第1章 100年は無理でも その1

 どうも。児童文学作家で、作家の村山早紀です。初めましての皆さんは、目にとめてくださってありがとうございます。どうかどこかしら、お気に召しますように。もともとの読者の皆さんは、この連載も読んでくださってありがとうございます。今回も楽しんでいただけますように。

 この連載では、主に子どものための物語の書き方について、わたし自身の経験を通して、ある程度普遍的なものだろうと思える事柄を中心に、ゆるく書き綴っていこうと思っています。またわたしはデビューしたおよそ30年近く前から、専業作家ですので、職業としての児童文学作家、あるいは作家についての覚え書きみたいなものも、これもゆるく書いていけたらと思っています。
 ゆるく、というのは、まあWeb連載ですし、ある程度は当初の構成からずれていったり、興が向く方向へ深く書き込んでいったりしてもいいかな、と思っているからです。また、何かと疲れることが多い昨今、身構えて読んでいただくような、かっちりしたものにするよりも、ふんわり楽しんでもらえるような読み物になれば、と思うからです。
 
 さて、何から書き始めましょうか。
 まず、この壮大なタイトルですが、立東舎担当編集者の若きKさんが考えてくれたものです。
 いまこの原稿を書くために、彼のまとめてくれた連載の構成案を読み返そうとして、あれ、こんな壮大なタイトルだったっけ、と今更ながら愕然としました。
 100年後も読み継がれる児童文学の書き方、とは。
 そういえば、この連載の企画を立てていたとき、テンション高めに、「こんなタイトルで行きましょう!」「あ、いいね、それ!」ってなノリで決めてしまったのではないかと思います。そんな記憶が蘇ってきました。

 しかし、100年。100年かーー。『くまのプーさん』も『ナルニア国ものがたり』も『銀河鉄道の夜』も、まだ100年経っていないのに。
 そもそも、わたし自身100年生きていないのに、そんなたいそう長生きな作品を書けると堂々とタイトルに飾った連載を始めてもいいものでしょうか。
 でもまあ、たとえばわたしの書いた子どもの本の代表作のひとつである、『シェーラひめのぼうけん』(童心社)は、フォア文庫の一巻が刊行されたのが1997年、いまも読み継がれて読者の皆さんの本棚や各地の図書館の棚に置いていただけ、2019年にはめでたく愛蔵版も刊行されましたので、20年は読み継がれたということになります。この勢いだと、あと10年くらいはいけるはず。
 多少誇大広告かも知れませんが、30年は読み継がれる子どもの本の書き方ならたぶん書けるかも、なんて思ったりしました。それにしても、100年は多少大げさですが、70年分ほど、ご寛恕いただけますと、幸いです。
 そしてもし、できることならば。
 この先の未来、もうすでにわたしのいない世界で、『シェーラひめのぼうけん』や、他のわたしの書いた子どもたちのための物語たちが、本屋さんの子どもの本の棚にあり、図書館の片隅や、本が好きな誰かの家にあるのを見かけたらーーできれば、その時代の子どもたちが、わたしの書いた物語を読んで楽しんでいるのを見かけたら。
 良かったね、と笑ってください。
 ちゃんと100年読み継がれましたね、と褒めてやっていただけますと、幸いです。
 わたしはどこかで、その言葉を聴いていますから。きっと。たぶん。いずこかの草葉の陰で、コロボックルのように。そしてほっとするんじゃないかと思います。良かった、嘘つきにも誇大広告にもならずにすんだ、と。

 それにしても願わくは、数十年後、あるいはもっと未来のその時代、世界も、この国も、平和で穏やかで、不幸な要素が少ない時代であれば、と思います。
 子どもの本は、世情が不安定な時期も売れる、読まれるものだ、といわれていますが、子どもに本を贈る大人たちも、ページを開く子どもたちも、笑顔で幸せであるに越したことはないと、わたしは思うのです。
 子どもの本は、いつでも子どもたちの心に寄り添う、大切な友達であり、どんなに孤独なときも、傷ついているときもそばにいてくれる存在であるからこそ、子どもの本がそんな使命を忘れるような時代が来れば、と、ひとりの本の作家として、願います。

