賢治自体が矛盾したように書いているから
絵にしたら変なんです
前回に続いて今回は、ますむらひろしさんのライフワークとも言える宮沢賢治にまつわるお話を中心に伺っていきたいと思います。『エッセイ集 微熱少年』(立東舎文庫)で1975年にプロデビューした後、1982年の『銀河鉄道の夜』で大ブレイクしたますむらさん。今ではジョバンニやカンパネルラが人間で描写されると違和感を覚える人の方が多いと言われるほど、擬猫化された『銀河鉄道の夜』は"常識"となっています。でも、意外にも作品発表当初は批判もあったとか。いろいろ難しいですね! なおますむらさんは2016年2月6日からは八王子美術館で特別展「ますむらひろしの北斎展 ATAGOAL×HOKUSAI」が始まるほか、ATAGOAL CALENDARも毎年発表と、現在も旺盛に作活動を続けています。『銀河鉄道の夜』の新しいバージョンも準備中とのことで、これは楽しみです!
はっぴいえんどの思い出
Q ますむらさんは、松本隆さんのお仕事でプロデビューをはたしていますが、細野晴臣さんとの『銀河鉄道の夜』もエポックになった作品ですよね。はっぴいえんどとのかかわりが、本当に深い。
A Twitterにも書いたけど、はっぴいえんどのURCから出ているファーストアルバム(『はっぴいえんど(通称ゆでめん)』)は、当時山形県では山形市のお店1軒だけが取り扱っていて。それを夏に往復100kmくらい自転車で買いに行きました。今と違って国道も砂利道でしたけど(笑)。そうやって買いに行ったっていう話を、細野さんが『銀河鉄道の夜』で音楽担当だったので、特集本で細野さんと対談した時に細野さんにしたんですね。普通だったら「どうもありがとうございます」ってなるんでしょうけど、細野さんは「自分はいま、そんなふうに人が100kmもチャリンコで走って買ってくれるアルバムを作れるだろうか」って、なかなかかっこいいことをおっしゃっていました。過去の話ではなく、これから自分が作れるかなっていう話をされていましたね。
Q はっぴいえんどは、ライブもご覧になってるそうですね。
A 高校を出てから東京に出て来て、はっぴいえんどのライブを見たいなって思ってて。そんなにこの人たちは活動をしないんですけど、代々木の小さいホールかなんかで演ったことがあって、それを録音したテープは本当に擦り切れるまで聴いていましたね。全員が自分のコーナーみたいなものを持っていて、松本さんは詩の朗読をして、大滝さんがそこで「山小屋の灯」を歌ったのには腰を抜かしました。昔の和風カントリーソングですけど、みんながそういうものを聴かなくなっている時代に、あえてちょっと昔の音楽を演ったんですね。それから『風街ろまん』を出すときに、渋谷のBYGで出演予定だったから行ってみたら、「中止になりました」っていうことで......。それでお詫びにできたての『風街ろまん』を会場で流してくれたこともありました。あとは中津川フォークジャンボリーの、ステージがめちゃくちゃになった後に、小さなテントの中にはっぴいえんどが出て来て歌ってて、会場に佐野史郎がいて「ええど! ええど!」って野次っているのを聞いたこともある(笑)。
Q 70年代の空気がひしひしと伝わってきます。
A はっぴいえんどって、当時はカルトなファンだけが来てて、キャパが入りきらないとかそういう時代ではなかったんですよね。ウチの奥さんもはっぴいえんどを好きだったので、ちょっと珍しい人だなって思ってたくらいで(笑)。そういう人はそんなにいなかったからね、当時は。細野さんのアルバムも、『HOSONO HOUSE』から『トロピカルダンディ』なんかは全部彼女が買っていて、なかなかアンテナの良い人だなって思っていました。
上京してわかった賢治の魅力
Q そもそも宮沢賢治に引かれていったのは、どういうところからですか?
