文:辻宜克
ネコブームは最近のもの?
書店の一角にはネコ本が集められたコーナーがたいていあり、雑誌の表紙をネコが飾ることもある。Twitterにはネコとの日常を描いたエッセイマンガが投稿され、果てはWebから紙の書籍へと姿を変えて更なる読者層を開拓している。本を読まない人にとっての身近でいえば、コミュニケーションアプリにおいてだってネコのモチーフは人気だ。一見するとネコブームが起きているようにも思えるが、実はそれは現在に限ったことではない。とりわけ、ネコとマンガの蜜月は長い。これまで数多のネコの様々な姿がマンガ家によって描かれてきたのだった。気ままに暮らす様、そっぽをむく動作、作業を邪魔してくる構ってちゃんなところ――そうしたネコの魅力の数々が筆やらペンやらを持つ手を動かしてきた。立東舎から刊行された『ネコマンガ(●ↀωↀ●)✧ コレクション』はそうして描かれてきたネコたちと描くに足る画力と観察眼を持った人間たち、つまり漫画家を綿密に取り上げた本である。
4月15日、本書籍の刊行イベントとして『猫なんかよんでもこない。』で知られるマンガ家・杉作と著書に『人生の大切なことはおおむね、マンガがおしえてくれた』のあるマンガエッセイスト・川原和子によるトークイベントが下北沢B&Bにて催された。参加者はみなネコ好きに違いなく、川原の司会によって聞き出される杉作の創作とネコの温かい関係には和まされ、また常に謙虚で穏やかな杉作の人間性にも魅了された。川原による入念な下調べは杉作の覚えていないことにまで行き届いており、当日は1人の人間がネコマンガ家になるまでの軌跡が丹念に辿られた。
二人はデビュー前からの知り合い
書籍内においても川原がエッセイを書いているとおり、ふたりはそれぞれの現在の仕事に就く前からの知り合い。デビュー前はプロボクサーを目指してジムに入門していた杉作がいかにしてマンガ家となったかについてが、まずは話題となった。
当時『あしたのジョー』や映画「ロッキー」が流行っていたこともあってボクシング好きとなった杉作は就職率の良い工業高校を卒業したにも関わらずボクサーを目指したために母親をがっかりさせたという。杉作はマンガ家を目指して先に上京していた兄(なかいま強/原作『キック・ザ・ちゅう』の作画を務めた杉崎守)のもとで同居を始める。
ボクサーを目指していた杉作だったが、徐々に描くことにも近づいていった。上京後はアニメーションの背景画製作のバイトを始めることとなる。面接には履歴書を忘れ、絵を持って来いとの指示にはナウシカやルパンを描いていったという。無事合格後はアニメ『タッチ』の背景画を担当する「タッチ班」に回されたそうで、杉作は絵の技術の基本をそこで学んだ。しかしボクシングへの夢断ちがたく、結局退職してプロボクサーの道に。
ボクサーとしては順調に勝ち続けるも、目のトラブルでドクターストップとなり、諦めざるを得なくなる。マンガ家志望となったのはその結果だった。川原は杉作の身の振り方を「チャレンジング」と評したが、杉作はなれるかどうかで言えば遠いが、兄が目指していたこともあって目指すことは近かったという。
そんな兄がネコを拾ってきたのは雪の日だった。しかし、兄は結婚が決まって先に郷里へ帰ることになり、杉作は二匹のネコと取り残された。川原と知り合ったのはちょうどその頃。地域の公民館で行われる自主的にテーマを決めてディスカッションや読書会などをする集まりにおいてであった。投稿作が全ボツだった当時の杉作は文化的なことに触れようとしていて、自分とは違う人間に会うことがプラスになるだろうと期待しての参加だったという。
ネコを描くようになったきっかけは?
