3-3.ロサンゼルス編 チャールズ・ブコウスキー『パルプ』〜生を慈しむ

 僕が入学したのは、南カリフォルニア大学英文科の博士課程だ。高速を降りてちょっといくと、サウスセントラルという黒人居住区の真ん中に、レンガ色の美しいキャンパスが忽然と現れる。どうしてここにあるのか。それは単純で、大学ができたころはこの地区は高級住宅街だったからだ。けれども南部から黒人たちが移住してくるにつれて、白人たちがどんどん出ていってしまった。しまいには、黒人とラティーノ、そして酒屋をやっている韓国人しかいない地区になったのだ。

 それでもキャンパスに膨大な投資をしてきた大学は動かなかった。移転する代わりに強力なキャンパス警察を導入して治安を護り、周辺地区を整備し、スポーツが得意な黒人の生徒たちに奨学金を出して大学に受け入れた。こうして、金持ち大学と貧困地区の奇妙な共存関係ができた。1992年のロサンゼルス暴動でも、黒人男性に暴力を振った警官が全員無罪、という不当な判決に怒り狂った人々がキャンパスの両側の道を一斉に走っていったのに、キャンパスには手を出さなかったらしい。

 さて、クラスには僕以外にも、外国から来た学生がいた。でも彼らは留学生じゃない。留学生はたいてい、卒業すれば本国に帰る。だが中南米やアフリカ、アジアから来た学生たちはアメリカで学位を取っても帰らない。アメリカで教職についたりして、そのまま定住するのだ。つまり移民である。僕も周囲の人々にさんざん言われた。どうして日本に帰るの、せっかくアメリカに来られたのに。ここは安全だし、医療水準も高いし、仕事もある。たくさんのチャンスもある。せっかくアメリカで学生になれたのにもったいないよ。

 クリスも僕にそう言っていた。大学を出てそのまま進学した、20代の学生ばかりの中で、30代のクリスと僕は完全に浮いていた。クリスがアメリカにたどり着くまでの話がすごい。もともとナイジェリアで作家になり、国内で数冊の本も出していた彼は、反政府的な演劇をした、という理由で政府に捕まってしまった。牢獄で劣悪な環境におかれ、甲状腺がおかしくなった。太ってしまったのもそれが原因だと言う。

 ようやく釈放され、イギリスに渡って教師をしていたが、ある日帰ってくると、ロンドンの自宅アパートの周囲が封鎖されている。どうしたんだ、と聞くと、殺人だと言われた。自分の部屋の真下に住む黒人男性が、何者かに殺されたらしい。そこでクリスはピンときた。おそらく、政府に都合の悪い発言を続けている彼を誰かが暗殺しに来て、部屋を間違えたのだ。彼はそのまま家に戻らず、ツテを頼ってアメリカに脱出した。そして今、学生をやりながらアメリカ国籍を取ろうとしている。

 政治亡命をした人の話を聞いたのは初めてだったから、僕はびっくりしてしまった。当時はアフリカの歴史なんてよく知らなかったから、クリスが属するキリスト教系のイボ族が、政府を牛耳るイスラム系のヨルバ族やハウサ族と対立しているなんてこともわからなかった。クリスはナイジェリアでもトップクラスのインテリで、ロラン・バルトやジュリア・クリステヴァなんかの思想家の話を混ぜながら授業で発言する。だからあんまりものを知らない周囲の学生との差は歴然としていた。

 結局、彼は卒業後『グレースランド』という本でペン・ヘミングウェイ賞を獲り、いちやく有名作家になり、今はノースウェスタン大学で教えている。クリス・アバニ(Chris Abani)で調べればすぐ分かる。すごく偉くなっちゃったな。でもクリスと言えば、彼の運転の荒さを思い出す。ボロボロの緑のBMWに乗っていた彼は、高速だろうが下の道だろうがとにかく飛ばす。一度なんて、一般道を送ってもらっていたのだが、道が下っているのに彼の車はそのままジャンプしていた。「もっとゆっくりー」と僕は何度も叫び続けたが、全然聞いてくれなかった。

アメリカで死んだ僕

 あのころのことを考えると、僕にもアメリカに残る道があったのかな、とも思う。でもとにかく三年間ずっと毎日、日本に帰りたかった。外国に移住するとき、人は一度死ぬ。アメリカの人たちはナイジェリアや日本のことなど知らないし、基本的に興味もない。だから、アメリカに来るまでの体験を語っても、誰もちゃんとわかってはくれない。おまけに彼らは英語しか知らないから、日本語の世界で何が起こっているかなんて気にしない。というか、彼らにとっては、そんな世界は事実上、存在しない。ああ、日本って地球の裏側にあるらしいね、ぐらいなものだ。

 だから、クリスはある意味、ロンドンで一度死んだんだと思う。そしてロサンゼルスで僕は、30歳になるまで日本で過ごした自分を葬るつもりがあるのかをずっと問われていた気がする。そうでなければ、北野武の映画『菊次郎の夏』を見て、何気ない浅草の風景に涙が止まらない、なんてことになるわけがない。結局僕は、日本での自分を生かす代わりに、アメリカでのもう一つの人生を殺すことにした。今、東京にいて、日本語でこんなことを書いているのが何よりの証拠だ。その選択に悔いはない。でも、もう一人の自分が、アメリカで違う人生を過ごしているような感覚が常にある。

