第2章 誰のためにどう書くか その1

 この連載は子どものための本をーー原稿でなく本を書きたい希望を持っている人が、読んでくださっている確率が高いだろうと思いながら書いています。
 ということは、これを読んでいるあなたは、作品(原稿)を書いてそれで終わりにしたいのではなく、形にしたい(本として出版したい)と思っているのだと思います。

1・生涯に1冊でいいので、子どもの本を書いて形にしたい。
2・子どもの本を書くことが仕事にできたらいいな。プロの作家志望です。
3・はっきりいって、子どもの本を書いてお金を稼ぎたいです。
4・ほんとは大人向けの小説を書きたいのですが、難しそうなので。子ども向けだと少しは簡単ですよね。

 などなど、いろんな夢や希望や思惑があったりするのだと思います。
 わたしは、長年子どもの本の世界にいて、作家志望の人たちに遭遇する機会も多かったので、上に挙げたような希望はみんな実際に見たり聞いたりしてきました。
 4とかリアルで聞くと、正直あまり良い感じはしませんが、こういうこという人は、どうせ早晩何も書けないまま消えていくので、悪いけどまあどうでもいい......ああ、ごめんなさい。
 いやでもこれはかなり、失礼な言葉なんですよ。ちょっと無邪気すぎるというか。空気も読めてないというか。
 わたしの中の子どもの本が大好きだった子どもと、作家としてこの世界に誇りを持っている大人のわたしが、ちょっと待てよと怒ります。
(これの亜流で、「まず子どもの本でデビューしてから大人の本も書こうと思って」という、素敵なパターンもあります)

 真面目な話、子ども向けの本を書くというのは、大人向けの小説を書くのとはまた違う技術や習熟が必要なので、大人向けの小説が好きで、それをいずれ書きたいなら、最初からそちらを目指した方が時間に無駄がないと思います。
 といいますか、4のようなことを考えている人は、子どもの本の世界に対する愛と尊敬がないので、この道を目指すには向いていないと思います。子どもの本を好きじゃない人が、その世界を目指してどうするのかという。
 子どもの本の世界でプロになりたいなら、令和のいまだと、新人賞に投稿するか、出版社に持ち込みをするか(これは作家や出版関係者からの斡旋がないとまず無理だと思いますが)、児童文学系の同人誌に投稿して、それがきっかけで本になる、ネット上で作品を公開して話題になる、などの道があるのでしょうか。
 どの道を選んでも楽ではなく、運と実力の勝負で、それなりに延々と続く茨の道が待っていますので、本気で好きなものを書くための努力でないと辛いと思います。
 そもそも、子どもの本に限らず、作家を目指すということは、いろんな場面で誰かと競い合うことでもあります。運と実力で勝ち抜いてゆく、それが、作家を目指すということ、その繰り返しが、作家として書き続けてゆくということです。
 子どもの本の世界に愛があって、本気で、どうかすると命がけで原稿を書いてくる人たちと競いあうことになるので、同じように愛がないと普通に負けます。

ーーあ、3のお金が稼げるかどうかですが、これは人による、としかいえないと思います。お金になる人はなるでしょう。でも、新人作家で仕事を辞めて筆一本で行きたい、なんていいだす人が身近にいたら、止めると思います。その辺の話はまたいずれ。
 一言だけ、結論を先に書くと、お金儲けのために子どもの本を書くというのも、相当な回り道のような気がします。もっと他に道があるというか、宝くじ買う方が早い気がする。

 さて、この章では、では子どもの本を出したいという望みを叶えるには、どんな風に、どんなものを書いていけばいいのかな、ということを書こうと思っています。
 上記のような望みがあるということは、あなたは子どもに読んで欲しい作品を書いている、あるいはそういう作品を書きたいという希望を持っているのだと思います。
 ここでひとつ質問なのですが、あなたは、

1・子どものときから本の虫で、絵本や児童文学を山のように読んで育ってきました。
2・子どものときはあまり本を読まなかったのですが、子育てしながら、子どもと一緒に絵本や児童文学を読んでいたら面白くて、自分も書いてみたくなりました。
3・子ども向けの本は昔からほとんど手にしたことがないです。『銀河鉄道の夜』や『モモ』や『星の王子さま』は図書館で借りて読みましたが、実はあまり面白くなかったです。