A 学校で習ったときは「気味の悪い人だな」っていう印象でしたね。「どう見たって、この人には付いていかないぞ」って思ったよね。やっぱり学校の教科書に出てくる賢治は、先生が「これは使える」って思った部分だけを抜いているから、いかにも教育っぽく現れてくるんです。でも、どうもその文章の中にも怖い、そんな甘いものではなく、怖~い賢治が見えるんですけどね。自分も東北だから、東北の暗さとか貧しさも知っていて、そういうものを引きずっているのも嫌だったし......。だから中学の時に図書館で借りて読んだりもしたけど、全然好きになったりはしなかった。
Q 教科書的な部分と、そこから透けて見える怖さ、その両方が好きになれなかったわけですね。
A でも、東京に来てから『ガロ』とかを読んでいると、宮沢賢治ファンが『ガロ』の漫画家の中にもいるんですね。それで、「なんで宮沢賢治が『ガロ』の中に現れるんだろう?」と思って、近くの本屋で『注文の多い料理店』を買ってアタマの文章を読んだら、もう感動してしまった。その時、やっと理解できる年になっていたんですね。あとは、自分が18歳まで米澤にいたから、田舎の風景を当たり前のものとして見ていたんですね。でも東京に来たら山が無いし、季節感も全然はっきりしない。初めて、「田舎って季節の中で変化しているんだな」と思った時に、望郷みたいな気持ちが起こって、賢治の中にはそれがゴロゴロしているわけです。本当にこの人は、田舎の景色を知っているなって。それにも感動して、それこそ毎日、賢治のいろんな本を買っては読んでいました。その中に『銀河鉄道の夜』があったんですけど、何べん読んでも途中でわからなくなる(笑)。「これはなんだ?」っていう感じだったんですけど、『マンガ少年』が始まったとき担当に、「いつかこれを漫画にしたい、漫画に描けばわかるはずだから」と言ったのがきっかけで、『銀河鉄道の夜』を描くことになったんです。
Q わからないから、描く。
A でも、82年に宮沢賢治の著作権保護期間が切れるということで、それを見越した哀れな企画だったんです(笑)。だからあんな風に売れるとは思っていなかった。それで出したら売れたのと、1ヶ月後にはアニメ会社が映画化したいと言ってきた。びっくりしましたね。
ジョバンニが猫になっても構わない
Q 1ヶ月後にアニメ化のオファーが舞い込むとは、早い展開だったんですね。
A でも、猫で描いているから、案の定もめ始めるんですね(笑)。宮沢賢治が昔書いた文章で、「わたしはねこが大嫌いです」っていうフレーズがあったから、研究者が「賢治は猫が嫌いだから止めなさい」って言うわけ(笑)。バカなことを言っているなって思ったけどね。あれは賢治が学校を出て質屋の跡継ぎをさせられていたときに、あんまり嫌でノイローゼになって、父親に対する険悪な気持ちを「ねこ」っていう話で書いたものなんです。だから、作家というものをそんなに簡単に読んではいけない。研究家ともあろうものが、何が「猫が嫌いと言っている」だって。それでも映画製作は続行しているので、宮沢清六さん(賢治実弟)が、「この研究家とこの研究家が反対しているので、この人達を説得していただかないと、自分は協力という形では手伝えない」と。それで、猫で描いたのは俺だから、「お前が行ってこい」とか言われて(笑)。裏では、そういうことがあったんです。
Q それはいろいろビックリです。でも、無事に説得はできたんですね。
