特別鼎談:大谷能生×鈴木淳史×栗原裕一郎 「音楽」で読み直す2010年までの村上春樹・後編

『村上春樹の100曲』の発売を記念して、2010年に発売された『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)に収録された、大谷能生さん、鈴木淳史さん、栗原裕一郎さんによる鼎談を特別公開します。『村上春樹の100曲』とあわせて読むと、この8年間で村上春樹の作品中の音楽の扱いがどのように変化していったかがわかるかもしれません。今回はその後編。クラシックについての話題からどんどん話がひろがり......。それでは、じっくりとお楽しみください。

前編はこちら

クラシックは異界への入り口

栗原 ロックやポップスの場合、物語上の機能というか、音楽でどういう世界をつくりたいのか割とわかるでしょ。ジャズもまあわかる。一番見えにくいのがクラシックじゃないかと思うんですよ。

鈴木 時代と一緒には出てこないからね。時代を表わす記号じゃなくて、違う世界に行くときに合図なんかとして出てくる。古いポップスと同じ扱いだよね。口笛を吹いたり、BGMとして流れたり、という使われ方をしている。

栗原 『ねじまき鳥クロニクル』冒頭でスパゲティを茹でながら聴くロッシーニ『泥棒かささぎ』序曲なんか典型的に「異界への合図」なんですよね、言われてみると。

鈴木 アバドね。すると変な女から電話がかかってくるという。『1Q84』のヤナーチェクもそうだし

栗原 『海辺のカフカ』のシューベルトしかり。

鈴木 シューベルトはそういうところがあるんですよね。日常から急に劇的に変わるんじゃなくて、フッと陰りが出たり、なんとなく空気の感じがおかしいぞという変化をする。ベートーヴェンだともっと劇的にウワーッ、大変だーとなりますけど、シューベルトにはそういう活劇っぽさがない。

大谷 メジャーとマイナーの中間みたいな。僕はシューベルトは異界に入るときの音楽となんとなく思っていたんですが、そういえば村上春樹が使っていたなと。あのD850は捉えどころがない。

栗原 何回聴いても覚えられないんだよね、あの曲。

大谷 シューベルトの曲は覚えられないですよね。

鈴木 すごく不安定なんですよ。前述の喜多尾さんは、D960のような後期の作のほうが村上春樹っぽいと書いていますが、あっちはまだまとまりがいいんですよ。D850はまとまりが悪い。「ホラーだぞ」と最初から読み手を脅かすのではなくて、エレベーターが開いたら、ちょっと違うところに行ってまた戻ってくるというような。行き来するところがD850と合っているんじゃないかな。

大谷 ジャズは意外とアイテムとして出てくる例は少なくて、しかも、たとえばナット・キング・コールとかだとジャズというよりポップスの文脈になりますよね。

栗原 ボビー・ダーリンあたりとどう違うかと考えると、「古いポップス」って括りでいいんじゃねえかって気はしますよね。ところで、ナット・キング・コールには実は「国境の南」の録音はないという例のアレだけど。

大谷 アルバムの中には調べた限りないですね。

鈴木 ライブでは?

大谷 ライブやラジオでは間違いなく歌っているはず。録音については、かなり素で勘違いしていたと思いますね。だって、ほんとにありそうですもん。

鈴木 村上春樹自身が「間違いだった」とインタビューで認めていませんでしたっけ。

栗原 『ポートレイト・イン・ジャズ』のナット・キング・コールのとこに書いていた。この件からわかるのは、村上春樹は書くときにいちいち確認していないということですね。

鈴木 『羊』と『国境の南、太陽の西』と二回出てくるしね。

大谷 それにしては初期の作品のヒット・チャートの使い方が時間的に正確に合うように書かれている。ラジオで絶対かからない曲は書いていない。だから、ナット・キング・コールに関して間違えたのは、実際にラジオで聴いたことがあったからじゃないかと。

鈴木 記憶にはあったと。

栗原 なるほど!

