきた」「長く書き続けてきた」ひとたちとの競争に打ち勝つということです。
 彼女のようなひとたちの書いたものと腕を競い合うということ。
 ついでにいうと、自然と書いてきたひとたちは、昔から本をたくさん読んできているので、知識にも積み重ねがあります。
 大人になってから、物語を(例えば子どもたちのための本を)書こうとし始め、作家を目指そうとするのは、そういうひとたちに、かなり遅れてのスタートになります。
 もし、不幸にして、才能に欠ける場合、あるいは運がなく、その才能がなかなか誰にも見つけられず、花開かなかった場合、それでも夢の実現を目指して書き続けることができるかーー時に落選を繰り返しても、受賞の日を夢見て投稿を続けられるかーー。
 才能があり、運に恵まれ、楽々と駆けていくひとたちの背中を追って、それでも走っていけるのか、ということになります。

「夢を見るのは自由じゃないか、叶わないかも知れない夢でも、見続けていたい」
 そういう考え方、生き方もあると思います。
 それに、誰かの見る夢が絶対に叶わないとは誰にもいえません。埋もれていた才能がある日発掘されるかも知れないですし。ーーいやこれは冗談ではなく、たまにあるのです。
 何十年も書き続けることで、夢の卵が孵らないとは誰にも断言できないですし、もしかしたら、時代が才能にあわなかっただけで、長年書いていることで、いつか、時が来て、報われる才能もあるかも知れない。
 それに、子どもの本の作家には向いていなくても、他のジャンルの小説や、論文、エッセイを書く才能はあるかも知れない。
 夢見続けることは自由です。ーーただ、搾取されないように、とだけわたしは思います。
 世の中には夢見るひとでお金儲けを考える、あまりよくないひとたちもいます。
 出版業界の中にだって、いろんなひとがいます。いいひとばかりではありません。ふわふわしていると、つけ込まれることもある。

 それとーー。
 もしあなたが、作家志望だったとして。
 物語を書く仕事をしたいために作家になりたい、のではなく、本というものが大好きで、活字を愛しているとしたら。
 万が一、不幸にして作家になるための才能に恵まれなかったとしても、本に関わる、他の職種が向いているかも知れません。そちらこそが、あなたの天職なのかも。
 物語をひらめき、美しい文章を綴る才能がないとしても、物語の面白さを分析し、言語化して、誰かに伝える才能はあるかも知れない。そばにいて励まし、書かせる才能はあるのかも。本を企画し、作家を発掘し、あるいは声をかけ、伴走して原稿を書かせ、描き上がったものを編集し、一冊の本を作り上げる、編集者の才能があるかも知れない。
 また、できあがった本を、特にこれぞという本を全国の書店に働きかけて、ともに売って行く、版元の営業の才能があるのかも。
 ずばり面白い本を見抜き、これという本を仕掛けて売る書店員や、必要なひとに必要な本を手渡し、活字の歴史や文化を守る、図書館の司書の才能があるのかも知れません。
 本に関わる仕事には他にもいろんなものがあります。作家を目指すことだけが、活字に関わる道ではないのです。

 

(注)物語を書く方法そのものは教えられなくても、発想のためのヒントや、より面白い作品を書くための知恵ならあります。その辺りをこの章で語って行く予定です。

【続く】




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