A 説得できると言うよりも......なんで自分が猫でマンガを描き始めたかを言えば、もともとは宮沢賢治の影響なんです。生きとし生けるものに命があるわけだから、人より猫が劣っているとか、そういうものの考え方自体がおかしいわけで。あらゆる生き物をモデルにして、あの人は書いているわけですからね。だから、人が猫になろうが、猫が人になろうが、生命体としての自在さはもともとあるわけです。あと、最初に描いたのが『少年ジャンプ』の手塚賞用の応募原稿なんですけど、宮沢賢治がぎっしりアタマの中にいたから、「猫の事務所」のイメージがあったんです。ちょうどそのころは日本列島改造論ということであちこちボコボコにぶっ壊していた時期で、自然保護の問題とかも起きていた。それでテレビで水俣病の症状を調べるということで、水銀に汚染した魚を猫に食べさせて、猫が檻の中で痛みで跳ねているという映像が流れたんですね。そのときに、猫に対しての感情が入ってしまって、「ああ、これだ」って。猫たちが集まって、この国の人間を滅ばさないと自分たちは生きていけないっていう、猫が集まる会議のお話を描いたんです。だから賢治を読んだことと、猫というものに対する考え方の筋が通っていたから、立派な"宮沢賢治の読者"として、自分は登場したわけです。
Q 思いつきで猫にしたわけじゃないぞ、ということですね。
A だからジョバンニが猫になっても構わない。これは一種のリトマス試験紙みたいなもので、研究家と言っている人が、どれほどの気持ちでものを読んでいるのかが、問われるわけです。天沢(退二郎)さんなんかは、猫で描いたことに対しては全然構わない。本当の作品は猫じゃないということで揺るぎないわけだから、それを猫で描こうが大騒ぎすることじゃないとおっしゃっていて、映画に対しては協力的でした。
『銀河鉄道の夜』を漫画化する難しさ
Q 『銀河鉄道の夜』は、その後に描き直されていますよね?
A 82年に100ページで描いたんですけど、わけがわからない話なので、描いていても全然よくわからないままで......。それで、3年後にその作品の初期型、最初の頃に感じが変わったバージョンを200ページで描いたんです。それで今は、最初に描いたバージョンをやり直したいと思っていて、450ページまでノートにコマを切ったところです。ただ、やっぱりどうもわけのわからない世界で、いろんな人の説があるんですね。人によって、風景がどう出来上がっているかが、天と地がひっくり返るくらい違うんですよ。賢治自体が矛盾したように書いているから、絵にしたら変なんです(笑)。右手だったものが、いつの間にか左手になっている、この手品をどうやったら描けるのか。いろんな人が考えても誰も正解にならないのは、もともと矛盾しているからなんです。
Q ツジツマが合わないところが出てしまうわけですね。
A 結局、絵にした時に矛盾が現れるんです。言葉だからあいまいにしていたものも、絵に置き換える時にはあいまいじゃなくなりますからね。そういう独特の風景......言葉が作った風景だから。やっぱり絵というのは具体的なものですから、縦横ナナメみたいな形で全部とらえようとすると、矛盾したものが現れる。そこもまた、賢治の面白さなんですけどね。そういうものを自分がマンガに描いて、いろんな人が見ることによって、分かったこともあるし、描いたことがまだ間違っていることもあるし。それで、85年以降、いろんな人がずっと川に対して列車が走っている位置が逆だとか、いろんなことを言っていて。でもそうすると、さそり座がこっち側になってしまうとか......いろんな解けないことがいっぱいあるんです。
Q 450ページ版の『銀河鉄道の夜』は、いつごろ読めそうですか?
A 変な言い方ですけど、最後の楽しみみたいにしてやるつもりなので、締切があって、連載があって、みたいなしんどいのはもうこりごり(笑)。だから、4年後の掲載みたいな話を『赤旗』(日曜版)としていて、その間はずっと準備して描いていく予定です。でも、いま言ったようにいろいろ混乱している状態です(笑)。納得してないと......わからないまま描いているのも辛いですからね。
Q とても大変だとは思いますが、楽しみに待ちたいと思います。
1952年、山形県米沢市生まれ 宮澤賢治の影響を受け漫画家になる。 アタゴオルという幻想世界を長年描いてきた。現在、「銀河鉄道の夜」を再度漫画化中。