大谷 あるいは、子供のころの記憶自体が間違っていたとか。ナット・キング・コールの「国境の南」はどこかにある感じなんですよ。ないとおかしいくらいなんです。

鈴木 でも録音はされていない。

大谷 『東京奇譚集』にトミー・フラナガン・トリオがメドレーで、「バルバドス」と「スタークロスト・ラヴァーズ」を演奏したという話がありますが、録音ではフラナガンはその2曲を続けてやっていなくて、たぶん村上春樹が持っていたのは、77年のライブ盤(『モントゥルー'77』)だと思います。その盤をずっと愛聴していて、で、ライブに行った時に、この2曲をやってくんないかなーとか思うっていう。これは本当にジャズオタですね。

鈴木・栗原 ほー。

大谷 この2曲は本当にマイナーな曲で、あんま取り上げられることもないんですよね。ペッパー・アダムスが吹いてトミー・フラナガンが弾いている盤もあるんですが、片方しかやっていない。まあ、このトミフラのメドレーのエピソードまで嘘だったらすごいなーとは思ってて、『風』のデレク・ハートフィールドみたいに。なんですが、そういう音楽のディテールの押さえ方を外さなかった人が、『カフカ』あたりに来て、勝手にヒット曲をつくったり、それまでの村上春樹ではありえないことをやっている。架空の曲をつくって、作品の真ん中に据えるなんて、過去の作品から見たら転向ですよ!

鈴木・栗原 あはは。

大谷 村上春樹を以前と以後に分けるとしたら境目は『国境の南、太陽の西』ですよ。ここしかない。

栗原 そういう説は初めて聞いた(笑)。でも俺も別の理由で『国境の南~』で分かれるというのには同感。

鈴木 あー、わかりやすい。やはり一度は時代順に通して読むべきだな、こりゃ。

大谷 架空の曲を中心に据えるという無意識にやったことが成功したかどうかは別として、『国境の南、太陽の西』は『ノルウェイの森』をそのまま短くしただけ。すごくよくできたポルノだと思う。

村上作品のポルノ性

大谷 村上春樹はポルノの書き方がうまいよね。

栗原 最近はギャルゲーみたいになっている。『1Q84』のふかえりとか狙ったかのようだし。

鈴木 たしかに『1Q84』はギャルゲーっぽい。

大谷 ただ、最近は若者の会話の言葉遣いが古い。勘弁してくれって会話が続くから読んでいて嫌になってくる。『東京奇譚集』も会話がひどいけど、一番ひどいのは『アフターダーク』だと思うんです。村上春樹の中でも大失敗作。

鈴木 あれは特定していないけど、新しめの年代で書いていますよね。だいたい70年代が多くて、『1Q84』が80年代。そうしないと書けないと思うんですよね。2000年代の会話を書けと言われても書けないんじゃないかな。

大谷 『1Q84』は最近では一番いいと思います。BOOK1しか読んでいないけど。

栗原 BOOK2、BOOK3と巻を重ねるごとにどんどん失速していくんですね、これが。

鈴木 BOOK3はちょっとキツかったですね。

栗原 ありえないくらい間延びしちゃって。もう無理に書く必要なんてこれっぱかしもない立場のはずなのに、なんでいまさらこんなキャリア最強に枚数稼ぎしたみたいなものを書いちゃうのかと思った。

大谷 『アフターダーク』『東京奇譚集』『神の子どもたちはみな踊る』の3作もすごくひどい。昔の記憶を頼りに書いたみたいなものばかりで。でも『神の子どもたちは~』の「かえるくん、東京を救う」の最後だけは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じくらいよかった。でもやっぱり『ノルウェイの森』が一番ですね。

栗原 『ノルウェイの森』がベストって言う人を見たのは大谷さんが初めてだなあ(笑)。

大谷 なんで?

栗原 失敗作に数えている人のが多いと思うよ。あるいは別枠扱いとか。

大谷 一番よくできていると思いますけどね。

鈴木 プロットの積み重ね方としてはよくできていますよね。異次元に行くとかないから、無理がない。

大谷 そうそう。村上春樹がオブセッションとして持っているテーマをこういう文体で本気で書いたらこうなったという力業を感じる。最初は飛行機のなかから始めて、次の時間はこう戻すとか、空間をこう移動するとか。ちょこちょこエロシーンを挟むとか。必然性がなく脱ぐとか。そういうのを含めて、読者を飽きさせないようにそれまで培ったものが全投入している。

