美しい絵を見た時、海の光を見た時、日差しに射抜かれるように照らされた時、私は自分の幼い頃の心がちゃんとここにまだあるって思う。あのころに信じていたことを思い出せなくても。あのころの自分の瞳の色。それは今の自分の瞳の奥にも、(もう開かない引き出しの中かもしれないけれど、)あるんだって思える。
歌には、自分の気持ちを代弁してくれると思ったり、自分の愛情の延長線上にある何かを見せてくれたと思ったり、そんな魔法を感じることがよくあるけれど。その、もっと先で、「自分の純粋さを思い出させてくれる」という魔法に時々出会う。
小さい頃は神さまがいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 ひらくときは今
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私は松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」の歌詞が、本当に、本当に好きで。それは「神さま」「愛」「夢」「大切」「心」という単語の手触りが、あまりにも子供時代のものだからだ。いや、子供の頃は「愛」なんて言葉を使ったかな? 大切なことがとてもそばにあって、そのままでそこにあるものを信じられたから、言葉にする必要なんて感じてなかった。たぶん、「愛」なんて言わなかった。そんなものが周りにたくさんあった時期だ。なんの疑いもなく、無防備に、目の前にあるきらめきを信じていた。それが本当の光の時も、まぼろしの光のときもある。優しい人が本当に優しいことも、子供のために嘘をついて優しくしてくれていることもある。そのすべてがきらめいていた。世界にはまだ魔法があり、手を伸ばせばそこに夢があると思えて、それらを信じるとか信じないとか、そんなふうに見つめる必要もなかった。ただ、そこにあるから、そこにあるものとして受け入れていた。
あのころのきらめきをみつめている眼差しが、この曲の歌詞にもあるって感じる。それを思い出すのだ。今の私が子供の頃の私がみていたものを、大人として思い返すのではなくて。あの時の私にしか見えなかったものが、もう一度目の前に蘇った気がした。
自分が幸せになることを多くの人が願っている気がした。きらめきで包まれて、次の日が来ることが怖くなかった。自分の一歩先のことを案じる人がたくさんいたから。子供の頃の私は「愛」なんて言わなかったはずだけれど、その頃の感性に今なら言葉を授けられる。大人の都合や、懐かしむ気持ちを込めずに、子供時代の自分も自分なのだからという無遠慮で押し付けがましい共感がないままに、言葉を当てはめることってきっととても難しいのだけど。
でも、この歌詞を見ていると、ここにある「愛」はなんだかとても無防備で、言葉なんだけど、言葉にする必要をあまり感じていないようなごろっとした手触りがある。言葉なんだけれど、言葉にすることで混ざる「言葉にするときの下心」が少しも見えなかった。
だから、この曲に触れると、言葉にする必要なんて少しも感じてなかった頃の私が見ていた世界を思い出す。あるのは言葉なのに、言葉がなかった頃の私の世界が、残されているって思う。純粋さがこんなふうに心に蘇る時、「心が動く」とか「共感する」とか言っていいのかわからない。なんだか生まれ直したみたいだって思うのだ。
カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら
きっと目にうつる全てのことはメッセージ
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この「全てのことはメッセージ」が、それこそ、自分の当時の瞳の光の結晶みたいな言葉だと思う。その頃の私の心を結晶にして、そっと渡されて、きれいだねってぼんやりとそれを眺めているような感覚。新しい世界を教えてもらうとか、刺激に自分の恋心に火をつけてもらうとか、そういうのもとても鮮やかだけど、私がしまい込んでしまった心の奥にある透明さを、日の光が見つけ出してきらっと、反射して「ここにあるよ」と教えるような鮮やかさ。私はこの曲がたくさんの人に愛されていることが、なんだかすごく、すごく美しいことに感じる。
「全てのこと」ってすごい言葉だ。でも、たしかに私は、あの頃、自分の周りの人とものが世界の全てだとも思っていたな。見えるものが全て美しくて、見えるものが全て、私に関わっているとも思った。この世界は私のものだと、(言葉にすると図々しいけど)でも、思っていた。自分の思うがままにしたいとか、願いを叶えたいとか、そういうことじゃなくて......。「私の心はこの世界を愛している」と当たり前に思っていた。こんな醜い側面もあるんだよとか、知ってる世界はこれっぽっちだよとか、そういうことがその時の私への反論になるとも思えなくて......。現実を知り、世界を嫌いになることも増えて、私はそんなふうには思えなくなってしまったけど、それは口をつぐんだにすぎなくて、今でもそう思えるなら思いたいと思っている。心を開いて、全ての人が幸せならいいなと思っていた。全ての人に優しくできたらいいなと思っていた。綺麗な朝がきたら、みんなにもきていたらいいなぁって思っていた。
そういう「全て」のことを、この歌詞を見ると思い出す。
「きっと目にうつる全てのことはメッセージ」は、音楽の言葉だから、聴いているその人の目の前には自分の部屋やぬいぐるみや、自宅の窓からの景色や通学路があって、聴いている人にとっての「全てのこと」が確かにそこにあるのだろう。この歌は、人に、透明の光の矢を手渡すようなことをしていると思う。ただの共感とか、応援とかではなくて、その人の心を乗せて、地平線の向こうまで飛んでいくような矢を手渡してしまえる。今の目の前にあるものを通して、「何もかもを信じていた時代」のあなたを目覚めさせる。あなたはずっと昔、この矢を、たくさんたくさん持っていたんだよ、と教えてくれるのだ。目の前のものが綺麗なだけで、世界の全てを愛したいと思えた。朝が心地いいだけで、永遠に幸せでいられる気がした。あなたはたくさんのことを、無防備に心の底から信じて。そうして無数の人を愛することも、夢を見ることもできていたんです。いまだって、あなたはあの頃の「あなた」とともにいるって。
ただ、懐かしいとか、ただあの頃は良かったとか、そんなふうに当時の私を思い出すというより、あのころ当たり前に抱いていた愛や夢を、手のひらにのせてもらえたような感覚だった。もうあの頃の私ではないです、と、私は同時に思うのだけど。生きてきて、世界の全てを好きだとはもはや思えなくなってしまった。でもそれでも、そんなふうにがっかりしたり悲しくなったりすることがたくさんある世界でも、本当は好きでいたかったから。昔の自分の心を大切に思い出すという形で、少しでもそれができたら素敵だって感じる。たくさんの人が傷つく中で、その苦しみがちゃんと聞こえている中で、「みんなが幸せでいてほしい」と願うのは、なんにも知らない頃よりずっとしんどくてつらいけど。でも、おそるおそるでもそれができていたらいいって思える。諦めたくないって思える。昔の私の真っ直ぐさを思い出させてくれるこの歌が好きだから。この歌が、そっと勇気をくれるから。純粋なままで、そのまま100%で生きていく勇気が私にはなかったけれど、でも、この歌を好きだと思う私には、微かでも勇気のかけらがあるって、思えるから。
小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ
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※松任谷由実「やさしさに包まれたなら」