 さてさて。
 冒頭に、ゆるく書いていけたら、と綴りましたが、それには他にも理由があります。
 もともとこの連載の企画を考えていたときは、きちんと論文として読めるような体裁の文章にすることを考えていました。学生さんが卒論を書くとき、参考に引けるような、論文のようなものですね。
 そもそも、自分自身は子どもの本の書き方は、地方の歴史の古い大学の文学部に通っていた学生時代、内外の児童文学について書かれた評論を読んで学んできたので、自然にそう考えていました。
 いまも、作家としての思想のバックボーンは、その頃読んで学んだ本にあります。
 いまわたしは50代ですが、この年齢になった頃は、児童文学の評論を書けたら、なんて、若い頃は夢見ていたので、いまがその時期かとも思いました。
 が。
 連載の準備のために、と、過去、自分が感銘を受けた評論や技術論、作家論などを思いだし、リストを作るうち、参考文献としてあげるべき本が、いまの時代、すでに古すぎるという現実に気づいたのでした。
 どの本も書かれた内容はけっして古くないと思います。テーマも、思想も。たとえば、佐藤さとる(敬称略)の、『ファンタジーの世界』に書かれた、児童文学の定義ーー「児童にも、理解と鑑賞ができる表現形式を用いて作られた文学作品」ーーは、いまも、そして今後も有用な定義だと思います。
 また、古田足日がその若き日に上梓した、『児童文学の旗』を初めとする評論集も、神宮輝夫のファンタジー論も、上野瞭の『現代の児童文学』も、子どもの本の世界について、その理想や思想、愛や可能性を語った、熱い本だと思うのです。
 が。が、なのです。
 どの本も、刊行された時期は昭和で、思えばわたしが読んだ学生時代に、すでに、名著とされていた本、少し昔の本として読んでいた本だったのでした。著者に太平洋戦争当時の記憶があり、敗戦の頃の記憶があって、実感を伴って戦争を憎み、子どもの本を通して、平和について語るような、そんな時代に書かれた本たちだったのですから。
 たとえば平成に生まれ、令和のいまを生きる人々からすると、悲しいかな、どれも大昔の本です。書かれている日本の姿も古く映るでしょうし(昭和に育ったわたしの世代が思う、明治・大正時代のようなものでしょう)。
 そして、何しろ、本が手に入らない。
 手に入らない上に、中でふれられている様々な古典的な児童文学も入手できなかったり、おそらくはすでにいまの時代の子どもたち(や、子どもの本を愛好する若者や大人たち)が読む本でなくなっていたりします。
 たとえば、『ファンタジーの世界』において、ファンタジーという文学の構造を説明するとき、古今東西の名作を例に引いて語っているのですが、タイトルが挙げられている作品のうち、どれだけのものが、いまも共通の知識として親しまれ、知られている本なのか。
『不思議の国のアリス』はディズニーのアニメとして、あるいはふんわりとしたイメージとして知られていそうです。『クマのプーさん』もディズニーのキャラクターとして愛されていそうですが、原作は昔ほど読まれているのかどうか。
 ネズビットの『砂の妖精』も、昭和のファンタジー好きの子どもは好きで読んでいて、同世代の同好の士と話すとき、盛り上がったりする本ですが、いまの時代の子どもが知っているようには思えず。
『ナルニア国ものがたり』はわたしにとって、また同世代の元本好きの子どもたちにとって、最上のファンタジーですが、おそらくは、あの頃ほどには子どもたちに愛されていないでしょう。
 いまの時代の子どもには、いまの時代の子どもに愛されている本があります。
 いま子どもの本について語るのなら、どれほど愛着があろうと、昭和の時代に書かれた本を引き合いに出して語れば、年寄りの昔話になるだろうなあと腕組みをしたのでした。 

【続く】

村山早紀+げみ『約束の猫』

村山早紀+げみ『トロイメライ』

村山早紀+げみ『春の旅人』