 1と2のどちらかなら、子どものための本とはどういうものなのか、自然とわかっていて、そう苦労せずにそれなりに形が整った作品が書けると思います。
 特に1だと子どものときからすでに作品を書いていたりします。子どもの本の作家の思い出話が綴られたエッセイなどでは、幼い日に好きだった本について書かれたものを目にすることが多く、その文中に並べられたたくさんの本のタイトルや尊敬を込めて綴られた作家の名前を読むだに、やはりこのタイプが子どもの本の作家には多いような気がします。
 2のタイプの人だと、子どものときに子ども向けの物語の本こそ読まなかったけれど、図鑑や伝記は読んでいて、成長後は推理小説や歴史物、SFを読んでいました、という活字マニアだったりするので、こういう人の書く作品は面白いことが往々にしてあります。子どもの頃から、世界そのものに興味があり、人類や歴史について思索する素地ができていて、また大人向けのエンタメ小説(と、くくるのはちょっとだけ雑ですが)を読んできたことで、物語の構成の立て方や、ドラマチックな場面の魅せ方がわかっているからでしょうか。
(2に近いタイプで、学校の先生や図書館の司書さんが子どもの本にふれているうちに、作家を目指すようになるパターンや、子どもの本の編集者や評論家をしているうちに、自分でも本を書き始める、というパターンもあります。編集者の人たちが書く物語は、構成が整っていて、論理的で面白いと感じることが多いような。著者に対して、客観的な視点から直しを提案する仕事を続けるからでしょうか。例としては佐藤さとるなど)
 3のタイプの人は、創作講座なんかに、さりげなく紛れ込んでいたりします。大人向けの小説はちゃんと読んでいることもあったりする。子どもの本のロングセラーや話題作には手を出そうとする辺り、勉強家でもあります。また、自分なりに、子どものために良い作品を書こうと夢見ていたりもします。
 ただ、何をどんな風に書けばいいのかわからないので、迷走しがちです。心の中に、理想の子どもの本ーーお手本がないので。
 このタイプの人は、こつこつ書いていくと、ある日羽化したように面白いものを書いてみたりするのですが、そこに至るまでが、「子どものための文学・読み物とは何なのか」というところから考えてもらわなくてはいけないので、けっこう大変です。
 子どもの本はこうでなくてはならない、という決まりがあるわけではないのですが、やはり、子どもを読者の対象、メインのターゲットとした本、という動かしがたいくくりはあります。そのためにどんな物語を、どんな文章表現で書くか、その目標が定まらないまま、書き方が身についていない状態で書き始めようとする人もいるのです。

 こういうタイプの書き手は、文才はあってもその文才が子どもの本向けではないことも多々あります。子どものための物語は書けなくても、すごくいいエッセイや詩、一般向けの小説が書ける人はいます。
 やはり、自分が向かないジャンルには興味を持たずに来た、ということなのか、そのジャンルには興味がなかったから、そちらに向けた才能が育たなかったということなのかーー鶏が先か卵が先か、みたいな話なのですが。
 わたしは日本児童文学者協会の会員で、協会の仕事などで創作講座や通信講座の先生役をこなしていた時期もあるのですが、ある時期から、こういうタイプとおぼしき書き手と出会ったときは、早い時期から、「子ども向けの作品でなくていいので、自分がいま書きたいものを書いて読ませてください」と指導するようにしていました。その方がその人の長所や短所、魅力がわかりやすかった。勉強のためにと迷いながら作品を書くよりも、のびのびと好きなことを、好きな文体で語らせる方が、実力が反映した、魅力的な文章になったりするものなので。

 さてさて。

4・子どもの頃、本は読んでこなかったし、大人になってからも、そう読めてはいない。だけど、何らかの理由があって、どうしても子どものための本を書いてみたい。挑戦してみたい。

 こんな風に考えている方もいらっしゃると思います。では、そのためには、何を目指して、どういうものを書けばいいのでしょうか。
 その辺りの話を次回から書く予定です。

【続く】



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