杉作がネコを描きはじめるのは読書会がつくる同人誌で文章を書くように言われたのがきっかけだという。文章を書けなかったのでネコを描いたのだと杉作は恥ずかしげに語った。最初はラフなネコのイラストが掲載され、その次の号で披露された4コママンガは杉作にとっても初めての形式だったという。
会場に用意されたスクリーンには川原が保存していた習作時代の未発表の作品などが投影された。さながら学会発表のようでもあり、杉作本人も忘れているような作品が次々と掘り出されていく様子に会場の空気は静かな興奮に包まれた。後の投稿作品の原型となっているものもあることが川原の調査の結果明かされもし、文豪の未発表作が見つかったときのような厳かさも会場には漂う。しかし、ネコを使って金儲けというパターンの作品が多いとの川原のツッコミには笑いが起き、杉作も顔を赤らめていた。マンガの他にも当時中野公会堂で無料上映された『ローマの休日』のレビューを杉作が黒地にホワイト(修正液)を用いる、という珍しい方法で描き同人誌に載せたものもスクリーンに映し出された。
またこの時期の川原はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』をヒットさせたガイナックスに広報として入社。同社にはその特徴からそれぞれ「デブ」「ハゲ」「チビ」と名付けられたネコがいた、とのこぼれ話も披露された。
やがて杉作は「イモウトヨ」で漫画雑誌『モーニング』の新人賞である第7回MANGA OPEN の青木雄二賞を受賞することになる。受賞コメントにもあるが、当時の杉作は『モーニング』をよく拾って読んでおり、一番幅のある賞でチャンスがあると感じたのだという。
その後、杉作は『クロ號』の連載にこぎ着けた。川原は当時『クロ號』のクロが、崇敬する山岸凉子氏の『舞姫 テレプシコーラ』に登場しているのを見つけて、杉作の出世ぶりに感激したという。杉作自身はこの事実に気づいておらず、川原に教えてもらって初めて知ることとなる。
エッセイマンガは『猫よん』が初めて
デビュー以降は順調に歩んできた杉作だが、2009年を境に単行本が出ない時期があった。空白期間を経て、2012年に世に送り出されたのがヒット作『猫なんかよんでもこない。』(以下『猫よん』と表記)となった。
『猫よん』誕生のきっかけは女性編集者が杉作自身の話をおもしろがったことにある。実は杉作にとって自分を主人公にしたエッセイマンガは初めて。『クロ號』のヒゲの場合は、兄と自分がごちゃまぜになっているという。またタイトルもなにげない会話から編集者が拾ったもの。この経緯に対し、川原は編集者の大事な仕事のひとつは、作家に「面白いのになんでそれを描かないんですか」「あなたの描くべきところはそこですよ」と言うことだ、と熱を込めて強調した。また、女の人の感覚が入ることで、『猫よん』はこれまでの作品とは違う感じになったと杉作は言う。
3ヶ月で9刷を達成した『猫よん』は朝日新聞社などが主催する「どくしょ甲子園」という高校生向けの催しのその年のマンガで唯一の推薦図書にもなった。翌年には『猫よん』の『その2』が出版され、猫好きで知られる小説家の角田光代氏が帯を書いた。また川原によれば1巻が発売されたばかりのマンガ『猫嬢ムーム』に収録された作者の今日マチ子氏とマンガ家・いくえみ綾氏との対談でも、本書は今日氏の好きなネコマンガの一つとして言及されていたという。『猫よん』に関して川原が「それまでとは違う読者に届いたのでは」との考えを示すと、杉作は「文章だと思って買ったらマンガだったとだまされた人も多数いたはず」と自作のヒットぶりを冗談で謙遜した。
『猫よん』は今年の2月に実写映画化がなされたばかり。杉作は当時の感情を思い出してしまい、まともに観られなかったと明かした。実はこの映画には杉作自身も出演しているという。企画が上がってきた頃、杉作はポシャるだろうと思って、通行人役で出してほしいと頼んでおいたのだという。杉作の予想は良い意味で裏切られ、食堂のオヤジとしての出演が叶った。川原も「食堂のオヤジにしか見えない自然な演技」と絶賛していたが、杉作によれば山本透監督には初対面のときに「この男はどう見ても食堂のオヤジだろう」と本質を見抜かれたのだという。監督の洞察は実際の撮影で裏打ちされることとなる。撮影されたシーンでの杉作は競馬について語っているのだが、それは杉作の知らぬ間にカメラが回されたものなのだ。
マンガ家とネコとネコマンガ
トーク修了間際には川原による杉作のこれまでの作品の紹介が行われた。杉作はイベント開催当日の4月の時点で、今年だけで5冊もの単行本を世に送り出しているという。この凄まじい出版ペースには会場から「お〜」という嘆声とともに拍手が巻き起こった。なお、これまでの杉作の作品には絶版となってしまった作品もあるものの(『コクロ』『クロ猫マンガ誕生物語』)、電子書籍化のおかげもあり、その他はほぼ全作が入手できるようになっているという。川原は読書会で知り合ったばかりの頃に杉作のポテンシャルを見抜けなかったことを恥じつつ、しかしそれは嬉しい恥ずかしさなので、これからもますますの活躍で、どうか何度も「川原の目は節穴だった」と思わせて欲しい、とトークを締めくくった。
終了後のサイン会での杉作はひとりひとりに丁寧にネコのイラスト付きのサインをし、参加者はその謙虚で誠実な人間性に触れ続けたイベントとなった。その読者を大切にする姿勢は、参加者に用意された杉作による直筆イラストの入った栞にも表れていた。
読者が目にするネコマンガがどのようにして出来上がったのかが作家の半生とともに辿られた本イベント。マンガ家という過酷な職業と気ままなネコのつながりが一般化されつつも、1人の人間が生活をともにする生命と結んだ人それぞれで違う絆のかたちこそが名作を生むのだと実感させてくれる尊さにも満ちた機会だったのではないだろうか。Twitterに愛猫の写真をアップしているマンガ家がこれからキャリアのどこかでその作家ならではのネコマンガを描くのを自分が期待していることに帰り途で気がついた。ネコマンガが増えていけば、『ネコマンガ(●ↀωↀ●)✧ コレクション』の続編が刊行されるのかもしれない。