3-0.ロサンゼルス編 プロローグ〜アメリカの自動車教習

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 ロサンゼルスに住みだしたのは2001年の8月だ。大学院でアメリカ文学を学ぶことになったのだが、様々な困難が僕を待ち受けていた。まず交通手段だ。ロサンゼルスには公共交通がほとんどない。電車の路線はごく少ないし、バスに乗ったら、本当にいつ着くかわからない。

 結局サンタモニカ近くの海のほうに住むことになったのだが、どうしても車で通う必要があった。だが問題があった。当時30歳を過ぎていたのだが、僕には免許がなかったのだ。文学者にはそんなもの必要ない、と思っていたのだが、冷静に考えれば、東京暮らしで車が必要じゃなかっただけだ。

 しょうがないから急遽、日本で近所の自動車学校に通った。中学で受けた保健体育みたいなダラダラした授業に大学生たちと出るのは、それはそれで楽しかった。S字クランクも問題なかったし。ようやく日本の免許は取ったが、まだ問題は残っていた。

 当然のことだが、アメリカは右側通行だ。日本とは違う。さらにロサンゼルス特有の問題もあった。みんなが使うのは基本的には高速道路で、下の道は最短距離しか走らないのだ。ぜんぶ下の道で行ったら、学校までかなりの時間がかかってしまう。どうしよう。

 そうだ、と閃いた僕は職業別電話帳を開いた。あった。「運転教えます。日本語可」。これこれ。カリフォルニア州の免許が欲しかった僕は、すぐに電話をかけた。やっぱり国際免許だけより、地元の免許もある方が安心だよね。

 ちなみに、アメリカでは自動車教習所はない。あとでわかったのだが、アメリカの人たちにとって、自動車を運転することは自転車に乗るみたいなもので、巨大なスーパーの駐車場やなんかで、親などに個人的に教わるものらしい。じゃあ、この国の誰も教習所に行ったことはないのか。

 もちろん家族や友人だけでは不安だ、という人もいる。そんなとき、運転学校の先生に出張講座をお願いするわけだ。とはいえ、塀に囲まれた安全なコースなんて存在しない。だから1時間目でいきなり路上運転である。

 本題に戻ろう。しばらく経って、僕の家の前にやって来たのは韓国人の先生だった。どうして。そして先生はこう言い放ったのだ。「君は若いので知らないだろうが、朝鮮半島は昔、日本だったんだよ。そのときおじさんは親切な軍人さんから、トラックの乗り方を教わったんだ。だから大丈夫!」

 え、おじさん何歳なの? それって、ものすごく前の話だよね。しかもこれから乗るの、トラックじゃないんですけど。でもやる気満々のおじさんを前にして、やっぱり止めます、とも言えない。さっそくおじさんが乗ってきた教習車の運転席に僕は乗り込んだ。

 日本と同じく、教習車の助手席にはブレーキが付いていた。危ないときにはおじさんがブレーキを踏んだり、右からハンドルに飛びかかってきて、車をコントロールするという仕組みだ。僕はおじさんの指示通り、なんとか大通りに出て調子よく運転を続けた。

 けれども問題が発生した。おじさんの普段の会話は日本語なのに、大事な指示だけがことごとく英語なのだ。しかも韓国訛り。こんな感じだ。「じゃあ、まーっすぐ行って。そうそう。レンチェン! ああ早く早く。じゃそこの角をトュンライ! ちゃんと曲がって! 過ぎちゃったよ。ちゃんと聞いてんの!」

 いやいや。大事な指示だけ日本語の方がまだ良いんですけど。しばらくするうちに、おじさんの用語が分かってきた。レンチェンはlane changeで車線変更のこと。トュンライはturn rightで右に曲がれ、トュンレフはturn leftで左に曲がれだ。

 だが、免許取り立ての僕は運転中、完全にテンパっていて、英語のリスニング力が極端に落ちている。というか、なんで日本語教習をお願いしたのに英語なんだ。しかもおじさんは基本、温厚なのだが、実はかなりせっかちで、突然イラッとする。とにかくプレッシャーが凄い。

 指事に従えずに何度も怒られ、ついでに待ち合わせに3分遅れてもっと怒られて、そうこうしているうちに、ようやくアメリカでの運転にも慣れてきた。で、ようやく高速教習に挑戦した。

 おじさんが一緒に乗っているのをいいことに、僕はグングンとスピードを上げる。アメリカの高速道路はタダなぶん、整備が行きとどかずにガタガタしている。周囲の車も、やっぱりろくに教習を受けたことのない人の車ばかりで、右にウィンカーを出して左に動くことなんてしょっちゅうだ。おまけに車検もないから、ボロボロのやつも多い。

 そんなワイルドな道を快調に飛ばして、海のほうから30分かけて、サウスセントラルの出口までやって来た。学校までもうすぐだ。「さあ降りて」と言われて出口から坂道を下って行ったのだが、感覚がおかしくなっていたのか、ちゃんとブレーキを踏んだつもりが、全然減速できていなかった。

「こわいこわいこわいこわい!!! ブレーキ踏んでー!!!」とおじさんは絶叫していた。よっぽど恐かったのだろうか。そのとき僕は思った。おじさん、ちゃんと日本語でしゃべれるんじゃん。

3-1.ロサンゼルス編 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』〜カリフォルニアの緑の寿司 に続く


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