イベントレポート:『きっとあなたは、あの本が好き』発売記念都甲幸治×藤野可織トークイベント

著者
都甲 幸治、武田 将明、藤井 光、藤野 可織、朝吹 真理子、和田 忠彦、石井 千湖、阿部 賢一、岡和田 晃、江南 亜美子
定価
1,620円(本体1,500円+税)
仕様
四六判/ 256ページ
発売日
ISBN
9784845627493

文:辻宜克(東京国際文芸フェスティバル・学生ボランティア)

『きっとあなたは、あの本が好き』(立東舎)の刊行からひと月と1日が経った2月26日、都甲幸治と藤野可織を出演者として、発売記念トークイベントが行われた。都甲は本書を構成する8つすべての鼎談の参加者で、メイン・ナビゲーターの役目を務めた。藤野はこのうち2つ、大島弓子と谷崎潤一郎についての鼎談に作家の朝吹真理子と共に参加。当日は都甲のリードにより、登場する作家たちを話の種とした本書の感想から「藤野可織」という作家像についてまで話は及んだ。

「読みのプロ」がわいわい語る本

 トークはこの本の制作過程での苦労話から始まった。都甲に編集者が渡した事前に読む本の厚さは合わせると1メートルを越していたという。その課題量に追われるあまり、トマス・ピンチョンの『V.』を2、3日で読み切ったというエピソードには会場中が息を呑んだ。
 綿密な準備のもと、収録に至った本書の参加者(著者)は合わせて10人。専門も職業も違うこれらの本好きたちは、都甲いわく、「小学校の休み時間に教室に残って読書した連中」である。そういう「読みのプロ」がわいわい好きな本について語る、というのがコンセプトだそう。
 本書に登場する作家・作品は、名前は知っていても読んだことがない、という人が多そうなものばかり。たとえばアーヴィン・ウェルシュの『トレインスポッティング』。本書でも触れられているとおり、映画版なら観たことがある人が多い同作品。藤野もそのうちのひとり。原作の小説についても会場では話されたが、映画版における汚物をどう評価するか都甲と藤野で意見が分かれたことの方が観客の記憶に残ったかもしれない。

みんな村上春樹は読んでいる?

 藤野が本書を読んで気づいたのは、村上春樹のこととなると誰しもが饒舌となることだ。この指摘を受けて、村上春樹について都甲がコメントしたことは多くの人にとって意外だっただろう―村上春樹ほど知名度の高い日本人作家はいないはずである、と。都甲によると、自身が教鞭を取る早稲田大学の大教室で問いかけても、学生のうち100人に1人ほどしか村上春樹を読んでいないというのだ。村上春樹については「みんなが引くほどオタク」だと自負する都甲だから、この事実には心が痛んだことだろう。なお、村上春樹は高校生・大学生のときにいちばん読んだという藤野は、印象に残っている短編として「カンガルー日和」や「レキシントンの幽霊」を挙げた。ちなみに、どの単行本に収録されていない村上春樹によるコラムの載った雑誌まで落手したというオタクっぷりの都甲は、現在村上春樹論の単著を準備中のようだ。

都甲幸治、藤野作品を解読する

 まだ幼かったころにコナン・ドイルの「ホームズもの」を読んだ経験や太宰治(藤野のお気に入りの作品は「畜犬談」であるという)についてひとしきり触れたあと、話題は藤野可織作品に移る。今回のイベントに都甲によって持参された藤野作品は『[現代版]御伽草紙 木幡狐』と『爪と目』の2冊。都甲は藤野作品を概観して、女性が現代の日本で受ける暴力の影響を指摘する。その影響は藤野作品においては「出口のない怒りのこぶ」として存在しているという。溜まった憤怒の感情は行きどころもないままにひとりの人間を蝕み、そこで生じる歪みが物語を生むのだともいえよう。
 都甲は日本のフェミニズムの普及状況について触れた後、藤野作品ではそうした理念が「物語のかたちで読者の無意識に入り込む」のであり、その点で松田青子の『スタッキング可能』と親和性が高いと指摘した。たしかに、『木幡狐』は狐たちの世界を描くことで、人間界の「良妻賢母」というイデオロギーに対してフィクションのかたちでこその異議申し立てに成功している。この「異議申し立て」は文字通りに「良妻賢母」に否を突きつけるものではない。それはこのイデオロギーと戯れることで読者が違和感を感じるようになる仕掛けのことである。

