2-3.金沢編 吉田健一「金沢」〜金沢にはチョコパフェがない

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 金沢に住んでいると、ときどきびっくりするようなことがある。妹が「チョコパフェを食べたい」と言い出したときもそうだった。そんなもの、どの喫茶店やファミリーレストランでもあるに決っている。高校時代の僕もそう思い込んでいた。

 でも、これが全然ないのだ。中心街である片町の喫茶店を見て回っても、そもそもパフェがない。あってもチョコパフェがない。どうして。さんざん歩いて、どうやらこの街にはチョコパフェを食べたいと思っている人が一人もいないらしいことに気づいた。恐い。

 あるいは中華料理もそうだ。金沢には8番ラーメンという人気のチェーン店があるのだが、食べてみても、微妙に納得できない。なんというか、中華スープに浸ったうどんみたいなのだ。いや、これはこれで美味しいんですよ。でも、ギリギリ日本語が通じるかどうかという、店員が中国人ばかりの店で出るあの中華感がまったくない。

 仕方がないので、僕はわざわざ中心街まで自転車で出かけては、数少ない本格中華の店で餃子だけ頼んで食べたりしていた。なにしろお金がなかったんだよね。でもこの妙な注文の仕方をする高校生に店員のおばちゃんは冷たくて、「なんで餃子だけ頼むの?」なんて叱られた。辛い。

 もちろん80年代の当時と今は違う。数年前、高校の同窓会出席も兼ねて久しぶり金沢に戻ったのだが、まあ本当に変わっていた。中心街のデパートにはグッチやエルメスなんかのハイブランドの店が入っている。お洒落な現代建築である金沢21世紀美術館なんか、素敵で面白くてたまらない。何というか、だいぶ普通の都市になっていた。今ならチョコパフェだって本格餃子だって食べ放題だろう。

 けれどもいちばん印象深かったのは、21世紀美術館の傍にぽつんと建っている和菓子屋だった。ここらへんはもともと県庁と金沢大学附属小中学校があったのだが、美術館を作るために取り壊してしまって、和菓子屋だけが残ったのだ。何気なく頼んだお菓子を口に入れた途端、ものすごい衝撃を受けた。ちょっと考えられないくらい美味しいのだ。

 それは、京都の料亭で昼食のお弁当を食べたときと同じくらいの驚きだった。今まで東京なんかで食べてきた和菓子ってなんだったんだ。そのときに僕は悟った。金沢に住んでいたとき、洋風や中華風の食べ物を探して回っていた僕は愚かだった。金沢は和風の頂点にいる街の一つなんだから、黙って和風なものを食べていれば良かったのだ。

 でもまあ、高校生ならチョコパフェや餃子を食べたいよね。その年で料亭や割烹なんて行けるわけないし。和菓子もそこまで興味なかったし。というわけで、30年も経ってから、自分は金沢の魅力に出合い損ねていたことにあらためて気づいたのだ。

金沢から東京を眺める

 1973年に書かれた吉田健一「金沢」にも、この街にはどれだけ和風なものしかないかの記述がある。神田に住む裕福な商人の内山は商用で金沢に来て、横文字の看板が一つもないことに気づく。地元の人と飲んでいて、金沢には中華料理はあるんですか、と何気なく訊くと、「そんなものはありません」と即座に返される。そして、地元風の暮らしがここまで充実している街では、よその料理なんかには誰も興味を持たないんだろう、と一人で納得するのだ。

 この不思議な街の秘密を知りたくなった内山は、犀川から上がった台地にある古びた家を手に入れ、日々を過ごし始める。とはいえずっと住むのではない。商売の合間を縫って、数日、長くて数十日をこの古都でただ過ごすのだ。短時間で通過する旅行者でもなく、長く暮らす住民でもない。こうした街との付き合い方ではじめて見えてくるものがある。それは、東京とはどういう街であるか、だ。

 と言うと奇妙に響く。内山は金沢を知ろうとしているのではなかったか。だが彼には、金沢の良いところも嫌なところも全部まるごと受け入れるような気持ちはない。だから、住み着いて地域の共同体に参加したりはしない。代わりに東京とは違う時間の流れ方を感じ、東京にはない美味い料理や酒を堪能し、地元の名士や宿の主人、住職などと人生や自然についての議論を交わす。そうして、東京ではこうはいかない、というものを一つ一つ発見していくのだ。

 具体的に言おう。東京では便利であることや最新であること、そして外国製であることが重視される。しかし、金沢にいると、それらは大して重要なことではないと気づく。「冷暖房完備や極彩色の家具に現を抜かすのから覚めればやはり絵や家財道具が欲しくなり、その家財道具も人が使い込んで落ち着いた感じのものが好きならば仕事に熱心な骨董屋が相談相手になってくれる」(19ページ)。

 骨董屋の持ってくる家財道具はもちろん古い。だがその手触りや色合いには、最新だったり輸入品だったりするものにはない味わいがある。刺激はなくとも安らぎはあるから、暮らしの中にしっくり馴染む。しかも部屋を見回してみて、奇妙な具合に目立つこともない。だから神経が安らぐ。だいたい、家財道具に便利さや刺激を求めるなんて、おかしなことなのではないか。

