第2章 誰のためにどう書くか その3

 ここで、少し前に書いたことに話を戻します。
 わたしは昔の自分だったような子どもたちーー本が好きで、本を読むことに支えられて生きてきたような子どもたちのために、子どもの本を書きたいと思って、この道を選びました。
 その際、昔の自分が好きだったようなタイプの子どもの本、すなわち、学校の図書館の棚に並んでいて、分厚くて、字が小さくて、長編で、できればその上にシリーズもので、読んでも読んでもなかなか読み終わらないような本が頭にあり、ああいう物語を書ける作家になりたいなあと夢見ました。
 子どもの頃のわたしは、なるべく長い時間、物語の世界で心遊ばせていたかったから、わたしもそういう物語を、と思ったんですね。

 さて、あなたは(もし、子どもの頃に好きな本があった場合は)どんな作品が好きだったでしょう?
 おそらくは無意識のうちに、子どもの頃のあなたがその作品に惹かれた、それと同じ要素を持つ作品を書くことをあなたも目指していくことになるかと思いますし、あなたの無意識が想定している読者像も、昔のあなたのようなタイプの子どもでしょう。
 まずは、それでいいのだと思います。
 自分の中にある理想の子どもの本、読者である子どもたちのための物語を書いてみましょう。心を込めて、その子どもたちに喜ばれるような作品を書いてみましょう。
 幸運に恵まれて、その作品が本になったとき。もしかしたら、その本はわずかな数の子どもたちにしか喜ばれない本になるかも知れない。でも、その子どもたちに深く愛され、記憶に残るなら、この世界に存在する価値がある、素晴らしい1冊になるでしょう。
「いやいやわたしは、たくさんの子どもたちのための本を書きたい。子どもたちみんなが面白いと喜ぶような、世界中の子どもに愛される本の作者になりたいんだ!」
 壮大な夢ですが、それはたぶん、目指すものではなく、いつの間にか到達している場所なのだと思います。
 まずは一歩一歩先に進みましょう。
 誰のためでもない、自分のための物語、内なる子どものための物語を書いてゆきましょう。

 わたしの場合、書きたいものが前述のような作品でしたし、子どもの頃の自分はいわゆる「読書能力が高い子ども」であったので、情景描写が多く、筋が複雑で長い、そんな作品を楽しく書いていました。昔のわたしが好きだった作品のかたちがベースになっているわけですね。
 実際、わたしが子どもの頃、図書館にあった、特に海外の子どもの本は、たとえば、序盤に主人公の住んでいるどこかの国のとある地方の山脈の描写から始まり、主人公の住む村の住人たちの話があり、一族や家族の歴史があって、「さて」、とやっと主人公が登場するような物語もありましたし、どうかすると、前置きとして、「著者からの一言」がついていたりもしたものですが、子どもの頃のわたしはそういう作品を、隅から隅まで面白く読んでいました。これでこそ、子どもの本、と思っていたところがあります。
(ついでにいうと、子どもの頃、多く海外の子どもの本に読みふけっていた影響で、いまも文章から昔の翻訳物っぽい日本語の語り口が抜けません。語彙もあの頃に覚えたものがずっと残っているような気がするので、若干古めかしい。もしかしたら、同世代の人ですと、作家に限らず、同じ傾向を持つ人も多いかも知れませんね)
 でまあ、わたしの想定する読者は、かつてのわたしのように、どんな物語でもぐいぐい読んでいける子どもでした。書きたいのは、本がないと生きていけないと思うほど、活字が好きな子どもたちのための本、であったので、誰にでも読めるように文章をわかりやすく書く、とか、シンプルな構成にする、とか、そんなことは全然考えませんでした。
 その辺、見抜かれた某社の担当編集者に、新人時代にいわれたのが、
「あなたの本はどんな子どもにでも読まれるような本ではない。一部の本が好きな子ども、特に女の子にしか読まれないだろう」
 という予言のような言葉でした。
 この言葉は、ある意味、
「あなたの本はあまりたくさんの読者を獲得できないので、売れる作家にはなれないかも」
 という言葉とイコールだったと思うのですが、そうとわかっていても、わたしは、
「ですよねー。それでいいです」
 としか思いませんでした。
 結局は自分の書きたいもの、理想に近いものしか書けないですし、わたしが作品を手渡そうとしている読者層は、未知のたくさんの読者ではなく、かつての自分のような子どもたちだったのですから。
 内なる子どもが笑顔で、
「この本面白い、読んで良かった」
 といってくれるような作品が書ければ、それで良かったのです。
 内なる子どもや、彼女と趣味が合いそうな、本が大好きな子どもたちが喜んでくれればいい。そういう子どもたちに、愛され、友達になれればいい。抱きしめられればいい。
 それ以外の読者層は、正直な話、眼中になかったのです。
 一言書き添えておきますと、その編集者自身は、何より良い子どもの本を作ることが頭にあるタイプの編集者であり、売れることを目標にした本を作ることを志向してはいませんでした。
「児童書はベストセラー(売れる本)を求めてはいません。ロングセラー(時を越えて残る本)になるような原稿を書いてください」
 と、わたしに諭したのも彼女です。