同じロサンゼルスでもマーロウとは違う探偵像

 チャールズ・ブコウスキーの遺作『パルプ』にも死のイメージがたくさん出てくる。チャンドラーのパロディーのようなこの作品で、ダメ探偵のニック・ビレーンに依頼してくるのは死の貴婦人(つまり死に神)だし、ニックが馬券を買うときのコードネームはミスタ・スロー・デスだ。ハリウッドに事務所を構えるニックはとにかく無能で、ロサンゼルスでも最低料金の探偵だ。それでもなぜか次々と依頼が舞い込んでくる。

 死の貴婦人は、書店に現れるセリーヌが果たして本物か調べてくれと言い、他の依頼主には赤い雀を探せと言われる。葬儀屋には、自分をたぶらかすセクシーな宇宙人を追い払ってくれと頼まれ、他には浮気調査も請け負う。だが、推理が苦手でツキもないニックは、まったく依頼を解決できない。それでも互いの依頼が実は互いに絡み合いっていることに気づいていく。なんとかしようともがくうちに、それらは一つも解決することなく、むしろ自然に解消する。ニックの努力とは特に関係なく、だ。

 チャンドラーのマーロウには作り込んだかっこよさがあった。だが、彼をなぞったニックの発言はどこか間が抜けていて、それが楽しい。たとえば依頼人とのこんな会話だ。

「俺は安くないぜ」
「いくらだ?」
「一時間六ドル」
「そんなに高いとは思えんが」
「俺には思えるんだよ」(48ページ)

マーロウの世界では彼のナルシシズムを壊す事態は発生しない。しかしニックは、ひたすらかっこ悪くて、そこがいい。他のブコウスキー作品同様、すごくリアルな感じがする。

 長年探偵を続けてきたニックは、もはや疲れ切っている。他の仕事を試そうにももう手遅れだ。そして彼は死のイメージに取り憑かれている。だからこんなことを思う。「人は死ぬために生まれてくる。どういう意味があるのか?」(20ページ)。だが彼はここから、人生に意味はない、という方向には行かない。むしろ他の動物と同じく、少しでも長く生き残ろうとしてけなげにがんばる人間全体を慈しむ。彼は生の外側、死の側からこの世を見て、あらゆる命の輝きを愛でているのだ。

 そこから、ニックの徹底した平等観が生まれる。すべての生き物が死を予定されているのなら、勝者も敗者もないだろう。だからこうした会話も生まれる。ニックは依頼人である葬儀屋に言う。

「世の中、配管工がいなかったらどうなる? 配管工より大事な人間なんて思いつくか?」
「大統領」
「大統領? それが違うんだよ、お前! また違ってる! あんた、口を開くたびに何か間違ったことを言うぜ!」(105ページ)

確かに、大統領なんていなくたって人間世界はどうにか回る。でも配管工がいなかったら、水漏れは止まらず、トイレは壊れっぱなしだ。そして絶世の美女の写真を見るとこう思う。「こいつだって人間だ。内臓だってある。鼻毛もある。耳クソだってある。何がそんなに違うっていうのか?」(53ページ)。そのわりには、けっこう興奮したりするのもかわいい。

弱い側の目線で

 だから人生には勝者も敗者もない。強いて言えば、朝目覚めて、ちゃんと靴を履けるだけで勝利だ。だから、ホームレスになった人々を敗者と見る考え方は間違っている。

もちろん、善人だって通りで寝てる奴はいっぱいいる。あいつらは馬鹿なんじゃない、時代のメカニズムに噛みあわないだけだ。時代の要請なんてコロコロ変わるし、酷な話だ。夜、自分のベッドで眠れるだけでも、世の力に対する貴重な勝利だ。俺はまあラッキーだったわけだが、俺だってときにはそれなりに頭を使って行動してきたのだ。でもとにかくずいぶんひどい世の中だし、俺としてもときどき、世の大部分の人間を哀れに思ったりする。(225ページ)

こうした、弱い人間の側に立った視線こそ、ブコウスキーの魅力なのだろう。グレイハウンドのバスに乗って全米を巡りながら仕事に就いては辞めまくる『勝手に生きろ!』、日々すり減っていく郵便局員たちを描いた『郵便局』、大恐慌時代から第二次大戦にかけてのドイツ系移民の苦しみを扱った『くそったれ! 少年時代』など、どの作品も、割を食っている人、運の悪い人、弱い動物たちへの共感と愛情に満ちている。

『パルプ』を書いているとき、ブコウスキーは白血病だった。だがそんなことはおくびにも出さず、軽い感じでふざけながら、生への慈しみを何気ない顔で彼は綴る。そこで選んだのが、子ども時代に読んだ、SFやミステリーなどがてんこ盛りの、大衆向けパルプ雑誌のフォーマットだった。彼はそうやって、子どもの頃に感じた喜びの世界を、人生最後の贈り物として我々に手渡してくれたのだろうか。

参考文献

チャールズ・ブコウスキー『パルプ』柴田元幸訳、ちくま文庫、2016年。

4-0.吉祥寺編 プロローグ〜ロンロンよ永遠なれ に続く


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