鈴木 売れたのはよくわかる。

大谷 あと、最大の原因は、あれはエロいからですね。それまでエロがなかった村上がヌードをバンバン使ったのはあれがはじめてでしょ。セックスもちゃんと若いのとも年寄りともやるし。『国境の南、太陽の西』もちょっと好き。

栗原 『国境の南、太陽の西』を好きって人も初めて見た(笑)。あれも叩かれたんだよな。

大谷 そうなんですか。叩く人と叩かない人がいるというのはリトマス試験紙みたいで面白いけど。

栗原 「こんなのハーレクインじゃねえか」って言われたんだよね。そういう批判に対して、村上春樹は「みんなハーレクインって言うけど、読んだことあるんですか? 僕はありません」って反論した(笑)。

大谷 イメージでものを言うのは本当によくない。ハーレクインを書いている人に失礼じゃないか。

栗原 大谷さんが『国境の南、太陽の西』を評価するのはどのあたり?

大谷 テーマとして曲が真ん中にあって、音楽の使い方と女の子が分かれている。車で移動するとか、基本的なモチーフがいっぱい出てくるじゃないですか。移動して移動先でやるとか、そのときにエロいシーンの描写が読ませる。エロ・ディテールとじらし描写がきちんと配置されてるとか。勃起の硬さの描写とか。玉を触るとか。フェラとオナニーとか(しかも女子)。

栗原 エロばっかじゃねえか!

大谷 エロは超重要ですよ!

鈴木 村上春樹のエロだけ抜き出すと「ヌケる村上春樹」になるよ。この本もそういうテーマにすればもっと売れるかも。

大谷 女子はそういうのを求めて読んでいるんですよ! 小説を前に進めるために、雨が降るとか手続きが必要になるじゃないですか。映画と一緒で。そういう前に進めるための手続きをちゃんとやってくれるとよいんです。内容はどうでもよくて。言葉が動くと小説も動く、それがあれば小説を読んだ気になる。そういうタイプの読み方しかできないから。

鈴木 勃つためにはディテールの積み重ねがないと。そこで嘘が見えると萎えちゃう。

大谷 嘘というか、「ここは楽しているだろう」という部分があると萎える。

栗原 大谷さんにはBOOK2まで読んで、ふかえりと天吾のセックス・シーンを判定してほしいね。ふかえりが「オハライをする」とかいって天吾にモーションかけるんですよ。いろいろな意味でやばい(笑)。

鈴木 それで抜けるかどうか。

大谷 そこで『1Q84』に対する評価を決めると。

栗原 そうそう。大森望が「BOOK1だけでもう十分。BOOK2は要らない」って言ってるんだけど(『村上春樹『1Q84』をどう読むか』河出書房新社)、俺はふかえりとのセックス・シーン、BOOK2の途中まで派で(笑)。オハライの後、信じられないくらいダメになっていくのね。

鈴木 でも、この小説がふかえりとのセック・スシーンで終わったら大変だ(笑)。

大谷 女の人が消えて話も終われば、『国境の南、太陽の西』と同じですね。『ノルウェイの森』とも『スプートニクの恋人』とも『羊をめぐる冒険』とも一緒だけど(笑)。

登場人物の口を借りて自説を語る春樹

栗原 エロから話を戻して(笑)。村上春樹作品の登場人物が語る音楽論って、村上本人の音楽論なんですよね。あらゆる登場人物が村上春樹の分身。

大谷 だから「白人ジャズなんか絶対ダメ」なんて言う人は出てこないし、「コルトレーンは最高だ」とか言う中上健次の分身みたいなのも出てこない。

鈴木 そういう対立をあえて出そうとはしていない。普通の小説家ならむしろ対立する人物を出すことで、自分の考えを強調させたりするのに。

大谷 そういうのがないと話が前に進まない人のほうが多いですからね。

鈴木 それをやらずに済んでいるのがいいんですよ。その代わり、柄谷行人あたりに「他者性がない」なんて言われるわけだ。もっとも春樹の場合って、他者性なんてウソっぽいものは最初から存在するわけないんじゃボケ、といった姿勢がすがすがしいのかも。

栗原 『国境の南、太陽の西』くらいまでは学生運動の影を引きずってて、村上本人は学生運動に対してクールな素振りをずっとしていたけど、「革命の挫折」と「音楽(ロック・ポップス)のマジックの喪失」というものが実はけっこうシンクロしていた。彼の音楽観はそのあたりから基本的には動いていない。

鈴木 『1973年のピンボール』に一番よく出ていますね。あと『ダンス・ダンス・ダンス』。

大谷 レディオヘッドとかプリンスが『海辺のカフカ』に出てくるじゃない?