 そうした刺激を求める心の裏には、人間の手で時間をどんどん先に進めたい、という欲望がある。だから広告を打つ。新製品を売り込む。そうした広告を見ていると、自分が既に持っているものがつまらなく思えてくる。だから、充実して生きるには、広告を無視する必要があるのだ。「昔は広告なんていうものはなかった。昔はなかったものにどの程度に影響されずにいられるかで人間の生活の中身が決るのかも知れません」(97ページ)。

独自の生命を持つ街

 時間は意図的に経たせるものではなく、気づけば経っているものだ。東京には意図的な時間しかないが、金沢には自然な時間がある。街を貫く二本の川は、そのことを思い出させてくれるだろう。「犀川が流れるのを見ていると少くともこの町にいる人間が時間をたたせるのではなくてたつものであることを知っていてその時間が二つの川とともに前からこの町に流れているという気がした」(43ページ)。

 太平洋戦争のときに空襲で焼かれ、そのまま何度も立て替えが続く東京の家々には魂が宿らない。それはそのまま、物であるだけだ。だが空襲のなかった金沢で、ゆっくりと流れる時間を過ごしながら、人間とともに生きてきた家はだんだんと独自の生命を持つようになる。「金沢では犀川の向こうの家がこっちの家に話し掛けていた」(45ページ)。なぜそうなるのか。内山にとって、家に魂が宿れば、独自の意識を持つのも当然のことだからだ。だから人が家を意識するのではなく、家が人を意識し、ついには人に話しかけてくるまでになるだろう。

 こうして人と物の境界は不明確になる。家だけではない。木々も話しかけてくる。人は木々と親密な会話を交わす。「木は実際にその葉が擦れ合うだけで我々に話し掛けてその時に木が何と言ったかは木と話し掛けられた人間しか知らないことである」(44ページ)。東京で木の声が聞こえないのは、人工的な時間に追い立てられる我々が、人は人、物は物、という便宜的な見方を捨てられないからだ。

現実と地続きの夢空間

 物が物であるまま生命を帯び、時間の中をたゆたう。その象徴が、出入りの骨董屋が見せてくれた宋の青磁の焼き物だ。碗の底に沈んだ紅は、固形物でありながら命を持って揺らめく。ただの土が、そのまま別天地を孕む。ならば、物質でありながら同時に命を持つ、というこの青磁の碗は書物の比喩でもあるだろう。木から作られた紙に記された黒い染みを辿っていくと、我々は別の時代、別の場所へ誘われる。そしてそこで確かに、生きた生命と出会い、その感触を味わう。

 だから、碗は書物であり、金沢という街もまた書物なのだ。そしてそこでは、人は固有性を失い別の人に変化し、金沢に居ながらにして古代ローマに、そして李白のいる中国に飛ぶ。物理的には人は一度に一ヶ所しか居られないが、文学では自由自在だ。その情況を現しているのが、本作にも登場する忍者寺である。「上に行く積りで階段を登っていくとそれを登り始めた場所に戻って来たり二階にいる気でいたのがいつの間に変って三階か四階の物見櫓だったりする」(71ページ)。

 その寺を巡ったあと、内山は様々な時空を彷徨うことになる。酒を飲み、金沢のひたすら美味い料理を食べながら、今お酌をしてくれている女は誰だろう。あるいは過去に自分が愛した女が全員融合した存在なのだろうか、と思う。仙人の絵を見れば、その仙人が絵から出てきて挨拶するのは、物理的な次元にこだわらなければむしろ当然のことだろうと考える。今目の前にいる店の主人が他の主人二人と重なる。「内山は主人が別人であることを除けば前にもそうして三人で飲んだことがある気がした」(159ページ)。

 ここまでくれば、もはや金沢は実在の都市ではない。人を焦らせるだけの東京とは違うすべての場所、そしてすべての時間であるだけだ。そして金沢は、イスマイル・カダレの『夢宮殿』のように、不定形に蠢きながら、様々な時空に我々を連れて行く。だがこの吉田健一の「金沢」が優れているのは、作中の金沢がそうした夢空間でありながら同時に、確かに金沢だ、という感触を持ち合わせていることだ。雨に濡れた犀川大橋の鉄骨の煌めき、どこまでも続く瓦屋根の連なりの描写には、確かに金沢の匂いが封じ込められている。

 実はこの忍者寺は当時の僕の家の近所にあって、一度友人と行ったことがある。案内係の僧侶に連れられて館内を見て回ったが、とにかく普通の観光地、という感じだった。もちろん、隠し扉なんかの仕掛けは面白かったけど。最後に「どちらから来られましたか」と訊かれて、「すぐ近所です」と答えたら、すごく変な顔をされてしまった。日本全国の観光地同様、地元の人はめったに来ないらしい。だろうね。でもだからこそ、吉田健一の幻視力の凄みが今の僕には分かる。あーあ、また金沢行きたくなってきたなあ。

参考文献
吉田健一『金沢・酒宴』講談社文芸文庫、1990年。

3-0.ロサンゼルス編 プロローグ〜アメリカの自動車教習 に続く


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