 さて。このことに関しては、いまも昔も考え方は変わらないのですが、活字に興味がない子どもたちに、無理に本を読ませなくてもいいのではなかろうか、とわたしは思っています。
 子どもの時代は短く、あっという間に過ぎてゆきます。その子たちにはその子たちの好きなことやしたいことがあるのでしょうし、本よりも魅力的なものがあるのでしょう。じゃあ、本を手渡さなくても、と思うのです。時間は好きなように使わせてあげればいい。
 いつか、活字にふれたいと本人が思うなら、それがその子にとって必要なことならば、本と出会う、その機会は運命的にやって来るのではないかと思うのです。
 そう思うのは、子どもの頃、ちょうどその逆の立場で、外に遊びに行きたくもないのに、遊びに行きなさいといわれて嫌だった、という思い出があるからかも知れません。教室や家で本を読んでいたいのに、外に追い出されることくらい迷惑なことはなかったです。
 活字にふれる喜びを教えたい、という教師や保護者の言葉が真実ならばいいのですが、その裏に、「読解力をつけたくて」とか、「受験で有利だから」とか、そういう考えが透けて見えると、ひとりの本好きの子どものなれの果てとしては、何だかなあと思うのです。
 ついでにいうと、「読者の裾野を広げるために、わかりやすくシンプルな子どもの本を」みたいな出版社の考え方も、正直いうと、あまり好みではないんですよね。裾野を広げる、という言葉の裏に、読者が増えた方が本がたくさん売れて、その方が助かるし、みたいな考えが透けて見えるのが、あまり、その。

 そういうわたしの書いてきた子どもの本ですが、実のところ、読者層はそう狭くはなかったのです。
 本好きの子どもたち、特に女の子たちには予想通りに大好評で、たくさんの子どもたちに愛され、喜んでもらえましたが、わたしにとっては意外なことに、
「この本をきっかけに本を読むことが好きになりました」
 というファンレターをたくさんいただいたのでした。
 昔、子どものための本をメインで書いていた頃は、鉛筆で書かれた子どもたちからのお手紙で。いまは、子どもの頃の思い出を教えてくれる、かつて子どもだったみなさんからの、Twitterへの投稿のかたちで。
 わたしの書いてきた子どもの本が、読書の世界への扉を開くきっかけになった子どもたちが無数にいてくれたのです。
 つまりは、いつの間にか、わたしの書いた物語は、子どもの本の読書層の、「裾野を広げて」しまっていたのでした。

 そうなってみると、これはこれで良かったといいますかーーええ、「本を読む喜びを知る仲間が増えるに越したことないわよね」、と、内なる子どももうなずきますしーー光栄だし、幸運に恵まれたなあと思っています。
 狭い読書層に向けて書いたはずのわたしの作品群が、もっとたくさんの子どもたちに向けて喜ばれるものになり得たというのは、作家として、得がたい幸福だったとしか思いようがありません。
 しかし、よくよく考えてみると、特定の読者に向けて書いたはずの作品がたくさんの子どもたちに読まれるようになった、という逸話は世界に多く、昔からよく聞く話でもあり、最初からベストセラーを目指した、という本の方がむしろ思い当たらない、という現実があります。
 物語というのは、そういうものなのかも知れません。

 ですからまずは、やはり、いろんな欲や大きな夢はいったん横に置いておいて、内なる子どもの声に耳を傾け、その子が読みたいと思うような作品を書いてみましょう。
 書き続けていくうちに、いつか、たくさんの子どもが喜ぶような作品も書けるようになっているかも知れません。

 さてさて、ここで、子どもの頃には子どものための本ーー児童文学を読まず、好きな本は特になかったあなた、の場合の話をします。
 大人になったいま、参考になるような子どもの本がそばにあるのなら、それでいいのですが、好きな子どもの本が何もない場合。
 そういう人が子どものための物語を書きたいと思ったとき、ではどんなものを書けば良いのか。
 すでにして、脳内から物語が溢れてくる人は、いったんそれを書いて、できれば書き上げてみるといいと思います。書き上げてから、子どもの本らしい体裁に整えてゆく、という手もありますし、他のジャンル向けに完成させることだってできます。
 作品を書き出し、書き上げるだけの情熱はまだなくて、脳内にふよふよと物語の断片が生まれてくるだけ、とか、逆に、書きたいものがたくさんあって、このうちのどれを書けばいいのか決められない、というタイプの人の場合。
 子どもの頃の自分なら読みたかったような子どもの本、を書いてみませんか?
 子どもの頃の自分は、物語の本を手に取らなかったけれど、もし、こんな本があったら、きっと夢中になって読めたと思うーーそんな本を書けるのは、あなただけです。昔のあなたのような子どもたちのための本を書けるのも、あなただけかも知れない。
 少なくとも、わたしには書けません。本が大好きだった子どもには、そうでない子どもが考えていることは、想像することはできても、きっとほんとうにはわからないからです。

 本邦には、子どもの頃、児童文学を読まなかったのに、子どもの本の作家になった作家は何人もいます。ベストセラー作家もロングセラー作家もいます。
 その人にしか書けない子どものための本、その人が書くことを待たれている、子どもの本、というものがあるのだと思います。

【第3章に続く】




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