鈴木 小説以外では、R.E.M.がいいとかスガシカオがいいとか言ってるんだけど......

栗原 シェリル・クロウはなかなかいいとか、ウィルコの新譜は必ず買うとか。

大谷 でも、そういうものを作品内に使える状態には今はないんでしょうね。

鈴木 スガシカオは『アフターダーク』で使われているけどね。コンビニで流れる音楽。

大谷 それこそ記号ですよね。まさに記号的にしか使っていない。

鈴木 時代を表わしているよね。携帯電話も出てくるし。携帯電話が出てくるのは、この作品が初めて。だから会話がおかしいんだよね。とっちゃん坊やみたいなのが出てくる。みんな70年代からタイムスリップしてきたという設定でやればよかったのにね。

大谷 そのほうが面白いですね。『1Q84』は過去が舞台だし。『海辺のカフカ』にはプリンスが使われているけど、意味がないんですよ。プリンスでなくてもいいという使われ方でしかなくて、文章を前に進める力にはなっていない。『1Q84』のBOOK1がいいのは丁寧に音楽が配置してあるから。それと最初は移動シーンだけど、『ノルウェイの森』も『国境の南、太陽の西』も移動シーンだし、雨が降って切り替えがあって、というのを丁寧にちょこちょこやってくれると、ちゃんとした文章の書き手だからこちらとしても読む気になる。

栗原 80年代以降は書けないんだろうね。バブル崩壊後の『国境の南、太陽の西』あたりから何か空転してるというか、ズレ始めた感じがするんだよね。世界での評価が高まるのは逆にそのころからというのがけっこう皮肉で。

鈴木 だから、1984年に時代を固定した『1Q84』はギリギリのライン。

大谷 音楽との結びつきも含めて、自分がハンドルできるのがそこまでだったということだと思う。

鈴木 ジュクジュクに熟して、好きな人しか読まないというのもいいと思うんだけどね。

栗原 登場人物の音楽論に戻るけど、『1Q84』で天吾が不倫している奥さん、安田恭子さんがすごいジャズ・マニアでね。コトが終わった後、ベッドでルイ・アームストロングのレコードを聴いていると、ルイの歌やトランペットじゃなくてバーニー・ビガードのクラリネットを聴きなさい、なんて言ってディープな講釈をひとくさり垂れるんですよ、40歳前後の人妻が(笑)。天吾が「どうしてそんなに古いジャズに詳しいの?」と聞くと、「あなたが知らない過去がたくさんあるの」って答えるという。

大谷 「そして天吾の睾丸を手のひらで優しく撫でた」と。いいシーンじゃないですか。音楽の話をした後にこういうポルノがないとダメなんですよ。

鈴木 その人妻の前世はジャズ喫茶の店主だったんでしょうかね。

栗原 もう唐突すぎて悶えるしかない。『CDジャーナル』の村上春樹特集号(2009年8月号)で、シンガー・ソングライターの鈴木祥子が、村上作品には、主人公を惹きつけて事件に巻き込むエキセントリックなファム・ファタルか、主人公を優しく包む聖母のような女の二種類の類型しか基本的にはいないって切り捨てて。

鈴木 女の扱い方は凄まじいですよ。

大谷 要らなくなったら消しちゃったり(笑)。

栗原 安田恭子さんも突然消されてしまいました。

鈴木 都合のいいことを何でも知っているし。結局、橋渡し役で、生身じゃないんだよね。そのあたりはフェミニズム系の人から批判されているんじゃないですか。ご都合で出しているだけだと。

栗原 それはもう死ぬほど。

大谷 それは読めばわかることで、そこに怒っても仕方ないでしょう。音楽の話をしていて、いきなり睾丸を優しく撫でて黙らせる。これですよ。蘊蓄と睾丸を撫でるのが合わせ技でくると「村上春樹の小説だな」ってグッと来ますね(笑)。

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初出:『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社、2010年)

初出時タイトル:「更に深く、ハルキの森の、茂みの奥へ......!?」

村上春樹の100曲