「戯れ」と「おしゃれ」

 おそらくこの「戯れ」というのが本イベントで扱われた2つの藤野作品に共通する性質である。トークの話題が『木幡狐』から『爪と目』に移った後、まず都甲が評価したのは「爪と目」の作中に登場するブログの名前とその管理人のハンドルネームである。語り手の死んでしまった母親が残した北欧家具やインテリアについてのブログのタイトルは「透きとおる日々」。そして彼女は 「hina*mama」とネット上では名乗っている(語り手の名は「ひな」)。この二つが核心をついているのだと都甲はいう。それはあまりにも「らしいもの」を小説中に登場させたということにおいて『木幡狐』における「良妻賢母」と通じるし、その距離の取り方は「戯れ」―肯定するわけはなく、ただし真っ向から否定するのでもない―としか言い様がない。なお、藤野はこうしたブログが大好きで、いまでも日に3時間ぐらいは読んでしまうとのこと。
 こうした趣味との戯れもジェンダーの問題に接続される。「やりたいことをやっていても、良い妻だったり良い母親だったりしないと女性は評価されない」現状があると藤野はいう。そのようにおしゃれが抑圧される様をHMVで話題とすることは皮肉的だと述べ、都甲は会場を沸かせもした。

力と暴力のみの世界

 「爪と目」の具体的なストーリーに触れて、都甲は同作品における語り手とその語りかけの対象となる「あなた」の関係が娘と継母の関係であることからシンデレラ的であると指摘した。さらに、「すべての母親は実の娘にとって何%かは継母である」との発言も出た。母―娘関係における敵対心ということで管見の限りで連想すれば、英国モダニズム期の作家ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』や水村美苗の『新聞小説 母の遺産』のテーマでもあり、女性作家によって連綿と描かれてきた印象もある。あるいは男性の手による物語だが、イングマール・ベルイマン監督作品の『秋のソナタ』も思い浮かぶ。だが、それらは成長した娘とその母親の精神的な対決である。「爪と目」においては幼い娘と(継)母の肉体的な対決が描かれるのだから、その点にこの作品の独自性があるともいえよう。都甲いわく、「女児がお姉さんに勝つのは現実的にはおかしいが、物語的にはこれほど正しいことはない」とのこと。

 そのラストシーンのせいもあって、藤野作品におけるホラーへの親近感はつとに指摘されてきた(ちなみに新潮文庫の帯には「史上最も怖い芥川賞受賞作」との惹句がある)。都甲がホラー映画からの影響についてたずねると、藤野は幼少期から嗜むアクション映画への偏愛をむしろ強調する。昔からアーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスタ・スタローンは彼女にとって「神」なのだという。男とか女とか取っ払って、そこにあるのは力と暴力のみなのがその魅力。そして彼らには罪もないのが良いらしい。最近は『トランスポーター』シリーズや『エクスペンダブルズ』シリーズで有名なジェイソン・ステイサムに憧れているとも。

本について、みんなで話す

 なお、本イベントは今年で3回目を迎える東京国際文芸フェスティバルにオリジナルイベントとして開催された。都甲はイベント冒頭において、自身も開催初期から関わっている文芸フェスのもともとの目的が本について誰かと語る場をつくることだったと述べ、『きっとあなたは、あの本が好き。』はそのねらいに合致したものだと自負した。「誰かと話すことで自分の考えが変わる」と都甲は『きっとあなたは、あの本が好き。』の制作を通しての発見を述べたが、トークを聞くだけだった参加者も自分の考えが変化し、好奇心がざわめくのを感じ、誰かと本について語りたくもなったことだろう。
 本イベントは金曜日の夜に開催だった。会場となった渋谷モディを出れば、街は仲間と連れ立って歩くほろ酔い顔たちでいっぱいだったのだから、そうした気持ちをいっそう強く感じたのは私だけではあるまい。胸に抱えた藤野さんのサイン本についていつか誰かと話し合うときを待ち遠しく思いながら帰路に着いた。「きっとあなたは、この本が好きだ」と薦めたい知人の顔を思い浮かべながら。